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■2010年9月1日号 <vol.161>

書評 ─────────────

・書評    堤 貞夫  『孫の力 ― 誰もしたことのない観察の記録』
               (島 泰三著 中公新書)
・書評    石川勝敏  『マグネシウム文明論』 
                (矢部 孝・山路 達也著 PHP新書) 

・【私の一言】 新田恭隆 『音楽事始』





2010年9月1日 VOL.161


『孫の力 ― 誰もしたことのない観察の記録』 
(島 泰三著    中公新書  )

堤 貞夫    

島先生は、京都大学名誉教授、(財)日本モンキーセンター理事長をしておられ、2008年には国際霊長類学会生涯功労賞を受賞された大生物学者であられる。
このご本は、世の中に普遍的な、孫のことには無条件大甘のおじいちゃんの立場から、猿学の恩師からの『それは誰もやったことの無い観察やないか!』という激励に応え、6年にわたる可愛い孫娘の観察記録を取りまとめられたものである。
生まれてから6年は、どの子もほとんど同じ発達の道筋を通るもので、6歳以降がその子らしさが現れる。しかしその最初の6年こそ、心が花のように開く奇跡としか言いようのない事件が起こる時代であり、その奇跡に立ち会えたのは実に幸せなことだった、と先生は書いておられる。
ほほえみの生まれるとき
生後3ヶ月の孫娘は祖母に抱かれてじっとこちらを見ていて、私が笑いかけると、はじめてはっきりと笑った。それは衝撃だった。見守っている者の心を溶かしてしまう表情だ。これは、どの赤ん坊も通る「社会的な笑い」と呼ばれる表情だが、このような笑顔は他の動物にはまったくない。
赤ん坊は奇跡である。
サルたちの脳は、母親の子宮の中でほとんど完成している。しかし、人間は全くちがう。生まれたばかりの赤ん坊の脳の容積はチンパンジーのオトナとほとんど同じだが、人間の脳は生まれてから発達する。生まれて半年で倍、2歳までに3倍、4歳までに4倍。ニホンザルの赤ん坊は、半年になるとグループを作って走り回る。ヒトは7ヶ月で寝返り程度と体の発達の未熟さは著しく、赤ん坊の取り扱いはどの動物よりむつかしい。
初めての芸と遊び
孫娘は、4ヶ月で親達の表情を判断し見知った顔を見分け、多様な音を出し、8ヶ月で祖父母をはっきりと認めて笑う。生後10ヶ月、名前を呼ぶと片手を挙げる、ほめて全員で手をたたくと得意になり、とてもうれしいという顔をする。イヌは、命令―服従型だが、サルは命令をきかない。禁止すると裏をかく方法を探す。
私達は孫娘が何をしても、ほめ続けた。ほめられてうれしくて弾む心を作っておけば、あとになって禁止されたり、否定されたりしても、強気で対応できるだろう。
このあと6歳になるまで、孫娘の相手を本気でする祖父、いつも笑い転げて大好きな祖母の近くで、さまざまな奇跡の事件と共に成長する孫娘が描かれる。まことに楽しく、教訓に満ちた本である。各節巻頭のヘルダーリンの詩も、筆者の教養を表している。

私の家は2男1女に恵まれたが、遅い孫が各家に生まれて、今年0歳2歳4歳となる。あと6年の間、多くを教えてくれる本に出合えて楽しみなことである。


『マグネシウム文明論 』 
(矢部 孝、山路 達也著 PHP新書)

石川 勝敏   

矢部 孝 東京工大卒 東京工大教授 国際計算力学連合理事 国際数値流体力学会名誉フエロー 英国王立研究所創立200周年記念講演実施
山路 達也 雑誌編集者を経てフリーランスのテクニカルライター

 この著書を読んで近い将来マグネシウム文明が成立しそうな事をはじめて知った。日本のメデイアはとりあげた事はないと思う。政府のエネルギー政策にとりあげられた事もない。タイム誌は2009年Heroes of the Environmentに選んだ。著書の概要は次の通りであるが是非一読をお薦めしたい。
 石油の次のエネルギーは何か。日本のエネルギー政策は曖昧で具体的な政策が無いまま、
炭酸ガス排出量25%削減だけが一人歩きしている。著者は海水に含まれるマグネシウムを太陽光レーザーで金属マグネシウムに精錬し自動車や火力発電所の燃料とし、使用後の酸化マグネシウムを太陽光レーザーで再精錬するマグネシウム循環社会を近い将来成立させたいとしている。
石油石炭は将来の供給に不安がある上に環境問題を引き起こしている。原子力発電のウランにも供給不安がある。
海水中には1800兆トンのマグネシウムがある。世界のエネルギー消費量は石油換算で年100億トン以上であるが海水中のマグネシウムで賄えば10万年分に相当する。その上マグネシウムは簡単にリサイクルできる。
太陽光電池で日本のエネルギーを賄うとすると、国土の6割を電池で覆う必要がある。
水素社会は高圧で爆発しやすい水素タンクを地下に多数埋蔵する必要がある。
リチウム電池の電気自動車が普及するとリチウム資源が不足する上充電インフラに問題がある。現在の逆浸透膜法の海水淡水化技術はコストが高い上に、世界の水不足に対応するには世界の発電量を5割増やさなければならない。
 そこで太陽熱温水器とローラーによるコストの安い淡水化設備を稼働させ、太陽光レーザーで残りの海水から金属マグネシウムを製造する。海水中の塩化マグネシウムに熱を加えて酸化マグネシウムにし、太陽光励起レーザーで酸化マグネシウムを金属マグネシウムに精錬する。太陽熱温水器とローラーによる淡水化設備は既に開発済みであり、2010年には1000台販売の見込みである。
太陽光レーザー発生装置は既に80ワットになっており、レンズと媒質の改良で金属精錬に必要な400ワットの設備は間もなく開発される。金属マグネシウムは1キロ250円から600円であるが、淡水化設備とマグネシウム精錬を組み合わせれば1キロ150円にできる可能性がある。コストがここまで下がればコンビニで買ったマグネシウムを自動車の空気電池に使用し、使用済みの酸化マグネシウムはリサイクルのためコンビニで引き取ってもらう。
発電所では金属マグネシウムと水を反応させて蒸気タービンをまわす。普通の電気自動車と既設の電力インフラをそのまま使える。これでマグネシウム循環社会が実現できる。

