日本では西洋クラシック音楽を崇拝し、自国の音楽を見下す風潮があるが、そろそろ日本人も、明治以来の音楽教育で植え付けられた西洋音楽コンプレックスから脱却する必要があると著者は言う。少数ながら日本人としての美意識や音楽的伝統を基盤に、西洋音楽至上主義と闘ってきた中山晋平、本居長世、古賀政男、古関裕而らの作曲家、野口雨情、北原白秋、西条八十らの作詞家を紹介している。
彼らが作曲した主な歌は中山晋平(ゴンドラの唄、砂山、背くらべ、あの町この町)本居長世(通りゃんせ、てるてる坊主)古賀政男(丘を越えて、誰か故郷を想わざる、東京ラプソデー、人生の並木道)古関裕而(船頭可愛や、愛国の花、長崎の鐘)などである。
著者は音楽をクラッシクとポピユラーに分類することには無理があると言う。
その端的な例として昭和11年の「国民歌謡」から戦後の「ラジオ歌謡」に至るNHKの歌番組がある。NHKは当時の主要な詩人や作曲家たちに歌の創作を依頼し、新しい作品を放送した。その作品をクラッシクとポピユラーに分類するのは不可能であると著者は言う。私の好きな「国民歌謡」は「椰子の実」「空の神兵」「花の街」等で、ラジオで聞いて覚えた。
古くから異文化を消化吸収して、新しい文化を創造することに長けていた日本民族は、明治以後西洋音楽の作曲法を取り入れて「唱歌」「童謡」「新民謡」「歌謡曲」といった新しい日本の歌のスタイルを築いてきた。こうした日本の歌の数々は国際的な競争力を備えていると著者は言う。これを認めようとしないのは外国人ではなく、むしろ日本人側であるが、無益なクラッシク音楽コンプレックスにより、明治以来先人の築いた音楽作品を忘れ、捨て去られることだけは阻止したいというのが著者の結論である。
著者の藍川由美さんは香川県生まれで東京芸術大学院卒のソプラノ歌手で中国、オーストリア、アメリカなどでも出演し、1985年のカーネギーホールでの独唱はNYタイムズで高く評価された。1992年文化庁芸術祭賞を受賞した。東京でも最近年に数回上野文化会館で「日本の名歌」独唱会に出演している。私も毎回聞きに行っているが戦前・戦中・戦後の唄20数曲を歌詞も見ないで歌うのには驚いている。
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