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■2012年1月1日号 <vol.193>

書評 ─────────────


・書 評   丸川 晃 『パワー・ハングリー ー現実を直視してエネルギー問題を考えるー』
           (ロバート・プライス 著 古館 恒介 訳 英治出版)

・書 評  石井義高 『死にたい老人』
           (木谷 恭介 著 幻冬舎新書)

・私の一言 岡田桂典 『中国流の震災からの復興と政治の活性化』




2012年1月1日 VOL.193


『パワー・ハングリー 
ー現実を直視してエネルギー問題を考えるー』
 (ロバート・プライス 著 古館 恒介 訳 英治出版)  

丸川 晃    

 東日本大震災が勃発し、福島原発事故が発生したことで、わが国のエネルギー問題が極めて身近なのものになった。放射能の拡散、計画停電、風評被害、更には『再生エネルギー法』の制定などの話題が連日新聞紙上を賑わせているのに比例して、日本における今後のエネルギー対策が、極めて複雑且つ困難な政治・経済的問題として、俎上に上っている。

 評者も、早速何冊かのエネルギー関連図書を入手して読んでみたところ、なかでも2010年に、米国の資源・エネルギー問題専門ジャーナリストが著したこの本から最も強い刺激を受けたので、ここに短評してみたい。

 先ず本書は、最新の『米国』のエネルギー問題を真正面から取り上げて、『環境に優しい』ことを前提に、膨大なデータを駆使して、エネルギーに関する政治的、経済的、技術的条件を分析、評価して、今後における『米国のエネルギー問題』の解決方向としては、N2N(後述)指向が最善であると提言しており、このような観点から、日本の今後におけるエネルギー問題の検討に参考になる考え方が多いと考えられる点に、本書の意義があるとみる。
 先ず、本書の特徴は『エネルギー密度』、『パワー密度』、『コスト』、『規模』という4つの尺度の下に、石炭、石油、天然ガス(以下、NGと略称)、風力、太陽熱、バイオマス、原子力の各発電方法を評価している点である。

 ここでは、本書で展開されている難しい科学的概念の定義は別として、エネルギーとは、石油=バーレル、石炭=トン、天然ガス=m3などの尺度で測られるもの、パワーとは、ワットや馬力で測れるもの(パワー=エネルギー/時間)であるとする。そして、パワー密度がより高く、比較的安価で、必要とする莫大な量のエネルギーを提供できることに加えて、大気汚染の元凶とされるCO2の排出量も少ないという条件の下で、『米国』の今後における電力というパワーを求める『エネルギー政策』は『N2N』、Natural Gas to Nuclearに集約できると主張する。即ちN2Nとは、短期的には、20世紀末から21世紀初めに発見されたシェール層(浸透率の極め て低い岩層)から絞り出すNG(原油換算3.500億バーレル以上の埋蔵量と推計)を使い、長期的(今後20年から40年にかけて)には、原子力へと移行していくことが、経済に対する悪影響は最小限に留める一方、環境的な利点が大きく、後悔することのない最適の政策方向であると、本書は主張する。

 そして本書では、上記4つの尺度に基づき、上記発電方法の各々を評価しているが、この総てについて言及すると冗長になるので、以下、本書の主たる主張の一部を極端に要約してみよう。

 先ず、狭い土地空間、許容できる値段で、大量の熱エネルギーを生み出せる石炭、石油の消費量は、米国では、1973年から2008年間に、前者は何と73%増(世界: 109%増)、後者は8%増(世界:43%増)を示し、そして米国では、08年で、一次エネルギーに石炭が占める比率は約29%、また石炭火力は、未だに総発電力の約48%を占めている。このように固・液体炭化水素、特に、現在でも石炭の消費が著しく大きい理由は、専らその『低コスト』にあり、この意味で、大気汚染、重金属汚染などによる犠牲は大きいものの、低コストの『代償』の一部として受け入れられているという。

 次に、太陽熱・風力・地熱発電などの所謂『再生可能エネルギー』についての本書の主張は、先ず、『環境に優しい』エネルギーとは、『自然界をかき乱すことは、最小限にと止めるべきだ』というところにあり(この種エネルギーは、設備の設置に広大な土地を必要とする)、更に上記尺度のうち、この種エネルギーは特にパワー密度(単位面積当りの発電量) が小さいことが、最大の欠陥であるとしている。風力発電を例証として、その他の問題点を列挙すると; 

