イソップ物語に「アリとキリギリス」があります。
働き者のアリは、暑い夏中せっせと食糧を集めて、寒い冬に備えていましたが、キリギリスは、アリが働くのを横目で見つつ、その間中、大好きなバイオリンを弾き続け、とうとう着の身着のままで冬を迎えました。
キリギリスは食べ物も無く、お腹が空いて虫の仲間の家を訪ね無心して回りましたが、どの虫からも余裕がないと断られました。
そこでキリギリスは、止むに止まれず、アリの家に無心に行きアリの好意でやっと食べ物にありついたと記憶している話です。
これは私の記憶によるものでありますが、この物語の解釈は、時代により、あるいは場所により随分と異なっているようです。
例えば、戦後(1945年)〜1997年4月に出版されたイソップ寓話107冊のうち、
アリがキリギリスに食べ物を分けてやらない話は (65冊)、
食べ物を分けてやる話は (31冊)、
食べ物をやったかどうか判らない話は (11冊)、
に分けられるそうです。
世界中の多くの国では、盛者必衰のたとえどおり、アリは餓死したキリギリスを食べたという結末だそうです。怠惰・浅慮への警告であり、甘い考えはよしたほうがいいという教えで、これが原典のようです。
日本の場合は、良く働くことが大切であり、怠けはその報いを受けるという勧善懲悪思想を含み、結論として、冬になって親切なアリは、キリギリスに食べ物を与えるという、時の強者が弱者に施しをするという温情を加えた結末が多いようです。
ところで、米国の小学1年の教科書では、キリギリスは冬になってもアリに食べ物を求めたりせず、食べ物を蓄えなかったことを後悔し、来年は準備しておこうと誓いを立てることになっているそうです。つまり、自己責任や自立心を教える話となっているそうです。
日本の温かい人間関係や自己犠牲をたたえる寓意とは対照的に思えます。
最近のサブプライムローンに発する様々な社会事象には、例えば、民間の企業に国家が財政を発動し救済するケース等このイソップ物語の結末のように色々考えさせられる問題があるようです。
わが国の温かい人間関係や自己犠牲も決して悪いものではありませんが、世界で処する為には、ある種の厳しさも必要ですし、甘えは禁物です。
アリとキリギリスの寓意からも、われわれは、常日頃から自立心、自己責任も付加した厳しさを意識し物事に対応することが必要でないかと考える昨今です。
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