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■2011年10月1日号 <vol.187>

書評 ─────────────

・書 評    丸川 晃 『ハウス・オブ・ヤマナカ
             ー 東洋の至宝を欧米に売った美術商』
            (朽木 ゆり子著 新潮社) 

・書 評   岡本弘昭 『ビジョナリーカンパニー3 ム 衰退の5段階』
            (ジェームス・C・コリンズ著 山岡洋一訳 日経BP社)

・【私の一言】岡田桂典 『本格的化するグローバルな事業展開』


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2011年10月1日 VOL.187


『ハウス・オブ・ヤマナカ
--- 東洋の至宝を欧米に売った美術商』
 (朽木ゆり子著 新潮社)  

丸川 晃   

この本を見付けたのは、紀伊国屋の美術書売り場だった。このような妙な題名の本が、何故美術書の書架に並んでいるのだろうか。奇異な感じで入手して読み始めたら、これが第二次世界大戦前にアメリカ進出した日本の古美術商の物語であって、300頁を一気呵成に読了した。

第二次世界大戦が始まると、アメリカで活躍していた日・独・伊系企業は、総て敵国資産として、アメリカ政府に接収・精算されることになった。これら企業のなかから、敵国資産管理人局(Alien Property Custodian=APC局)が、接収・精算プロセスを記録した企業として取上げた10社のうち、日本企業は三菱商事、横浜正金銀行およびこの山中商会の3社であった(これら資料は国立公文書図書館に残っていて、本書の種本の一つになった)。筆者によると、当時のアメリカでは、前二社よりも知名度が高かったためとのことだが、東洋美術品の取扱専門商社として、戦前に欧米で活躍した山中商会については、評者は寡聞にして全く知らなかった。

本書の主人公、山中定次郎は、1866年生まれ、親父は骨董商、小学校卒業後、山中商会という大阪の美術・骨董商店の丁稚になり、山中一族の養子になった後、1894年に28才で渡米、ニューヨークで山中商会を設立、1936年に胃潰瘍で大阪にて死去、享年70歳。

 ここで、定次郎が1894年に渡米して、ニューヨークで日本・中国美術品販売を開始した意図・経緯が、先ず関心の的となるが、本書では、その快挙を讃えるだけで、それ以上の言及は殆どない。本書で引用している『山中丈治郎(定次郎の父)伝』で、『美術品の輸出は益々増進し、時代の要請に応えるもの』とされている程度である。

確かに日清戦争前後の日本は、対アメリカ輸出品といえば生糸や雑貨・古美術ぐらいに過ぎなかったろうから、一つアメリカに出かけて東洋古美術品を売ってみようという人もいたかもしれないが、実際、恐らく英語も殆どしゃべれず、また、日本で古美術品関係で知り合ったモースやフェノロサなどのバック・アップがあったとはいえ、徒手空拳でN.Y.に店を構えた28才の男がいたというのは、全くの驚きである。今でいえば、ベンチャー精神に満ちていた訳だが、恐らくは日本の古美術市場が狭隘なこと、噂に聞くそのアメリカ市場の広大さ、そしてその対価としての利益の巨大さ等々から、必死の気持ちで渡米したのであろう。

 当時のアメリカでは、南北戦争の終焉後、鉄道、鉄鋼、金融、不動産などの分野が急速に成長・発展し、このため新興ブルジョアが輩出、虚栄心、所有によるステイタス、投機目的などで、美術品は、特に印象派などの絵画類が値段の高い程よく売れるという、いわばバブル的状態にあったので、その限界的市場として、東洋美術品市場 も或る程度形成されたのであろう。

 そして山中商会は、第二次世界大戦開始まで、N.Y.の外、ボストンとシカゴに支店を開いて、東洋美術品の販売に成功し、第二次世界大戦の勃発により、アメリカ政府に全財産を没収されるまでその営業を継続した。この間に起きた2,3のエピソードを要約しよう。