 

ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

『音楽事始』
新田恭隆

昭和二十三年十二月二十日、併設中学三年生であった私は公会堂で午後三時三十分から始まるエルネスト・トマシッチのバイオリン独奏会に行った。最近見付けた私の日記の断片に書いてある。翌二十四年一月二十五日には小島幸(ソプラノ)とピア二スト(氏名不詳)のジョイントコンサート、二月十五日には関西交響楽団(朝比奈隆指揮で田園など)の公演に行っている。十二月十五日に「学生音楽連盟十二月分30円」の記載があるので、これらの演奏会は学生音楽連盟という団体の主催であったと推定される。
終戦後数年間は西国の小さな城下町にも多くの音楽家が訪れた。上記の音楽家たちは主に関西で活躍していたメンバーであるが、東京からも私の記憶では諏訪根自子、日本交響楽団など、さらには藤原歌劇団や貝谷バレエ団も来演した。桐竹紋十郎の人形浄瑠璃を中学の講堂で見た気もする。
戦後焼野原と化した大都会では演奏会開催もままならず地方公演は大事な仕事であったのであろう。しかしそのうちにいつのまにか音楽家の来訪は少なくなってきた。次第に地方公演を行う必要性がなくなってきたのかも知れない。
この頃ラジオでは堀内敬三の「音楽の泉」が始まった。日曜日の朝シューベルトの「楽興の時」が聴こえてくると毎週様々なクラシックの曲が紹介され、私も熱心に聴いたものである。今朝丁度日曜日なので8時にNHKラジオのスイッチを入れてみたら「学興の時」が流れてきた。「音楽の泉」は数少ない長寿番組なのではないか。その頃ある深窓の麗人の山深い本宅を訪れた時、分厚い名曲のレコードアルバムを聴かせて貰ったことを思い出した。
  
少し遡るが、終戦の翌年にはこの町にも英会話教室が開かれていた。私もそこへ通うことになったが、覚えているのはセンチメンタルジャーニーとか国境の南などのアメリカのヒットソングを教えてもらったことである。またある友人から聞いた進駐軍放送のWVTRを根気よくチューニングしてはポピュラー音楽番組を聴いた。最近テレビCMか何かのバックミュージックで サウスオブザボーダー ダウンメキシコウェイ という聞き覚えのある歌が流れて来た時にはさすがに懐かしかった。懐かしいと言えば、これも最近、夜中に目が覚めてラジオ深夜便のスイッチを入れたらナンシー梅木の甘い歌声が飛び込んできた。
中学のころか高校に上ってからであったか、友人がシャンソンというジャンルを発見し、モーリス・シュバリエがいいということになった。友人が町のレコード屋で「ゾゾの帽子」、「マ・ポンム」などというシャンソンのレコードを買ってきたので一緒に聞いてみた。これが本物のシャンソンなのだと意味も分からぬまま何回も聴いていた。
 
大学に入って東京に行くとレベルは高かった。ある友達が一度オーケストラの指揮をしてみたいと言ったのには驚いた。音楽鑑賞とか楽器の演奏ではないのである。私はと言えば、日響にいた従兄弟にきらきら星変奏曲の手ほどきを受けていた頃である。蛇足ながら、その時使っていたバイオリンは就職してからであるが数本のゴルフクラブに変った。
あの頃から六十年も経ってしまった。最近は、クラシックといえば時たまFMの「クラシックカフェ」という番組を聴く位のものである。1940,50年代のアメリカなどのポピュラー曲も聴きたいのであるが、テレビもラジオもそのようなものは流していない。

 

 

ギリシャ神話にパンドラの箱というのがあります。”ある日パンドラは好奇心に負けて開けてはいけない箱を開いてしまう。すると、そこから様々な災い(エリスやニュクスの子供たち、疫病、悲嘆、欠乏、犯罪などなど)が飛び出し、パンドラは慌ててその箱を閉めるが、既に一つを除いて全て飛び去った後であった。 最後に残ったものは予知する能力であった。”というものです。
このため、良いことも悪いことも予知出来ない人間は、将来に不安と同時に希望を持って生きていけば途が開けるという寓意だと思われます。
最近、この”パンドラの箱”を開けるという言い回しがよく使われていますが、これは世界的に災いをもたらしかねない”箱”が満ちているということなのでしょう。日本では政治の混迷もあり、”パンドラの箱”対策の希望や期待も少ないようです。未来が開ける政治を期待したいものです。
今号も多面的なご寄稿有難う御座いました。(HO)




 
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