2011年3月11日の東日本地震による原子力発電所の事故と、それに対する東京電力の経営陣の姿勢には恐怖に近い怒りを感じた。
地域独占企業が事なかれ主義で、世の中や顧客不在の企業風土の上にあぐらをかいて、このような大災害への危機管理能力を持たなかった事に驚いた。
3月30日付朝日新聞の天声人語に、2000年に逝かれた高木氏の講演の引用があり、知人から借りて本書を読むことができた。
著者は東大の物理学科で核化学を専攻され、日本原子力事業、東京大学原子核研究所、東京都立大学助教授を14年間で経験され、原子力の充分な安全管
理の見通しを欠いた国策や大企業の姿勢に危機感を感じて職を辞し、1975年 に原子力資料情報室を同志と共に設立されて25年間、逝かれるまで、在野で
プルトニュウムの危険性を中心に原子力産業の危険性について論陣を張り、世界的に認められていた。
産業革命以来、木材、石炭、更に石油、天然ガスへと、エネルギー依存はその膨大な需要増加に血迷ったように遍歴して、化石燃料の枯渇見通しから各
国とも十分な安全管理見通しを欠いたまま、原子力エネルギーに飛びついたのが実情である。
日本は明治以来の西欧追随姿勢でみんなで渡れば怖くない式で原子力発電を導入した。使用済み核燃料の処理や天災対応に充分な対策や見通しがないま
ま、高度成長行進曲と共に導入し、甘い経営体質の地域独占企業である電力会社に事業が託されたのである。その結果が立地条件、設計基準、操業訓練
など全てに甘い企業風土の中で天災に襲われたのである。
しかし、本書を読んで行くに従って、それじゃあお前はどうなんだと自分自身に対する疑問が強烈に湧いてきた。大学を出て、大企業に勤めて、安穏な家庭にぬくぬくと体制順応で現状肯定にあぐらをかいて来ただけではないか。
世の中の不条理や不幸に目も向けず、企業エゴイズムに無批判に迎合して事なかれベースで定年を向かえ、こたつに入って、辛辣な批判のみに生きてい
る嫌みな爺いに過ぎないではないか。
著者は原子力企業に入社して、国策として遂行される原子力利用の危うさと見通しのなさを痛感され、疑問を呈して体制と衝突して職を辞され、野に下って25年、原子力利用の危険性を世に訴えて来られた。彼の人生観のベースは少年時代に読んだ宮沢賢治のヒュ−マニズムが支えている。
著者が逝かれて10年、彼が恐れていた災害が起こった。彼が生きておられたら、何と言われるだろう。連日テレビで繰り返される無責任な評論家どもとは異なった見解が聞かれたであろうと考えると、彼の早死を悼まずにはいられない。
それにしても将来の日本のエネルギ−政策はどうすればよいのだろうか?