このサイトでは書評、映画・演芸評から最近の出来事の批評まで幅広いジャンルのご意見をお届けしていきます。
読者の、筆者の活性化を目指す『評論の宝箱』
意見を交換し合いましょう!

 
       

 

 

■2008年12月15日号 <vol.120>
書評 ─────────────

・【私の一言】 岸本新兵衛  
       『中央集権の終焉と自然な生活の復活』






2008年12月15日 VOL.120






ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

『中央集権の終焉と自然な生活の復活』
岸本新兵衛

 失過密・ストレス社会のゆがみ

 1950年頃に農民人口は総就業人口の55%前後を占めたが、その後40年のあいだにその大部分が農村から都会に大移動して産業化を果たした。それは新しい機能的財貨の大量生産、大量消費によって、史上かってない豊かさ、便利さ、快適さを実現したが、その反面で多種多様な中小・零細企業、その職人、商品、そして多様な生活スタイルを一掃してしまった。圧倒的多数の人は学校を出ると役所か企業に勤務して生涯を終える給料生活者という単一の人生パターンになり、若者はこの枠の中で有利な学歴、就職を求めるほかない人生の規格化、価値観の単一化をもたらした。企業はたえず生産性を上げ、新商品をつくって利益を産み出さねばならないので、労働強化、サービス残業がふえる。生産性向上は労働者を少なくすることになり、就職難、職業の不安定をもたらした。結局、物的には豊かで便利になっても心身にストレスをかけっぱなしだ。社会生活では地域社会のつながりや祖父母と孫達の共生が失われ、分業社会に組み込まれた人々の暮らしは核家族単位、機能本位の生活に変わった。機能本位は人間疎外、弱者排除をもたらす。さらに若者は結婚せず、子供のいない個人単位の生活へと社会生活が分解しはじめ、核家族の枠組みすら危うくなってきた。日本人は自然環境から隔離されるにつれ自然な人間生活も失いつつある。

 機能不備のまま急膨張した大都市はコンクリート・ジャングルに固められ、住居は狭く、自然から縁遠い。職場では中堅層は肩たたきの不安と際限ないサービス残業で健康を害し、若年層は身分が不安定で人生設計の立たないフリーターが激増し、いずれも使い捨て人生を余儀なくされる。食事情は飛躍的によくなったが、農薬、除草剤、化学肥料育ちの野菜や、保存料、着色料まみれのファストフードを食べる機会が増え、年中排気ガスに汚れた空気を呼吸し、因果関係を確認できないまま成人病、ガン、アトピー、花粉症、喘息の患者が激増していく。そしてイライラが募り、不可解な事件がどんどん増える。

 子供は川に入ったり、木に登ったり、泥んこ遊びをし、すり傷をつくることで逞しい身体と運動能力、免疫力を育てるものだが、都会の住居は子供にとって満ち足りた檻だ。親は保護者、監視者、指揮命令者であり、子供は檻の外は危険だと脅かされ、親や塾、家庭教師の付ききりで与えられた知識の詰め込み競争に忙しい。そんな『お受験』生活で建設的なエネルギーが湧いて来るはずがない。親の目は届きにくく、非行の誘惑は至る所にあって、親はどうしたらよいか戸惑うばかりだ。
 
 若い女性は『ヤセ願望』が強く、ヤセるためにタバコを吸い、サプリメントで代替できると信じて食うものも食わず、身体を不健康にして三十年後に骨粗鬆症に苦しむ準備をしている。
 動物は劣悪な環境に閉じ込められると異常な行動に走ることが知られている。似たことが日本人に起き始めている気がしてならない。自然の懐に生きる

 農家に生まれた私は退職後、近くに借りた小さな菜園で野菜を育てるのが楽しみの一つだ。土に触れると体中にたまったストレス(静電気)が一遍にスーッと抜けて、微かに体が若返ったように軽くなる。そこでやることは文字通り土にまみれ、泥臭いことだが、燦々と輝く陽光を浴びて眺める向こうの山は限りなく美しいし、竹藪、田畑、群れ飛ぶ小鳥のさえずりなどがストレスに満ち満ちた大都会の生活に比べると云いようのない健康さ、穏やかさである。