 1. 山中丈治郎は相当な人物らしく、古美術品の仕入れも販売にも信用第一、積極果敢、かつ古美術関係知識も深く、後に個人で美術館を創設したような富豪の多くをクライアントとし、特にロックフェラーU世とは、公私共に深い付合があったようだ。
 2. 20世紀初頭には、日本から供給される大名道具などの質の高い古美術品は次第に品薄になり、販売の中心は中国品に移っていった。この間、山中商会が手掛けた有名な例としては、1905年に、高野山のさる『寺』で所有美術品の売り立てが行われ、その総てを引き取ったこと、1912年に、中国の明朝王族恭親王の数十棟(誇張ともいわれる)に貯蔵された書画類を除く全古美術品の買い入れに成功して、米・欧・日で販売したことなどが挙げられる。
 3. 山中商会は、太平洋戦争開始により、アメリカ政府の管理下に移り、上記APC局により資産総額は没収・売却され、最終的には資産総てが売り払われ、1944年11月に消滅した。

 ここで関心を引いたのは、APC局は、山中商会の解散・消滅を目標として、日・米開戦後も、日本人による同社の営業を許可したことだった(この点、当時のアメリカ東部と西部とでは、日系人が受けた待遇は相当違っていたようである)。即ち、中国美術品を主体に約75.000点の在庫品を、店売り、競売、カタログ販売などを通じて、市価よりも50%前後もディスカウントした価格で販売させ(一例を挙げると、宋茶黒天目茶碗の原価174ドル、通常販売価格950ドル、割引売却価格475ドル!!)、結局、最終的にAPC局が吸い上げた利益(諸経費差し引き後)は75万ドルに上ったという。

本書の著者は、ニューヨーク在留の日本人、たまたま1942〜46年のAPC局年次報告で山中商会を見付けたのが、本書を執筆する契機になったという。古美術販売商としての山中商会について、限られた資料からよくもこれだけの情報を引きだしたものと感心させられたが、しかし一方で、この商売は、本書に書かれているようなきれい事ばかりではなく、もっとドロドロしたものもあった筈だし、また、このようなルートを通じて、日・中の貴重な文化遺産が大量に海外に流出したことは、今になって考えると・・・、というのが偽らぬ感想である。 
    

 

『ビジョナリーカンパニー3 ム 衰退の5段階』
(ジェームス・C・コリンズ著 山岡洋一訳 日経BP社)

岡本弘昭   


ジェームズ・C・コリンズ氏は、ビジョナリーシリーズの著者で、本書はその第3弾で、ビジョナリー企業が衰退する道を5段階で解説している。
_第1段階: 成功から生まれる傲慢
企業は成功のために現実の厳しさから隔離されるが、この段階では企業に勢いがあり、しばらく前進できる。ただ、成功を当然視する傲慢さが生まれる。
_第2段階: 規律なき拡大路線
成功から生まれる傲慢から身の丈以上の拡大路線をとる。しかし、急速の拡大から適切な人材の配置ができなくなり組織は弱体化する。
_第3段階: リスクと問題の否認
内部では警戒信号が積み重なるが、心配なデータも「一時的」か「景気循環によるもの」等の基本的な問題ではないとする。
_第4段階: 一発逆転の追及
急激な衰退が明らかになるが一発逆転狙いの救済策にすがろうとする。
_第5段階: 屈服と凡庸な企業への転落か消滅
一発逆転の救済策が失敗に終わったら、財務力は衰え、士気は低下し凡庸な企業になるか消滅に至る。
いずれも興味のある指摘であるが、一般的に企業経営は成功体験の罠に落ちない心構えがいる、と言われており、この点から第1段階の衰退の現象は特に興味深い。

具体的に指摘されている現象は、(A)成功すると人々が高慢になり、(B)当初に成功をもたらしてきた真の基礎的要因を見失い成功が当然でそれが続くと信ずる、(C)当初成功した時と同じように徹底した創造性を発揮して若返りを図ろうとしない、(D)成功を謳歌する見方が中心の思考をする、(E)指導者の好奇心と学習意欲が喪失する(F)運の役割を軽視する、といった点である。
「驕れる平家は久しからず」で最近話題になった企業にも同様なことがあったように思え、各項目はまさに成功体験の罠と言えるのではないか。

