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■2010年5月1日号 <vol.153>

書評 ─────────────

・書評   石川 勝敏 『日本語はいかにして成立したか』 
            (大野 晋著 中央公論新書)

・書評   佐藤広宣  『遠い崖』             
            (萩原延壽著 朝日新聞社)
                              
・【私の一言】濱田克郎 『 アメリカ便り(20)-- イデオロギーの時代?』



2010年5月1日 VOL.153


『日本語はいかにして成立したか』
著者:大野 晋   出版社:中央公論新書
石川 勝敏   
著者は1919年東京生まれ、東京大学文学部卒業、学習院大学名誉教授、専攻は国語学である。岩波古語辞典(共著)、日本語の年輪他著書は多い。
私達は、日本語はウラルアルタイ語族で、類似の膠着語はないと教育されてきた。欧米各国の言語と日本語の違いについて何故ここまで違うのか私は興味を持っていた。何冊かこれらに関連する図書も読んだが、私は著者大野説に大いに賛成したい。骨子を以下に紹介し、諸兄の関心を引きたい。

著書の内容は比較言語学、神話学、日本古文書学の詳細にわたり、高度な研究の内容を解説したものである。本文はその一部分のみである。
日本語には7つの根本的性格がある。

1 はじめの子音がka sa ta naのようにみな簡単でst とかprなどはない。
2 ka ki ku ke ko,ma mi mu me moのようにどの音節も母音で終わる。
  この2つの条件に合う言語は南太平洋オセアニア地域の言語である。
3 ra ri ru re roの音は名詞や動詞、形容詞などの最初にこない。輸入した漢語にはある。
4 形容詞は名詞の前。副詞は動詞の前にくる。後ろには来ない。
5 目的語は動詞の前に来る。
6 動詞、助動詞は文の末尾に来る。
7 助詞はつく言葉の後に来る。
例)友達と神田に本を買いに行った。

3.4.5.6の条件を充足するのは、大陸のアルタイ諸語と南インドのドラビダ諸語である。ドラビダ語族の中のタミル語は1.2.については厳密には条件を充足しないが、3.4.5.6.7.が満足される事と500語に及ぶ対応語があり、冠詞がなく、性の区別なく、格変化なく、関係代名詞のない膠着語であり、日本語に近いといえる。アルタイ語には対応語がない。
各民族の神話、民話の関連性や耕作物と神話の関係等々から、古代日本は順次オセアニア、タミル語、韓国語、中国語の影響を受けてきたとみられる。漢字を使ってやまと言葉を表現し、仮名文字を発明し、明治時代に西洋の概念を日本語にして現代の日本語に至っている。

文庫本とはいえ400ページの著書であり、短文では文意は尽くせないが、タミル語という言葉が頭に残った。貴重な文献であり諸兄に一読をお薦めしたい。

『遠い崖』
 著者:萩原延壽   出版社:朝日新聞社

佐藤 広宣   


『遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄』は、大佛次郎賞を受賞した歴史家の萩原延壽の代表作。
朝日新聞に断続的に足かけ15年連載され、単行本14巻、文庫版14巻が、朝日新聞社から刊行されている大部の伝記です。

萩原延壽は東大法学部で岡義武教授に師事、英米の大学に長く留学したが、終生、大学に籍をおくことを断り続けた在野の歴史家で、2001年に75歳で亡くなりました。
アーネスト・サトウ(Sir Ernest Mason Satow, 1843年 - 1929年)は、『一外交官の見た明治維新』の著者として有名なイギリスの外交官で、明治時代前期日本に係わる外国人キー・パーソン。英国公使館の通訳、駐日英国公使、駐清公使を務め、英国における日本学の基礎を築きました。日本滞在は、通算すると計25年間に及びます。(なお、「サトウ」という姓はスラヴ系の希少な姓で、父の姓であり、日本人ではありません)

第1回目の日本滞在の時期は近代日本の夜明けと重なる時期で、20歳代前半のアーネスト・サトウは、卓抜な日本語能力を生かして、伊藤博文ら明治の元勲となった薩長の若き志士達と親しく交流しました。
サトウが、横浜で出ていた英字新聞に、「将軍は一番大きな大名にすぎない。法理論的に言えば、京都にいるミカドが将軍に統治権を委ねているだけだ」という論文を寄稿したところ、「英国策論」として翻訳されて倒幕運動を元気づかせたと、司馬遼太郎は座談会で語っています。
彼の的確な情勢分析が、幕末日本におけるイギリスの有利な外交的な地位確保に貢献し、後の日英同盟につながったといえます。

 このアーネスト・サトウの日記と手紙を丹念に渉猟して、広い視野で書かれた『遠い崖』は、イギリス風の悠々たる伝記で、文章は味わい深く、学術性と文学性を兼ね備えた作品です。 

 

ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

アメリカ便り(20) -- イデオロギーの時代?
濱田克郎

かつては人々が対立するイデオロギーとしては資本主義とか社会主義が代表的なものであった。世界の国々もそれぞれの陣営に分かれて表立って、或は水面下で対立する図式がしばらく続いていた。しかしベルリンの壁崩落以降、人々の間での様々な違い、とりわけ民族や宗教の違いによる対立が先鋭化し、紛争や小競り合いなどにつながっている。

アメリカでは選挙の際には候補者間で政策論争に加え、宗教ないし信仰についての考え、プロチョイスかプロライフ(堕胎の是非)についての考えの表明が求められるのが常となってきており、いわば踏み絵の様相で、多くの場合政策よりもこの点の相違で投票行動が決まるといっても言い過ぎでないようですらある。

プロライフの立場は煎じ詰めれば“(胎児を含め)命を粗末にしてはいけない”と主張するのであるが、プロライフの中には堕胎医を銃で撃ち殺すことに罪悪感を持たない人もいるようである。
地球の環境保護運動を行っている人々の中には、燃費が悪くガソリンの無駄につながるとして他人の大型四輪駆動車に火をつけたり、建設中の大規模な豪華大型住宅に火をつけ黒煙を出し灰燼に帰したりすることには躊躇しない人もいる。クジラやイルカを捕獲したり食べたりすることは残虐なことであり文明国の人々がやってはならないことだとして、他者に対し物理的、肉体的な暴力を振るうグループもある。
これらの人々がやっている事の本質はテロリストと大きく違わないのではないかと考えたくなるほどである。

アメリカの医療保険改革の議論の最中には、先進国中最高の医療費、最低の医療保険制度をどのようにして改革していくか、という本質論議よりもむしろ、アメリカを全体主義や社会主義にするな、堕胎費用が保険の対象になってはならないなどといった、感情論めいたものの方が人々を動かす力を持っていたようにもみえる。

さて、世の中は様々なイデオロギー論争の時代になってきたのであろうか。前述のいろいろなケースの本質を注意深く見てみると、いくつかの共通点のようなものが浮かび上がってくるような気がする。
第一には自分たち(だけ)が正しくて対立する考え方は間違っていると決めつける姿勢である。(特に宗教、就中一神教の場合に顕著)第二には自分たちと違う考え方の人々にレッテルを貼り、敵視或は攻撃する姿勢である。さらによく見れば、個人個人の考えにより行動しているというよりも、むしろリーダー的な立場の人間の指示により行動しているケースが多いように見受けられることである。悪く見れば、人間操縦術に長けた扇動者が、自分で考えない盲従者をうまく利用しているようにも見える。

イデオロギーにしても宗教にしても、悪意或は悪意とまでいかなくともある目的を持ったリーダー的存在の人間にとっては極めて都合が良い道具となることが多いのではなかろうか。なぜなら、“信心が足りない”、“理解が足りない”として、なぜという疑問や反論を封じ込めることがしやすいからである。参加している個々人は実は悪意のない、純真な人々であることが多いように思われる。
因に、先の医療保険改革の反対グループの中に、たくさんの老人(70才前後とおぼしき人々)が交じっていた。“政府が医療保険に関与するということはアメリカを社会主義化することであり容認できない”という言い分である。賛成派の人々から“あなたはメディケアに加入しているかね”と聞かれ、“もちろんだとも”と答えたくだんの老人は、“メディケアは(65才以上の人々のために)アメリカ政府が運営している医療保険だということを知らない訳ではないでしょうね”と言われ、絶句しているシーンがテレビで放映されていた。

自分と違う考えに賛同しなくても良いから、世の中にはいろいろな考え方があるものだと思いせめて敵視しないこと(寛容さ)、ひょっとしたら自分の考え方は足りないか間違っているかもしれないと思うこと(謙虚さ)ができる人が多くなればずいぶん違った世の中になるだろうと思うのだが、現実はなかなか厳しそうな気がする。何せ、歴史上の諍いごとが繰り返されてきた原因にもつながることかもしれないのだから。

 

 

 

『転石苔を生ぜず』というイギリスの諺があります。イギリス社会は、安定・定着的であり、転がる石は冷たくあしらうことから、住まいや職を転々と変える人は成功しない、の意といわれています。これに対し、流動的・活動的なアメリカでは同じ諺を、活動的な人は常に新鮮である、という意味に使われるといわれています。
日本では、ずっとイギリス的意味で使って来ていたのが、戦後はアメリカ的使われ方も行われるようになったようです。
いずれにしても社会や文化により物の見方や感じ方は大きく変わるようで、
不況が続く日本では、中若者の就職の気構えが最近は安定指向に向かっているとか。今後の日本での使われ方が注目されます。
 今号も多面的なご寄稿有難う御座いました。(HO)




 
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