 イギリスではフロントガーデンとバックヤードつきの家に住み、前庭には美しい花壇や芝生を育て、裏庭には果樹と野菜を育てて新鮮な野菜や果物を採り入れることが市民生活の理想だと聞いたが、ここにはそれと同じような世界、時間がある。

 同じような例はドイツにもあった。スイス国境近くにズルツァー社の工場を訪れたとき、サマータイムの午後4時に工場が終業した。緯度の高いこともあってまだ日本の2時半頃という感じだ。こんなに早く帰って何をするのかと訊いたら果樹や畑の世話するのだという。社員の多くが同じようなことをするらしく、高度な頭脳労働と肉体労働の切り替えぶりに感嘆した。断っておくが同社は複雑な化学プラントやタービンを設計製作する世界的に知られたハイテク企業で、兼業農家がやりこなせる仕事ではない。

 もうふたつの話題。建設会社を永らく勤め上げた人が色々な成人病症候群を抱えていたが、家庭農園に明け暮れするようになったら、医師が驚くほど改善し、やがてすっかり症状が消えてしまった。

 ある芸能タレントは、鬱(ウツ)病に陥って踏切のカンカン鳴る音が「自殺しろ、自殺しろ」と呼びかけるように聞こえたが、緑深い田舎に移り住んだらすっかり直ったという。


激減する農民と農政への疑問

 高校時代の友人が地方公務員生活を終えてから家業の農業を継いだ。ところが彼の農地の周囲はすでに住宅地化して、そこの住人達から家庭菜園をやりたいので少しばかり農地を貸して欲しいとよく頼まれる。彼は広い農地の世話を一人では手に負えないから貸したいのだが、農業委員が時々見回りに来て、農地法に違反だ。貸してはならんと云うそうだ。

 私が借りている農地も70年輩の奥さん一人が農作を続けるかたわら数人に貸している。これも農地法違反で、モグリで貸しているのだが、耕地面積の1割以内なら農業委員が目こぼしをする。農業委員と云っても地元農家出身の顔見知りだから、知り合い同志には目こぼしがあるらしい。

 彼女も広い農地を持て余し、年に数回息子に農機で稲作と畠の耕耘だけやってもらう外は、除草剤、化成肥料で当座しのぎに野菜をつくり、農業委員に叱られないよう取り繕っている。いっそ農地を他人に譲ればよいのだが、農地法の規制で売買できない。そんな状態だから、私が借り始めたとき、土質は荒廃して煉瓦みたいな土になり、雑草が生え放題でミミズがいなかった。雑草は1本で数百個の種子を生じるから、農地は一旦手入れを怠ると大変だ。

家庭農園を借地する人は美味しくて健康的な野菜を自給するのが目的だから、数年がかりで徹底的に除草し、堆肥や有機肥料を入れ、荒れた土を肥沃な土に戻すのが最初の仕事である。何のことはない、多大な労力と有機肥料を注ぎ込み、泥土にまみれて地主さんのために奉仕するようなものだ。そうして採れる野菜は虫に食われ、不揃いで、ひどく見劣りするが、味は年々美味しくなって、逆にスーパー店頭の野菜が異常、不自然に見えはじめる。

 自家農園をやる人は家庭の生ゴミを堆肥にして畑に還元するので、地方自治体のゴミ処理場に持ち込む生ゴミが減らせる。生ゴミの大部分は水分だから、いわば水を燃やす燃料費が節約される理屈である。市民農園が広く普及すればそんなメリットも無視できまい。

 この地は大都市近郊で柿、筍などの特産品があって比較的恵まれているほうだと思うが、この奥さんによるとその集落は農家が約200軒。そのうち専業農家は2軒だけで他は全部兼業農家で農業に従事するのは70才前後の人ばかり、若い後継者が居るのはなんと2軒だけだという。彼女の息子は母親と同居するが役所勤めで農業はやらない。若嫁さんは顔を見せたこともなく、多分我が家の田畑がどれかも知らないだろう。

