本書は、平成19年に亡くなった城山三郎氏の評伝として書かれた本である。氏の生涯をデッサンし、その生き方を書き、巻末には年譜と参考文献が付いているので評伝としての体裁は一応整えている。
著者は、第1章にあるように、晩年の城山三郎氏と付き合いが深く、氏の人となりに心酔し生前は親父に近い存在であったという。純粋で曲がったことが大嫌い、お金にはきれいで聞き上手であった氏の身近にいて、ともにゴルフや旅行を楽しみ人生相談にまで乗ってもらったようで、人見知りの強い城山氏が心を許すほどにこの著者とはフィーリングが合ったと思わ
れる。ちなみに、植村氏は、直木三十五の甥で、(株)テレビ東京常務から関連会社の社長を経験したエッセイストであり、城山氏とはテレビ番組の制作を通じて親しくなったという。
第2章は城山氏の小伝で、少年時代から出征し終戦を迎え、戦後の青春時代(一橋大学時代)、容子との結婚、文壇デビュー、人気作家になるまでを駆け足ではあるが書いており、氏の履歴書として楽しく読める。
著者が最も力を入れているのは「第3章城山三郎の生き方」である。小説家の評伝ならば、その著作の軌跡をたどりそこから作家の本質を探っていくのが普通であるが、著者は城山氏の生き方に焦点を当て、氏の家族、日常生活、趣味、読書、尊敬する人物、箴言などについて、自身の観察を中心に、家族の証言や城山氏本人の書いていることも織り交ぜながら紹介して、氏の人物像を浮き彫りにしている。確かにその側面では成功しているのであるが、私はやはり、城山氏がその時々の社会を背景としてその著作によって読者に何を伝えようとしたのかについての見解、そしてその著作に対する世の評価や反響という側面も書いてもらいたかったと思うのである。そうすれば、本書の評伝としての価値はもっと高まった筈である。
あと、「第4章容子の死」、「第5章城山三郎の死」と続くが、つまるところ、本書は、著者の尊敬してやまない城山三郎氏の追憶の書という色彩が強い。城山氏のフアンならば、新たな事実やエピソードを知ることができて面白く、楽しい読み物であることには間違いはない。