(1) 電力需要に応じて風を吹かせる訳にはいかないという意味での、 風力発電の断続性
(2) 従って、従来型発電によるバックアップが必要となる
(3) 風力発電設備周辺住民から風車の騒音問題が発生している
(4) 高圧送電設備および大規模な蓄電装置の新設を必要とする
(5) 風力発電設備などに使われる磁石などの希土類元素資源は、世界で中国のみが殆どを独占している
(6) 鳥類が風車に衝突し、風力発電設備容量1メガワットにつき、 年間1〜6羽が死んでいるという
(7) 2007年で、米国の総発電量に占める風力発電量の比率は僅か0.19%、デンマークが13.4%であったが、同国では、炭化水素を原料とする発電量はなお75%を占める
などが、米国や、国是として風力発電を推進したデンマークなどの具体例に基づいて挙げられている。

 なお、太陽光発電の問題点も、風力発電と似たり寄ったりであり、更に、よりクリーンで『再生可能』なパワーを提供できるエネルギー源として、地熱発電を挙げているが、米国でも、未だ総発電量の1%に満たないという。
 以上、一次エネルギーに占める石油の地位は、価格の高騰もあって漸減しつつあり、石炭は、低コストの故に途上国などでの使用はやむを得ないとみられ、『再生可能エネルギー』源も問題累積とすれば、脱炭素化、CO2排出量の削減、石油・石炭資源ピークへの懸念などに対応する、長期的な一次エネルギーの転換方向としては、上掲N2Nしかないとするのが、著者の主張である。

 次に米国では、数年前までは、NGは枯渇しつつあると信じられていたが、21世紀に入る前後に、シェール層(浸透率が極めて低い岩盤)からNGを採取する『水平掘削技術』、『水平坑井への多段階水圧破壊技術』というようなNG掘削技術の『革新』があった結果として、米国のNG埋蔵量は約2千兆?3以上になると推定され(イラクの石油埋蔵量の約3倍に当るとのこと)、その生産量および消費量は急増しているという。

 米国のこのようなNG事情を受けて、現在、カナダ、ロシア、中国、インド、オーストラリア、その他諸国でシェール層NGが発見されて、NG市場が急速にグローバル化しつつあるという(08年で、少なくとも41ヶ国で、日産10億?3以上のNGを生産しているとのこと)。このような訳で、日本も含め、NG貿易の急増、同発電設備の増強は、当分の間、世界の趨勢となりつつある。
 最後は、原子力発電の評価である。本書は、福島原発の事故前に執筆されたものであるが、筆者の意図を酌めば、事故後に書かれたとしても、恐らくその主張には殆ど変わらなかったであろう。
 その根拠は、以下のような原子炉関連技術開発の将来展望にある。即ち第一に、原子力発電は、パワー密度が最も高く、石炭・石油の総発電に占める比率を低下させる唯一の常時稼働電力源であり、第二に、確かに原子力発電は設備費は高いが、その他発電設備との長期的な原料費、償却費や操業率などを含む総合比較が 必要であり、第三に、原子炉固形廃棄物の処理は、フランス(最近、廃棄物処理所で原因不明の小爆発があったが)、ロシアや日本などで技術的に高度に発達しつつあり、第四に、将来的には、従来型よりも、安全性とパワーとがより優れている、新しいデザインの大型原子炉も開発途上にあり、更に、原子力艦の技術を応用して、コストが安く、モジュール化した、液化ナトリウムで冷却する地下式小型原子炉が、東芝や米国企業などでテストされているなど、筆者は、将来における原子力発電の優位性を、自信を持って主張している。

 以上、米国ではN2N、即ち、当面の一次エネルギーの主役はシェール層NGが担うべきであり、20〜40年先の長期的視点からは、技術的に進歩した原子力発電を主流にすることが、米国の最も現実的な長期エネルギー政策であるとしている。