 全国統計で見ても農民人口は激減した。1950年頃総就業人口の55%前後を占めたが、1997年の統計では専業農民はわずか4%で250万人弱、兼業・副業的農業就業者を含めても400万人に足りない。その多くが65才(現時点で71才)以上で、間もなく農作業ができなくなる。さらに農業の後継者がいる農家はわずかに18万戸だという。農業は一見のんびりして見えるが、実は日々こまめな働きが不可欠で、若いあいだに体を馴らし鍛えておかないと後継者になれない。まして野菜、果樹の世話は細かいノウハウの塊りみたいな仕事だから親と一緒に何年も経験を積まないと仕事にならない。

 彼女の悩みがもうひとつある。かなり前に農水省の大規模圃場整備事業で、農水省と地方自治体が多額の補助金をだし、土建会社がブルドーザーでこの地区の田圃を改造したのだが、その自己負担分の借金返済がきついらしい。さらに、農協、土地改良区、水利組合など各種団体の出資金、賦課金、組合費、作業委託費などがやたら多くて、作物収入がほとんどその支払に消えると云う。詳しく判らないが、全国、都道府県、市町村など各レベルで農業関連の団体が色々あって農民の便益を図るため、その負担も大きいようだ。これら関連団体は官庁同様競争原理が働かないし、農民に対する情報公開も不十分なようである。

 5年後、この村の農業はどうなるでしょうと聞くと、さあどうなりますのやろと途方に暮れた顔をした。


農地関係法の壁

 農政はこんな現実をどうする積もりか知りたくて役所に尋ねたら、『市民農園整備促進法』によって貸し農園はできるという。そこで、この法律を調べたら幾つもの法律、政令と農水省、国交省の規制が細かく絡み合って、法学部を出た私にも難解である。農民にはとても解るまい。法律は国民に良く理解されてこそ法治国家で、行政者だけ判るのでは法治国家でなくて行政独裁国家だ。

 なぜそこまでの規制が必要かともう一度尋ねると、要するに「単に農地を『貸す』というだけでは借りた人が無暗に農薬をまいたり、土地を荒廃させるような無茶な使い方をしたときに困る。適正に農地を利用し良好な都市環境の形成と農村地域の振興に資するために借地人に利用法を指導できることが必要だという。

 事実は農水省の官僚が想像するのとは正に逆だ、アベコベなのである。
日本は農業ではもはや生計が成り立たなくなって久しい。だから後継者がいなくなり、農地が荒れる。それを非農業者がささやかな自家農園として借り、土質を改善し、自家用の野菜などを栽培する。その結果、農地の保全ができるのだ。無茶な使い方が心配なら、地主と借り手の契約書のヒナ形でも配って予防させれば済む。法律作りの職人達が現実を知らずにこんな法律まで作ってしまった、そんな標本みたいだ。

 それでもやっと農民が貸し農園を始められるかと思ったらまだ先があった。農民が直接に貸すのはダメ。その農地は農業委員会だか、農協だかに提供し、そちらが貸し農園をやるというのだ。(但し、このことは法文に明記せず、府庁担当者の説明である)。それで、ある大学教授の著作を調べたら、法規上は直接貸付(農民と借り手の直接貸借)と間接貸付(農協などの介在)の2方式があると説明してある。

 つまり法律に直接・間接を明記すると国会審議で突っ込まれるので曖昧にしておき、行政の末端レベルで間接方式しか許さない、と行政指導しているみたいだ。これでは市民農園公社でも作って古手公務員の天下り先にするつもりかと、つい邪推したくなった。

 農民は法律など判らないし、農業委員会や農協は自分達を支配する一番身近な権力機構である。日頃、彼等は農民を保護する立場だが、ひとたびこれに逆らえばどんな意地悪をされるかも知れない。そんな相手に先祖伝来の生活基盤である農地を渡すわけがない。現に、上述の友人に意見を聞くと、言下に「そらあかんわ」と言い捨てた。この法律を起案、議決、施行し、行政が管理するにも税金が使われている。そんな割り切れない思いをしながら、私の農政調査は骨折り損に終わった。