本書で取り上げられたのは、ビジョナリーシリーズ1,2で言及された60社のうち、衰退の道を歩んだとされるヒューレット・パッカード(HP)、メルク、モトローラ、ラバーメイド、スコット・ペーパー、ゼニスなどの11社で、これと衰退していない同業企業と比較し、どこが岐路となったのかを分析し出された法則であり、失敗から学ぶ貴重な本であると言える。
また、本書の特色として逆に衰退パターンから逃れたケースとしてIBM等が取り上げられていることも注目される。
この場合、卓越したリーダーの力によるところが大きいとされているが、結局、全体としては、あらゆる組織はリーダーで決まるという事を示唆している。

 

ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

『本格的化するグローバルな事業展開』
 岡田桂典 



空洞化が最終章へ進んだと言われますが、9月15日の日経のパナソニックの記事ほど衝撃を受けたものはありません。部品調達先を12年度に日本を中心に6-7000社減らして1万社に絞り、日本における調達額08年度2.5兆円を12年度に6000億円減らします。

おまけに12年上半期にシンガポールに「調達・物流本部を移し、調達の全権限を持たせる」というのです。日本での調達先・調達額の大幅カットも驚愕的なのに、最重要であった本社権限の一つである購買の全権限を海外へというドラスティックな決定は、日本企業経営のグローバル化の流れが加速化する号砲と言えましょう。

グローバル企業は国境を超えて世界中で最も生産コストが安い国で作り、最も売値が高い国で売り、最も税金が安い国で納税し、その蓄積利益を最も有利な国で運用します。グローバルな競争時代、企業の継続発展の為には絶え間ない研究・開発と投資が必要です。そのための巨額な資金を得るために、利益を増やし続けねばなりません。

各企業が世界的視野でメ需要が増え、モノが安く、規制が少なく、雇用も自由、税金も安くて、儲かるところに経営資源を投入する政策モに生き残りと発展を賭けざるを得ないのは当然だと言えましょう。
従来日本の産業構造は約30社の大企業が輸出の80%を行い、その下に子会社、下請け会社群がピラミッドを形成、原材料資材関係メーカー、金融・物流等のサービス企業がそれを取り囲むメ財閥系とか系列モとよばれる大山脈を形成していました。

しかし、グローバル化は各企業のメ生き様メを一変させます。従来全権力を握っていた日本本社は参謀本部となってメ世界戦略モを練り、現地法人が事業主体となってメ戦術モを考えるわけです。生産・販売・流通は当然として人事・金融も現地に適合 する経営が必然で、必要です。かくて、従来の日本における企業グループ、企業の親子関係等の相互依存も薄まり、関係各企業もメ独立自尊モで、何処で、如何に生存を追求するかが問われることになっていくでしょう。

日本政府も大変です。企業は自由に国境を越えて自分で生きる道を進みますが、海外利益には課税できませんから法人税・所得税は毎年激減するでしょう。外貨の獲得も問題になります。政府は企業のグローバル化に適合する産業・雇用・金融・税制・教育・貿易・規制、社会保障政策を早期に形成しないと国家の存亡が問題になります。
復興財源だけでもたついている政治家・官僚が本質を理解し早く行動して欲しいと祈るのみです。

 

 


厚生労働省の調査によると9月15日現在の我が国の100才以上の高齢者は4万7756人だそうで、2050年には68万人になると予想されていると伝えられています。
人間の平均寿命は本来短く、縄文時代は約15才、江戸時代後期で30代半ばだったそうで、「日本人は今や生物として別の種類になった」という指摘もあります。
しかし、一方では人生100年を見据えての生活設計は行われていないためか、4人に1人は長生き願望がなく、どちらでもいい人を加えれば2人に1人は長生き願望はないという調査もでています。
長寿ということについて考えさられる敬老の日でした。
本号も、多面的なご寄稿をありがとうございました。(H.O)





 
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