 このような結論については、エネルギー問題については全くの素人である評者には、批判もコメントもできない。ただ、素人でも提起できるのは、以下のような問題である。即ち、天文学的な埋蔵量が発見されたシェール層NGという、豊富で低廉な近未来一次エネルギー資源が発見された米国などとは違い、わが国は、今後共にNGなど炭化水素源の総てを輸入に俟たねばならない上、『再生可能エネルギー』も、主としてそのパワー密度が小さい故に、到底、大宗的な発電設備としての地位を確立し得るとは考えられず、更に福島原発事故以来、原子力発電は危険過ぎて、新設は愚か、既存設備の稼働も絶対反対という国を挙げての大合唱の下で、今後、環境に優しく、しかも経済的に優位で、大容量の電力を供給できるような、わが国の『長期的エネルギー政策』を、どのようにして組み立てていくかという大難問である。

 

 

『死にたい老人』
(木谷恭介著  幻冬舎新書) 

石井 義高   


 「ひとは生きて来たように死ぬ」という箴言がある。自分の人生の総決算として「断食安楽死」を決意した著者が、決意をした経緯、実行する為の準備、そして実行過程を克明に告白した本である。
生きることの難しさは誰でも経験しているが、死ぬこともなかなか難しいものである事を改めて考えさせられる。特に後期高齢者の皆さんには是非読んでみて欲しい異色の本である。

著者は1927年11月2日生れの小説家。75歳を境に自分を老人だと感じる様になり、80歳の時にある決心をする。
「自分はこれまで一生懸命に生きて来た。これ以上、生きることに執着して、ほかの人に迷惑をかけるより、あと2年間目いっぱい生き、82歳になったら身辺整理をして、83歳の誕生日に断食に入り、からだからエネルギーを落として行き、枯れるように死んで行こう」と云うのである。この決心を2007年発表の作品の「あとがき」で公表している。

当初計画していた83歳誕生日からは遅れたが2011年2月に実行に着手する。
日本の法律では安楽死を認めていないので、「断食安楽死」も自殺の一種になり、それに関わった人は「自殺幇助」になる。それどころか安楽死をしようとしている人を知りながら119番通報をしないと「保護責任者遺棄致死」に問われるかもしれない。従って計画実行を他人に知られてはいけないと独り者の彼はお手伝いさんの契約も解除し、差し当たりのレトルト食品などを準備し、部屋を模様替えして日々の記録を書くためのパソコンの近くにベッドを移し、2月11日から断食準備の食事制限に入り、日々の体重、血圧、心拍数、体調などの記録を始める。

2月15日いよいよ断食突入。食事はもちろん、菓子、果物などは一切口にしないが、水は飲みたいだけ飲む。持病で医師から処方されていた薬は飲むと云うルールで断食を始める。
断食25日目の3月11日、東日本大震災、原発事故の模様をテレビで見て驚く。何十万と云う被災者が「生きるために必死の努力」をしているのに、自分は「生きることを放棄する」ために苦闘している。被災者に何の寄与も出来ないうえに病気がちで国民健康保険を食いつぶしている。いわば穀つぶしの身だと考えながら断食を継続。

37日目の3月23日胃痛に耐えられなくなり、かかりつけの医者に行くとケアハウスに入るか市の給食を頼むように勧められる。やむを得ず断食を一旦中止して再挑戦を期して38日間で断食を止める。
4月26日、再度断食開始。9日目の5月4日胃に刺すような激痛が走り、冷蔵庫に残っていた牛乳を飲む。死を願っているのだが腹膜炎で死ぬのは本意でないと考えて断食から撤収する。

5月23日、断食再開を予定していたが、いろいろ考えている中に死が嫌だ、恐ろしいと感じるようになってきた。「断食行」には悟りが必要であるらしい。考え抜いて、準備を整えて、始めた筈の断食であったが悟り抜きでは完遂は無理らしいとして、断食を断念する。

2011年9月30日、この本の第1刷が出版された。「死にたい老人」の「断食安楽死」失敗の記録である。

 

ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

『中国流の震災からの復興と政治の活性化』
 岡田桂典 



中国通から聞きました。ある村が大洪水に襲われたそうです。省の総書記が直ちに命令しました。「トラックに人民元を山積みにして、どんどん配れ」。おカネが来たというので村民は狂喜し、商人どもが殺到してあっという間に復興したのだそうです。おカネはどうするのですかと聞かれて、総書記曰く、「銀行に刷らせろ」、不良債権になるのではと心配すると、「帳簿に載せなければ良い」、インフレになるのではとの不安には、「その時はおカネを集めて燃やせ」