 農地が余って低利用化した現状では、戦前の地主・小作関係とはまるで事情がちがい、農地の売買・貸借に官庁が介入すべき必然性は見当たらない。貸したい農民と借りたい市民が直接貸借すれば余計な費用はかからない。農業委員会や農協が賃貸借をやりだせば、あれこれと事務手続きや担当事務員の人件費、諸経費がかかり、それでまた補助金が必要になる理屈だ。一九八九年の統計では全国で六万二千四百人と驚くような数の農業委員がいた。各農業委員会にはそれぞれ事務局がつき、その職員数も多分一万人以上いるだろう。つまり農地の売買、貸借を監視するだけにン千億円もの税金が注ぎ込まれている。


画一農政は農業を駄目にする

 農政の中央集権ぶりにもう一つ苦情を云いたい。
先に触れたが、農水省は従来の小規模で不規則な圃場を一区画当たり三十アール以上に整備する大規模圃場政策を全国的に進めた。これは圃場を整備して大型農業機械が使えるようにし、農業の労働生産性を挙げようというものである。このため、一九六三年から約四十年にわたって推定四十兆円前後の国庫負担金に加え、地方自治体補助金と農民自身の自己負担金を注ぎ込んだ。

 このプロジェクトをNHKが取り上げた一連の特集ルポルタージュを見ていたら、十勝平野の農民が荒野を営々苦心して造り上げた良質の畑をブルドーザーで掘り返して、成る程広い平坦な圃場はできたが、畑の表土が大量の石ころ混じりの底土と混ぜ返されて元の木阿弥になってしまった。そこの農民はこれでは主産物の馬鈴薯が育たないと嘆き、土建会社の飯の種にされたと怒っていた。

 次に見た沖縄の場合は表土と底土が混ぜ返されただけでなく、造成された畑の勾配が大きくて表土が流失し、パイナップルが育たなくなったうえに、流失土砂流が海に流れ込んでコバルトブルーの浅海を駄目にし、珊瑚礁の大量死という環境破壊を招いたというのだ。

 いま私が家庭菜園に借りている農地も造成された大型圃場だが、もとの圃場は底土に溝を掘って小石を埋め込み、暗渠排水溝にしてあった。ところが、ブルドーザーで掘り返してやはり表土と底土が混ぜかえされ、地均しも微妙に不均等になり、暗渠排水溝として埋め込んだパイプがさっぱり役に立たない。地主さんは何年も掛かって石や粘土を取り除いたそうだが、圃場が広くなったので水はけの悪さはどうにもならない。日本の気候は毎週のように雨が降るので絶えず湿田状態に悩まされる。このため大抵の野菜は生育ぶり、病気、雑草の繁殖、害虫の発生などが悪い。これが十アール未満の従来の田圃なら水はけが早く、耕土の湿度調節がはるかにやり易かったのだ。

 農作物の栽培に適した土は深さがわずか二〇〜四〇cmの肥沃な表層土だ。永年農民がこの表層土を培うことで農作物は栽培できていたのである。その下層の地質はふつう表層土とは異質である。私は根菜類を育てるためこの表層土をもう少し深くしたいと思って、底層土を数センチばかり掘り返し、表土と混ぜてみたら途端に作柄が悪くなって、堆肥などを入れて土を良くするのに1年余り経っても、まだ不満足な状態だ。

 断っておくが大型圃場がすべて悪い訳ではない。水田一毛作だけを前提にすると大規模農業化が可能になり、現実に1区画が数〜10数ヘクタールの水田に改造された地域では稲作専業で農業が成り立つ例があるという。だがその成功は農民自身が農地の改造、農機の選択、栽培法まで総合的に工夫した結果だった(兼坂祐「わが農業革命」中公新書)。他方、画一的な農政の弊害は、例えば綿密なルポルタージュ、石堂徹生著「ムラの欲望−土地改良事業は誰のためか」に赤裸々に描写されている。この事実は、農地はその土地ごとの事情に応じた近代化、効率化に農民自身が知恵を絞ることが決定的に重要で、霞ヶ関のビルの中で考えた理屈ではダメだということを示している。

