この本を見付けたのは、紀伊国屋の美術書売り場だった。このような妙な題名の本が、何故美術書の書架に並んでいるのだろうか。奇異な感じで入手して読み始めたら、これが第二次世界大戦前にアメリカ進出した日本の古美術商の物語であって、300頁を一気呵成に読了した。
第二次世界大戦が始まると、アメリカで活躍していた日・独・伊系企業は、総て敵国資産として、アメリカ政府に接収・精算されることになった。これら企業のなかから、敵国資産管理人局(Alien
Property Custodian=APC局)が、接収・精算プロセスを記録した企業として取上げた10社のうち、日本企業は三菱商事、横浜正金銀行およびこの山中商会の3社であった(これら資料は国立公文書図書館に残っていて、本書の種本の一つになった)。筆者によると、当時のアメリカでは、前二社よりも知名度が高かったためとのことだが、東洋美術品の取扱専門商社として、戦前に欧米で活躍した山中商会については、評者は寡聞にして全く知らなかった。
本書の主人公、山中定次郎は、1866年生まれ、親父は骨董商、小学校卒業後、山中商会という大阪の美術・骨董商店の丁稚になり、山中一族の養子になった後、1894年に28才で渡米、ニューヨークで山中商会を設立、1936年に胃潰瘍で大阪にて死去、享年70歳。
ここで、定次郎が1894年に渡米して、ニューヨークで日本・中国美術品販売を開始した意図・経緯が、先ず関心の的となるが、本書では、その快挙を讃えるだけで、それ以上の言及は殆どない。本書で引用している『山中丈治郎(定次郎の父)伝』で、『美術品の輸出は益々増進し、時代の要請に応えるもの』とされている程度である。
確かに日清戦争前後の日本は、対アメリカ輸出品といえば生糸や雑貨・古美術ぐらいに過ぎなかったろうから、一つアメリカに出かけて東洋古美術品を売ってみようという人もいたかもしれないが、実際、恐らく英語も殆どしゃべれず、また、日本で古美術品関係で知り合ったモースやフェノロサなどのバック・アップがあったとはいえ、徒手空拳でN.Y.に店を構えた28才の男がいたというのは、全くの驚きである。今でいえば、ベンチャー精神に満ちていた訳だが、恐らくは日本の古美術市場が狭隘なこと、噂に聞くそのアメリカ市場の広大さ、そしてその対価としての利益の巨大さ等々から、必死の気持ちで渡米したのであろう。
当時のアメリカでは、南北戦争の終焉後、鉄道、鉄鋼、金融、不動産などの分野が急速に成長・発展し、このため新興ブルジョアが輩出、虚栄心、所有によるステイタス、投機目的などで、美術品は、特に印象派などの絵画類が値段の高い程よく売れるという、いわばバブル的状態にあったので、その限界的市場として、東洋美術品市場
も或る程度形成されたのであろう。
そして山中商会は、第二次世界大戦開始まで、N.Y.の外、ボストンとシカゴに支店を開いて、東洋美術品の販売に成功し、第二次世界大戦の勃発により、アメリカ政府に全財産を没収されるまでその営業を継続した。この間に起きた2,3のエピソードを要約しよう。
1. 山中丈治郎は相当な人物らしく、古美術品の仕入れも販売にも信用第一、積極果敢、かつ古美術関係知識も深く、後に個人で美術館を創設したような富豪の多くをクライアントとし、特にロックフェラーU世とは、公私共に深い付合があったようだ。
2. 20世紀初頭には、日本から供給される大名道具などの質の高い古美術品は次第に品薄になり、販売の中心は中国品に移っていった。この間、山中商会が手掛けた有名な例としては、1905年に、高野山のさる『寺』で所有美術品の売り立てが行われ、その総てを引き取ったこと、1912年に、中国の明朝王族恭親王の数十棟(誇張ともいわれる)に貯蔵された書画類を除く全古美術品の買い入れに成功して、米・欧・日で販売したことなどが挙げられる。
3. 山中商会は、太平洋戦争開始により、アメリカ政府の管理下に移り、上記APC局により資産総額は没収・売却され、最終的には資産総てが売り払われ、1944年11月に消滅した。
ここで関心を引いたのは、APC局は、山中商会の解散・消滅を目標として、日・米開戦後も、日本人による同社の営業を許可したことだった(この点、当時のアメリカ東部と西部とでは、日系人が受けた待遇は相当違っていたようである)。即ち、中国美術品を主体に約75.000点の在庫品を、店売り、競売、カタログ販売などを通じて、市価よりも50%前後もディスカウントした価格で販売させ(一例を挙げると、宋茶黒天目茶碗の原価174ドル、通常販売価格950ドル、割引売却価格475ドル!!)、結局、最終的にAPC局が吸い上げた利益(諸経費差し引き後)は75万ドルに上ったという。
本書の著者は、ニューヨーク在留の日本人、たまたま1942〜46年のAPC局年次報告で山中商会を見付けたのが、本書を執筆する契機になったという。古美術販売商としての山中商会について、限られた資料からよくもこれだけの情報を引きだしたものと感心させられたが、しかし一方で、この商売は、本書に書かれているようなきれい事ばかりではなく、もっとドロドロしたものもあった筈だし、また、このようなルートを通じて、日・中の貴重な文化遺産が大量に海外に流出したことは、今になって考えると・・・、というのが偽らぬ感想である。