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■2007年12月15日号 <vol.96>
書評 ─────────────


・ 書評    船渡 尚男    『秘花』
・ 書評    山本 俊一郎   『葉隠』

・【私の一言】岡本 弘昭    『魔法の言葉』


2007年12月15日 VOL.96


『秘花』
著者瀬戸内寂聴    出版社:新潮社
    

船渡 尚男  


  世阿弥の生涯を中味濃くえがいたもの。義満の庇護のもと奈良の一座が京のトップの座元に躍り出るプロセスの回想、息子の死、次男の離反、そのなかで能,謡の芸道の大成に努力する様子を描く。
 世阿弥の伝記のなかで、もっともすぐれている。
 現在演ぜられている能の大部分は、世阿弥前後3代で完成された。室町から江戸時代まで宮廷、武士、そして庶民にいたるまで強く支持され、愛好されたからである。
 このことは、黄表紙や滑稽本などにごく自然に謡曲の詩章が取り入れられていることから、明らかである。

 
『葉隠』
山本常朝口述、田代陣基筆記

出版社:岩波文庫(上中下)
 
山本 俊一郎 


 「武士道とは死ぬことと見つけたり。」の言葉でよく知られている。
 この本は、 鍋島藩(佐賀)の藩士で第二代藩主鍋島光茂の側近く仕えた山本常朝の口述を田代陣基が1710年〜1716年、7年間に亘り筆記したものとされている。そのためか一部重複する部分がある。
 本文は、「夜陰の閑談」という序文に始まり、聞書第一卷から第十一巻合計約600頁に亘る書で、今は用法が違う文字もある。序文から聞書第二卷までと第三卷以降は多少文体が違うところがあり、合作部分があるかもしれない。
 この本はいろいろな読み方ができる。「死に狂い」、「気違い」などという過激な表現が多いためであろう、以前から「奇異なる書」、「奇妙なる経典」などともいわれ(大隈重信)、かつては軍部がこの表現を利用して兵士を死地に赴かせたということもあった。しかし、必ずしも死を賛美するだけが目的ではないようである。封建時代の本なので、領主への忠誠を第一にしているのは当然だが、生き方のモデルが多数例示されていて、これが不思議な魅力を感じさせる。侍の心得を述べたものに違いないが、大部分は侍達の逸話や生活の心得を説いたもので、それらのうちには現在なお通用する部分もあるように思われる。
 中には、「人生は短いのだから好きなことをして生きるのがいい。だが、理解のされ方では若者にはよくないことがあるので若者達には決して云わないことにしている」という文章もあって、ただの堅物ではないことを窺わせる。
 山本常朝が生まれた頃は、大阪夏の陣が終り豊臣家が滅亡して元和偃武といわれる平和な時代になって約50年ほど経過していた。1661年には殉死も禁止され、侍達も血腥いことを避けるようになっていた。この点、戦後63年間、平和を享受してきた現代とも共通するように思われる。
 「・・・男の気おとろえ、女同然になり・・・」と男性の女性化がいわれ、また「・・・三十年来風規打ち替り、若侍どもの出合ひの咄に、金銀の噂、損徳の考え、内證事の咄、衣装の吟味、色欲の雑談ばかりにて、・・・」という武士社会の風俗の変遷も書かれている。
 日本人の倫理観を海外に紹介する目的で書かれた新渡戸稲造の「武士道」と併せて読むと、両者の違いがよく理解できるように思われる。

 
 
 
  

 

ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

『魔法の言葉』
岡本 弘昭

  この春から本格的に始まる年金需給分割制度と、団塊の世代の定年退職が大きな要因で、今年から熟年夫婦の離婚が爆発的に増えるそうです。熟年離婚は、子育てに目処が付き、社会的責任を終えた途端に、配偶者への不満と嫌気からストレスが一気に爆発し、もう一度自分のための人生にチャレンジ出来るような気がする場合に実行されるそうです。
最近読んだ新聞記事によると、これを回避するには、夫婦と言えども、普段から、「有難う」「すみません」「愛している」と言う言葉を十分に使いこなす生活態度が肝心で、これは取敢えず粉飾でもいいとのことです。
最近ツキを呼ぶ魔法の言葉と言う本が爆発的に売れていると言われています。

この本には、いやなことがあれば「ありがとう」、いいことがあれば「感謝します」、いつも前向きに「ツイてる」という言葉を常用することを勧め、これらの日々の出来事に対する感謝する言葉が、心を変え習慣を変えツキを呼んでくるということを指摘したものです。
つまり、これらの言葉を口にすることで、自然とポジティブな気持ちになり、物事に素直に感謝出来るようになると言うことで、これらは「魔法の言葉」と言うことになります。
上記のいずれの話も、感謝をあらわす言葉を口にすることで、言葉が心に作用して、感謝をする心が本当に湧き上がり、いい結果が生まれると指摘していると言えます。

所で、我々は日常の生活でどの程度感謝の意を表しているでしょうか。上記の記事の記者が一日の生活で発していた「有難う」と言う言葉は、せいぜい10回程度だったそうです。最近の我々の生活には、文字通りいやなことに対しても有難うというという言葉を発する気持ちが足りなすぎてギスギスしているような気もします。
来年からは日々の出来事に対する感謝する魔法の言葉を生かして使いたいものと考えていますが。


∴∴∴∴《編集後記》∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴

  今年も押し詰まってきました。ある日突然に総理大臣が辞任したり、為替、株式が乱高下したり原油価格が2倍になったり、いろいろなことが多い一年であったように思います。
来年は戊子の年ですがどんな年になりますか。 


福島の干支についての昔話
昔々の大昔のある年の暮れのこと、神様が動物たちにお触れを出したそうな。「元日の朝、新年の挨拶に出かけて来い。一番早く来た者から十二番目の者までは、順にそれぞれ一年の間、動物の大将にしてやろう」動物たちは、おらが一番とて、めいめいが気張って元日が来るのを待っておった。ところが猫は神様のところにいつ行くのか忘れてしまったので、ねずみに訊くと、ねずみはわざと一日遅れの日を教えてやった。猫はねずみが言うのを間に受けて、喜んで帰っていったと。さて元日になると、牛は「おらは歩くのが遅いだで、一足早く出かけるべ」とて夜のうちから支度をし、まだ暗いのに出発した。牛小屋の天井でこれを見ていたねずみは、ぽんと牛の背中に飛び乗った。そんなこととは知らず、牛が神様の御殿に近付いてみると、まだ誰も来ていない。我こそ一番と喜んで待つうちに門が開いた。とたんに牛の背中からねずみが飛び降り、ちょろちょろっと走って一番になってしまった。それで牛は二番、それから虎、兎、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪の順で着いた。猫は一日遅れで行ったものだから番外で仲間に入れなかった。それでねずみを恨んで、今が今でもねずみを追い回すのだそうな。
 
 この類話は日本全国に伝わっており、遅れてきた猫が神様に 「顔を洗って出直して来い」と怒られて、以来猫が顔を洗うようになったとか、猫がお釈迦様の薬を取りに行ったねずみを食べてしまったために十二支に入れてもらえなかった。 などというものもあるそうです。
どうぞいい年をお迎えください。今年一年のご支援ご協力有難う御座いました。(HO)








 
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