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■2009年8月1日号 <vol.135>

書評 ─────────────
 
・ 書評   山本俊一郎   『大暴落1929』
               ジョン・K・ガルブレイス著  
               村井章子訳  日経BP社
・ 書評   浅川博道    『アホは神の望み』村上和雄著 サンマーク出版

・【私の一言】岡本弘昭   『アリとキリギリス』





2009年8月1日 VOL.135


『大暴落 1929』
著者ジョン.K. ガルブレイス 訳者:村井章子 
出版社:日経BP社

山本俊一郎    

 政府関係者がよく用いる「百年に一度の大不況」という言葉は、昨年8月、元連邦FRB議長グリーンスパンが「百年に一度か二度の出来事」と云ったことからだそうだが、これは1929年(昭和4年)のN.Y.株式暴落に始まる大恐慌を指していると思われる。

 当時について、現在多くの書店に平積みで置かれている本書は古典的名著といえるだろう。著者は先年物故したがハーバード大学経済学部教授を務め、「豊かな社会」や「不確実性の時代」でも評判を呼んだ人だ。彼がこの本を書いたのは、大暴落26年後だが、以後不況到来の都度、再版されている。大暴落当時、彼は21歳の若者で、大恐慌の印象は鮮烈だっただろう。

 今次の不況でもそうだが、アメリカの金融界に君臨していた実力者達は貪欲で節度がなかったようだ。大暴落は1929年の10月24日とされているが、その直前までは空前の好景気に湧いていて富裕層は勿論、メイドやウエイターも株式相場を話題にし、小口購入していたという。

 政府はウォール街の金融に殆ど関与せず、ニューヨーク証券取引所、JPモーガンなど実力者の手に委ねられ、政治が金融に関与するようになったのは大恐慌以後という。

 大恐慌のきっかけはニューヨーク証券取引所の暴落だが、なぜそうなったかは、よく判っていないという。当時、わが国でも大学卒業生就職率は30%台といわれ「大学は出たけれど」という映画にもなった。

 大恐慌前の10年間、つまり1918年の第一次世界大戦終了後は、アメリカ社会が大きく変貌した時代だった。1920年代半ばにはフロリダのリゾート開発に人気が集まり、人々は転売を目的にした値ざや稼ぎ目的で不動産を買い漁った。不動産バブルは、わが国でも起きた北海道の原野商法に似た状態となり、最後にハリケーンがフロリダを2度襲ったためバブルがはじけた。

 わが国の東北地方では冷害が続き、娘を売る農家が続出した。冷害は宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩に「寒サノ夏ハオロオロ歩キ」と表現されている。都会の不景気に加えて東北では凶作にも襲われた。次第に不穏な状況となり右翼が台頭し、陸軍の青年将校達による5.15事件、2.26事件などテロ・叛乱が発生、更には満州事変、日中事変、最後に大東亜戦争へとつながる。

 今回の不況が前回と同じ経過を辿りはしないだろうが、大恐慌の歴史は我々にとっても教訓的である。



『アホは神の望み』
著者村上和雄  出版社:サンマーク出版

浅川 博道    

 このごろ「日本から笑顔が減ったな」、この思いから本書は始まる。笑いは心を解放させる行為。それが少ないということは、人々の心から余裕が失われて、社会に緊張感や閉塞感がはびこっている証拠である。

 著者はバイオテクノロジーの世界的権威だが、吉本興業とタイアップして取り組んでいるのが遺伝子と笑いの研究。その研究では、漫才を聴いてさんざん笑った後は、糖尿病患者の血糖値がグンと下がったという実験結果も得ている。

笑いは薬、それも「副作用のない薬」であることが分かり始めている。

 冒頭から笑いに触れてきたのは、苦しい時でも笑っていられるような「器の大きなバカ」、「素直で正直なアホ」が今こそ必要というのが、本書の主題となっているからである。心と遺伝子の研究を生涯のテーマに据え、たどり着いた究極の知恵が、神の望むこの愚かで深い生き方である。

 愚直であれというのは、それだけ利口な人が増えていることである。頭の回転が速く、機を見るに敏、決められた道を最短距離…。しかし、その利口さのスケールがどこか小さい、しかも倣慢になりやすいというのが著者の指摘である。正解のない学問研究の分野では、鈍くて大きな人が一番遠くまで行く。

 最後に紹介しておきたいのが、「インテリの悲観論よりアホの楽観論」の一節。日本人は非常に心配性で、一部の悪材料を必要以上に拡大解釈して、悩みの種を自分で広げている。なぜか。悲観的なことは高尚めいて見え、だからインテリと称される人ほど悲観論をぶちたがる。厳しい事態に直面して、今求められるものはアホの楽観論である。

 

ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

『アリとキリギリス』
岡本弘昭

 イソップ物語に「アリとキリギリス」があります。

働き者のアリは、暑い夏中せっせと食糧を集めて、寒い冬に備えていましたが、キリギリスは、アリが働くのを横目で見つつ、その間中、大好きなバイオリンを弾き続け、とうとう着の身着のままで冬を迎えました。 

キリギリスは食べ物も無く、お腹が空いて虫の仲間の家を訪ね無心して回りましたが、どの虫からも余裕がないと断られました。

そこでキリギリスは、止むに止まれず、アリの家に無心に行きアリの好意でやっと食べ物にありついたと記憶している話です。 これは私の記憶によるものでありますが、この物語の解釈は、時代により、あるいは場所により随分と異なっているようです。

例えば、戦後(1945年)〜1997年4月に出版されたイソップ寓話107冊のうち、
アリがキリギリスに食べ物を分けてやらない話は (65冊)、
食べ物を分けてやる話は (31冊)、
食べ物をやったかどうか判らない話は (11冊)、
に分けられるそうです。

世界中の多くの国では、盛者必衰のたとえどおり、アリは餓死したキリギリスを食べたという結末だそうです。怠惰・浅慮への警告であり、甘い考えはよしたほうがいいという教えで、これが原典のようです。

日本の場合は、良く働くことが大切であり、怠けはその報いを受けるという勧善懲悪思想を含み、結論として、冬になって親切なアリは、キリギリスに食べ物を与えるという、時の強者が弱者に施しをするという温情を加えた結末が多いようです。

ところで、米国の小学1年の教科書では、キリギリスは冬になってもアリに食べ物を求めたりせず、食べ物を蓄えなかったことを後悔し、来年は準備しておこうと誓いを立てることになっているそうです。つまり、自己責任や自立心を教える話となっているそうです。

日本の温かい人間関係や自己犠牲をたたえる寓意とは対照的に思えます。
最近のサブプライムローンに発する様々な社会事象には、例えば、民間の企業に国家が財政を発動し救済するケース等このイソップ物語の結末のように色々考えさせられる問題があるようです。

わが国の温かい人間関係や自己犠牲も決して悪いものではありませんが、世界で処する為には、ある種の厳しさも必要ですし、甘えは禁物です。

アリとキリギリスの寓意からも、われわれは、常日頃から自立心、自己責任も付加した厳しさを意識し物事に対応することが必要でないかと考える昨今です。

 

 

 

 ご多忙の中 、多岐に亘る書評・一言のご寄稿をいただき大変有難うございました。
いよいよ今年も暑い8月になりました。くれぐれもご自愛の上お過ごしください
(HO)

 

 

 




 
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