災害は緊急事態です。政治のトップが責任を持っておカネをどう作り、どう使うかを直ちに決断する。お役人は平時とは違うのですから法律、政令がどうだ、予算、省の縄張りだと言わないで直ちに実行する。中央政府が予算の細かい使い方を決めたり、工法・基準等を地方に押し付けないで、この村の例だとおカネを送れば近隣から人を集め、伝統工法(流木・岩石・粘土度等を使い)で堤防も家も田んぼも直ちに修復できます。“おカネに働いてもらう”のが最も早く無駄がなく能率的な生活再建方法でしょう。基本的インフラの再建は中央がゆっくりやれば良いのです。

中国は民主国ではない、つまらぬたわごとを言うなと叱られそうです。確かに中国は共産党独裁ですが、究極は人民の支持がないと存在しえないのです。神戸地震でも東北大震災でも被災者が一番不安に思ったのはおカネがないことだったそうです。直ちに一人当たり月10万円配っても30万人で300億円、義捐金だけでも6000億円超えるのです。どうして出来ないのか。大震災からの復興の司令塔である復興庁の設立が来年2月と聞くと冗談か悪夢としか思えません。

政府はおカネがないからまず増税と言っているようですが、中国流におカネを作れという人たちもいます。「日本経済すべての悪はデフレだ、政府紙幣40兆円を出せばデフレも復興も片付く」(三宅久之さん))、「埋蔵金が650兆円ある(高橋洋一さん)」、岩田元日銀副総裁は「日銀が欧州金融安定資金に50兆円出せ」と主張しています。そうして円安にしろ、為替レートと経済成長率は連動するから円安になると名目GDPと税収は増える(2000年以降の実績)、増税は必要がないのだそうです。日本でもこの鬱陶しい世の中を一回だけでもぱっと明るくするために、直ちに“政府がおカネを作る”、“おカネに働いてもらう”、“当初の生活再建は地元に任せる”、で大震災の復興をやってみたらどうでしょう。

どうして日本政府は動かないのか。大阪の橋下新市長のTVでの発言は明快でした。“私は大阪都構想を初め、何を合理化すると訴えて市民の信託を得た。ゆえに議会も役所も私がやることに反対できない。日本の首相には権限がない。首相公選を導入しないと日本の政治は動けない」。

残念なことに首相公選は憲法改正が必要です。一つの対策は各党が党首を全国の党員で徹底的に選び、党首が首相になったら任期はなしとして全党員が支持するというのが最善でしょう。同時に生きた政治が実感できるように、経済、国民の福祉政策等は最短4年の任期があり、自分の主張を直接国民に支持してもらえる首長が各地方の実情に応じて行うのが良いと思います。48都道府県は多すぎますので、道州制にして、中央政府の規制等の権限と収入・支出決定の権限を地方に移すべきです。中央と地方がこの両論を実行出来れば日本に光がさしそうです。まず政治家であることが既特権の現状を破らねばならないようですが、新しい動きに期待しましょう。

 

 


今年の年賀状には一陽来復と記しました。三省堂「明解四字熟語辞典」によれば、「冬が終わり春が来ること。また、悪い事が続いた後で幸運に向かうこと。」とあります。
「易経(えききょう)」の「地雷復」の項から一人歩きを始めた言葉で、「復」には元々「戻る」という意味があり、六本の卦(け)が上から「陰」が五つ並び、一番下に「陽」の卦が立った状態で、この一つの「陽」が「復」の卦です。太陽が夜の闇の中に姿を隠し、この世を暗黒が支配していたが、しかし、明かぬ夜はないように、再び、陽が確実に昇ってくるその時の一条の光が、地上に光明を放つ。これがこの卦のイメージだそうです。 今年はぜひ「復」の卦となって欲しいものです。
今号も多面的なご寄稿をいただきありがとうございました。

皆様には本年がいい年であることを心からお祈り申し上げます。
(H.O)





 
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