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2006年10月15日 VOL.68

 

 

『41歳からの哲学』 
著者:池田晶子   出版社:新潮社

浅川 博道 

 この本の題名、思わず手にとってみたくなる。本書の中でも、養老孟司氏の「バカの壁」がよく売れているのはタイトルの力である、という一節がある。活字離れといわれながら、一方では出版点数は毎年記録を更新している現状では、出版社がいかに売るかにチエをしぼるのは当然の商法であろう。
 ところで本書は、週刊新潮に「死に方上手」のタイトルで2003年から連載されたものを集めたもの。現在は「人間自身」と改題され、連載は続いている。スキャンダル記事が得意の週刊新潮と哲学が専門の著者とは、どうもイメージが合わない。この辺について、著者は「あとがき」にこう書いている。「まあ、この世そのもののような週刊誌上で、そんなふうなあの世からの言葉に触れるのも、ある種の人生の妙味とも言えましょうか。」
 哲学というとつい身構えてしまうが、読むほどに共鳴する点が多々出てくる。ちなみに情報化社会に触れて、情報をたくさんもっていると賢くなったように思うらしいが、そんなことは大間違いである。また、情報を「知る」ことと「わかる」ということは違うことだ。携帯電話の通話料金が安くなるという広告に「その一言が、たった5円で」と書いてある。言葉は人間の価値そのもので、それを安売りする携帯電話は亡国の具である・・・。
 まことに明快である。一貫しているのは、やはり人間は考えなければダメということ。しかも、「考えることに手遅れはない」。




 
『日本離れ”できない韓国』
著者:黒田勝弘   出版社:文春新書 
亀山 国彦 

著者は産経新聞ソウル支局長兼論説委員、韓国在住記者活動25年。本書は「突出している韓国政府、知識人たち(一般民衆を除く)の“反日”感情の由来と現状を“韓国の中の日本”に焦点をあてて探り」納得できる仮説を立てるのに成功している。
韓国は相手が日本となるとすぐ被害者としての過去を持ち出すが、歴史的に日本は韓国とは直接戦っておらず、韓国に負けたのではない。韓国は戦勝国としての連合国には入っていないし、対日講和条約にも加わっていない。日本撤収後の朝鮮半島は、米国とソ連が管理し、北と南に分断して独立したのは1948年であった。
韓国では、隣国に支配されたこと以上に、その支配から自力で脱出できなかったという鬱憤がずっと大きい。すっきりした対日勝利がなかった故に、「過去精算」がすんでいないということになる。
韓国人の歴史観では、「あった歴史」より「あるべき歴史」が重要だ。日本に支配された惨めな歴史ではなく、果敢に抵抗し、よく戦った歴史でなくてはならない。これが最近の「親日派糾弾」にも繋がっている。
韓国人は「日本軍国主義の犠牲者だったから」靖国問題、A級戦犯にこだわっている。極東裁判は“戦争犯罪”を裁いており、植民地支配を対象にしていないので、韓国の主張は拡大解釈だが、対日協力の歴史を否定し消し去るために強く出ざるを得なくなったのだ。
日本統治下で整備された行政制度等を利用するとともに日本からの経済協力・技術協力を活用し、韓国経済は急速な発展を遂げたが、「あるべき」歴史と異なるため、「日本は何の償いもしていない」と国民に信じ込ませている。
韓国民に元気を与える素なので、反日政策は当面続きそうである。日本は「アジアでの孤立を恐れず」冷静に対応すべきだ。
他方、独自の歴史を重視するなら、韓国民は五百年の歴史を持つ李王朝への関心を高めるべきではないかと“提案”している。
鄭・古田編「韓国・北朝鮮の嘘を見破る」文春新書も略同趣旨だが、更に詳しい。





 

 

 

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『アメリカ便り(11)   青い目、茶色い目』
濱田 克郎
ずいぶん昔日本のNHKでも放送されたことがあったが、“分断された学級―青い目、茶色い目”といったようなタイトルの映像を今度はウェブサイトで見つけた。放送された小学校での話だけではなく、その後の世界各地での大人を対象とした実験のことも触れられている。( www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/divided/ ) 覚えておられる方
もおられるかもしれないが、簡単にご紹介しておきたい。
アメリカ中西部アイオワ州の殆ど白人だけの小さな町にある小学校での話である。
キング牧師が殺された翌日から、ジェーン・エリオット先生は3年生のクラスで新しい教育実験を始めた。先生は生徒たちに肌の色(白黒黄赤)による差別が行われていることを認識させた上で、差別されるということはどういうことか体験する実験をしてみたいかどうか生徒たちに尋ねると皆賛同である。全員白人なので、区別しやすいように茶色の目をした生徒は首に色のついた襟をつけさせられた。
先生は自分を含めた青目が如何に優れているか茶目が如何に劣っているか、生徒の具体例を挙げながら説得し、青目は休み時間は5分延長可、茶目と遊んではだめ、茶目は遊具を使ってはだめ等の子供にとって切実な部分で具体的な差別を実施する。すると、青目の生徒は威張るようになり、茶目の生徒はとたんに生気を失ってしまうのである。ところが、次の日には“昨日は間違っていました。本当は茶目が優れているのです。”と先生が言ったことにより、立場が完全に逆転してしまう。問題を解く時間も茶目の子は昨日の5分半から2分半に、青目の子は昨日の3分から4分18秒に変化したとのデータも紹介された。
差別する側、される側の体験をした後に生徒の意見を聞くと、差別される人の苦痛が良くわかったというのが一致した答えであった。“肌の色や目の色の違いで人が優れているとか劣っているとか影響されますか?それらの違いで今後人を差別しますか?”との先生の問いには全員一致して“ノー”であった。
14年後のある日、今は青年になったそのときの生徒たちのクラス会が母校で開かれ、先生と生徒たちは久闊を叙した。もう結婚して親になった人もいる。彼らの体験談やエピソードの紹介から判断する限り、14年前の“ノー”は本物であったと感じられる。
“その後世界中の各地で学生や社会人を対象とした同様のクラスをやっています。21世紀になった今でも(差別は)昔と変わっていないということは残念なことです。アメリカではもう人種差別はなくなったといわれていますが、言っているのは白人です。自分は差別されていないからわからないだけです。”というエリオット先生の言葉は印象的である。
人種に限らず、民族、男女、出自、宗教などによる差別は世界中の各地で依然として存在している。更に紛争や戦争の原因の一つになっていると思われることもある。差別の本質は端折って言えば、自分より弱い(と思う)ものを見つけて強がるということではないかと思うが、それはさておき上述のウェブサイトは考える題材を提供してくれる。




 

 
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