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■2008年7月1日号 <vol.109>
書評 ─────────────

・書評  板井敬之 『彰義隊遺聞』  森まゆみ著  新潮文庫
・書評  岡本弘昭 『楢山節考』   深沢七郎著  新潮文庫

・【私の一言】岡田桂典
      『シンガポール便り(16)- 日本が必要な知識産業』

 


2008年7月1日 VOL.109


『彰義隊遺聞』
著者森まゆみ    出版社:新潮文庫
    

板井 敬之  

 著者は文京区動坂出身で、地域雑誌「谷中・根津・千駄木」の創刊・編集人。エッセイストとしても多くの著書がある。本書は「地域史の掘り起こしと定着、そして逆賊とされ、『烏合の衆』と軽んじられて一顧だにされなかった彰義隊の存在を世に伝えること」を目的に書かれた。多くの文献を渉猟しているが、同時に彰義隊ゆかりの人からの聞き書き(と言っても対象者の祖父母や曽祖父母が子供時分に伝聞した事柄)にも負っている。

 上野は、東北出身の私にとって懐かしい場所である。新幹線開通前は上京すれば東京の始まりの地であり、帰省の時は駅界隈で行き交う言葉からして故郷が近いことを実感させられた。これまで彰義隊と上野のかかわりは漠とした結びつきでしかなかったが、本書を読むことにより、僅か140年前に旧幕の或いは江戸の心意気を示す戦いがこの地で行なわれたと再認識させられる。“谷・根・千”に明るい著者だけあって巻頭に彰義隊遺跡めぐりの地図を添付しており、官軍の攻めの道筋を辿ることが出来る。

 江戸時代の評価は、我々が習ったものとはとだいぶ異なって来た様だ。本書を読み終え、大正六年九月に盛岡報恩寺で行なわれた『戊辰殉難者五十年祭』において、南部藩家老職の家に生まれた 原 敬が捧げた祭文「…戊辰戦争は政見の異同のみ。当時勝てば官軍負くれば賊との俗謡あり。その真相を語るものなり。…」を思い起した。 

 


『楢山節考』
著者深沢七郎    出版社:新潮文庫
    

岡本 弘昭  

 最近、後期高齢者医療制度に関連して“姥捨て山”とか“棄老”と言う字を見かける。ヒューマニズムの観点からあってはならないという意味で使われていると思われる。しかし、棄老は個を捨てて類が生き残るための選択である、という自然界の暗黙の掟にも係わる一面もあり、民間の棄老伝説には色々な解釈があるようである。

 この棄老伝説の持つジレンマについて、淡々と向き合ったのが本書である。約50年前1956年に発表され第一回中央公論新人賞を受賞した有名な作品であるが、最近の議論を理解するために再読してみた。

 主人公の老婆は、住む村や家に食物が乏しいため、自ら進んで山に捨てられる準備していた。一方息子は、老母を神の棲む楢山に捨てるのが村の掟であることを知りながらも、いつまでも家に止まっていてほしいと思っている。
 しかし、自分の息子が隣家の娘に子を妊らませるに至り、山に老母を捨てに行く。老母は山で背板から降ろされると、息子の背を押し、里に返した。その帰り道、息子は山のずっと手前で、同じ村の銭屋の倅が、父親を谷に突き落とすところを見た。家に戻ると、平常に時は流れていた。
 自我を犠牲にして死に向う老婆と孝行息子、そしてそれに対極する別の家族について淡々と語られており、受け止め方は読者にゆだねられている。

 現在のわが国は棄老伝説とは全く関係のない時代である。しかし、自身が高齢者世代となり、親の介護や後期高齢者保険制度の議論を聞くに付け、改めて棄老伝説が示す、人間の本質を突きつけられている気がする。特に高齢者1人に対して現役世代1.3人という少子高齢化時代を迎えるといわれる中で、夫々の世代がどのように対応すべきか。高齢者としては、子孫のことを考える必要もある。
 自らがどのように対応すべきかを考えさせてくれるきっかけとなる本である。
 蛇足ながら、私の手元にあるのは2005年発行の第70刷と記されており、半世紀に及ぶロングセラーであることを証明している。

 

 

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『シンガポール便り(16)- 日本が必要な知識産業』
岡田 桂典

 日本の“モノ作り”に重点を置いた産業構造が急速に揺らいで来たように思えます。エネルギー・資源の価格が高騰し、鉄鋼、非鉄、石油化学等の重工業は競争力の維持のため、新投資は全て海外で行われます。おまけに少子高齢化で内需型企業も海外シフトを急速に進めだしました。これに伴う重大なことは海外における儲けには日本政府は課税出来ないことです。
 堺屋太一さんは約20年ほど前から現在の日本を予見するように、これからは「知識産業」「知価のに時代」だと唱導されました。これを忠実に実行したのがシンガポールです。

 シンガポールでは「金融業」がGDPの20%、世界中から資金や金融会社がぞくぞくと集まっています。「教育」は世界の有名大学12校と提携しアジア・中東から学生を集めます。「観光」も今年1月に空港に第3ターミナルが完成し年間8千万人受け入れ可能になりました。「医療」も成長産業で去年は15万人の外国人が治療に来ました。IT・バイオ(製薬)等の「知識」産業にも力を入れています。

 これらの“知価ビジネス”は“モノつくり”に比べると極めて有利です。資源価格の高騰、運賃の急騰に関係がありません。在庫金融も不要です。取引はおカネと引き換えかクレジットカードですからおカネの“取りはぐれ”もありません。

 高齢化する日本、税収を確保するためにも、国内で大いに“儲けて”税金を払ってくれる産業を早く育てなければなりません。規模が大きな製造業は日本ではもはや無理とすれば、金融を初めとする“知価産業”が有望でしょう。

 これは個人にとっても重要なのです。統計を見るところ収入が最も多いのは金融業で製造業は中以下です。英国は16年間経済成長が続いていますがメインのビジネスは金融です。英国で製造業で働く人は10%、金融業で働く人は800万人です。日本は製造業で働く人が20%、金融業は280万人しかいません。アメリカでも金融業が最も大事な産業です。個人貯蓄の半分が証券です。ですから証券会社の会長が財務長官を歴任します。
 日本の財界は鉄鋼業が長く支配していました。その“鉄は国家なり”と嘯いていた鉄鋼会社が国を捨ててブラジルに“移民”する時代になりました。日本人は“モノ作り”志向に騙されていたのかもしれません。早く日本のリーダー達が“知価産業”に目覚めていれば日本の人口は英国の倍です。実入りが良い金融で1600万人が働けるとすればーー。エセ道学者達にカネ儲けは国家の品格、武士道に反すると卑下されるかもしれませんが、65歳以上が2500万人、やはり日本はおカネが要るのです。






 日本では1843年(天保14)に、1年を24等分した24節気、さらに1節を3等分した72候(しちじゅうにこう)の暦をつくり、自然界の特徴的な様子を示していました。
節気は、立春を起点にして、「雨水」「啓蟄」「春分」…と進みますが、候では、例えば「夏至」から「小暑」までに
初候に「乃東枯/なつくさかるる」
次候は「蜩始鳴/ひぐらしはじめてなく」又は「菖蒲華/あやめはなさく」
末候が「半夏生/はんげしょうず」となっています。

環境問題が厳しくなりつつある昨今、七夕サミットでも十分論議されて、季節の移り変りへの影響が少ないことを祈念しております。

(HO)








 
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