 これは農地に限らない。地域の特性によって事情が異なる他の様々なこと、例えば、道路、ダム、港湾など厖大な国費を注ぎ込んできたインフラ設備にも当てはまるはずだ。


市民農園を阻む農地税制

 もう一つ近郊農業への障碍と思われるのは、大都市近郊農地に対する課税の問題である。1973年の固定資産税法改正で大都市圏の農地に宅地並に課税することに決めた。要するに農地所有者が営農を続ける場合にかぎり宅地並課税の徴収を猶予するというのだ。ところがその農地を市民農園に開放すると徴税猶予を取り消され、過去の猶予額に遡って宅地並課税も追加徴収されるという。農民はこの追加徴収を怖れて、老齢でも農地が半遊休でも営農を続けている建前にする。こうして税制も農地の有効利用を阻んでいる。

 私はここで税制の是非まで論じる能力も意思もないが、常識的に考えてこれはやっぱりおかしいのではないか。農地はアパート、マンション、駐車場などと違い、持っているだけでは一円の金も稼いでくれない。それどころか、少し手入れを怠るとたちまち雑草まみれになって、農地として価値を失う。しかも、後継者がいなくなるほど農業は割が合わないものになっているのだ。

 農業を続けようと市民農園に貸そうと同じ課税にすればこうした障碍はなくなり、農地は荒廃せずにすむ。そして農家は兼業で他に収入をもつなら兼業所得はそれで所得税の対象になり、国の労働力と農地資産は全体としてより生産性が高くなる。税収も恐らく増えるはずだ。私の議論はどこかで間違っているのだろうか。


官僚統治の致命的欠陥

 農水省の法律・行政指導を作り、農政を取り仕切るキャリア官僚は、東大法学部出身を中心に有名大学の法学部卒業者が目立って多い。技術系も東大中心だ。これは他の省庁とて変わらない。

 彼らの生い立ちは、おそらく中学、高校では東大へ進学するために、そして大学ではキャリア官僚になるために受験勉強に明け暮れ、入省後は霞ヶ関のビルに閉じこもって残業、休出もいとわず、詰まるところ出世競争に目色を変える日々だ(と、東大法学部から農水省に入った女性の元官僚が率直に認めている)。青少年期をそんな異常に偏った経験で過ごした人に農業の生きた実態、現実が判るはずがない。それで農業を取り仕切ろうとすることが根本で間違っている。

 農政だけではない。プラザ合意のあと放漫金融の引き締めを遅らせ、続いて経済が破綻するまで金融を引き締め続けて日本経済をガタガタにしたのも、エリート産業だった金融企業を過剰干渉で縛って国際競争力をなくし、ガタガタにしたのも大蔵省・日銀のエリート達だった。多数の特殊法人、公益法人からレジャー・リゾート施設までおしなべて気が遠くなる大赤字、天下りがトップを独占しエイズをまき散らしたミドリ十字など、いずれも実務に暗く、コスト意識に無縁で、画一思考しかできないキャリア官僚とその天下りの致命的弱点がもたらした巨大な負の遺産である。

 日本人の常識として東大出イコール特別優秀な人と考え、これが永年一種の信仰となってきた。

 むろん東大出身者に卓越した人材が多いことや、優れたエリート官僚の存在を否定するつもりはない。だがキャリア官僚が我が国で最高のステータスとされてきた理由は彼らの行政権限の大きさ、行政だけでなく実質上立法まで取り仕切り、国民のあらゆる活動分野に張りめぐらした法網の巨大な権力と国富配分の権限を握っていることにある。その握る権力の巨大さゆえに彼らはほとんど無条件に尊崇されてきた。

 しかし、この信仰のために実に様々な弊害が瀰漫した現実がある。まず本人がこの信仰に毒され、周囲もこの迷蒙から脱却できない風土が中央集権を支えてきた。彼らキャリア官僚の出自は言葉悪くいえば法律や政令作りの職人なのに、頭と机と紙切れで様々な現実を規制できると考えたことで国をガタガタにした。我々は一度この迷蒙を打ち破らねばならない。


議員とキャリア官僚の亡国の仕組み

 戦前は村単位で農業用水路をつくり、峠道をひらき、小学校を建ててオラが村をよくしてきた。全部自前、まさに自治である。

戦後、国民はなんでもかでも政府に何とかしてくれと要求し始め、国会議員は法律案を作る能力がないので法案作りは行政官僚まかせだ。行政は国会に代わって作る法案に省益を織り込み、あらゆる事を微に入り細にわたって管理し始めた。ところが、中央集権行政では地方の特殊事情は分からないし、あれこれ例外を作ると厄介だから大都市も山奥の村も離島の漁村も全国を画一的基準にせざるを得ない。

 地方にしてみればカネは全部東京にある。どれだけあるか判らないが大蔵省、財務省の金庫に無尽蔵にあるようだ。国会議員の先生は選挙区の地域エゴを代弁してこのカネを分取ってきてくれ。それを巧くやる先生に投票しろ。これでは国全体のバランスや投資効率などクソ食らえとなるのが当然だ。先生方にムリを云われればイヤと言えない官僚は、そこを何とかサジ加減するかわり自分たちがつくる法律案で美味しいことをさせて貰うぜ、と天下り先をセッセと作った。庶民に切実な保育所増設、地方道路改良など利権、天下りに無関係なものは放っとけ。

 議員先生が選挙区に分捕ってきたカネは業者の仕事のタネになり、オラが取ってきたカネだと業者に口利き料を要求する。議員先生は地元、支援団体への利益誘導が本業だ。こうして怖ろしく高くつく政官業癒着の国民生活全面管理システムができあがった。

 ついでに官業の実態がどんなものか、ほんの一例だが身近なホントの話を挙げる。
 昭和三六年春、妻の同級生の女の子が高校卒業と同時に日本道路公団の大阪オフィスに就職し、その夏に職場の慰安旅行で北海道へ飛行機旅行したと聞いてビックリしていたら、翌々年妻の親友の同級生で短大卒女性が同公団に就職し、その年はハワイへ慰安旅行に連れて行ってもらったというのだ。その頃はまだ東海道新幹線と名神高速道は建設中で、為替レートは一ドル360円。外貨準備高はなかなか20億ドルに届かず(2003年末は6735億ドル余)、社費留学すら厳しく制限されていた。当時企業の社員の慰安旅行といえば観光バスで一泊が相場、バスガールが花形の時代だ。ハワイ観光などもっての外だった時代に、どうして慰安旅行に渡航許可が出たのか。想像するに高速道路開設のため研究か研修という名目で所轄官庁に裏交渉したとしか考えられない。新入の女子職員がハワイ旅行の費用を自腹で払った訳はあるまい。私はこのとき初めて官業とはそんなことをすると知った。

 勤勉な日本人が毎年創り出す厖大な富の大部分は国庫に吸い込まれ、一握りの政治家とキャリア官僚がその使い途を決める仕組みになっている。

 企業の所得税、法人税、事業税、固定資産税、それに公的保険の企業負担分まで、企業の産む富の圧倒的部分が政府の掌中に入る。個人の収入も生活の再生産のための消費を除くと郵便貯金、税金、保険料などの形でこれも大部分が国庫に流れ込む。さらに消費税、酒税、煙草税、石油ガソリン税、自動車関係諸税等々。要するに、毎年創造される新たな国富の大部分がそっくり国庫と地方自治体に入る。そして、その使い途に与党議員が注文をつけ、一握りのキャリア官僚が決める仕組みなのだ。その使いかたが拙ければ、国民がいくら頑張っても国も社会も良くならない。それは一皮めくれば恐ろしい仕組みである。

 国民の活動はきびしい競争にたえ、知恵を尽くし、身銭を切って仕事をするから無駄金は比較的少ない。これに比べ官庁はコスト意識に無縁の世界だ。そんな官僚が身銭を切ることもなく使う金は必然的に甘くなる。まして善意で努力しても現場の体験なしには死に金が多いのは不可避だ。

 賢人はキャリア官僚だけではない。さまざまな地域、分野ごとの実状に精通した多くの公人、私人が多様な知恵を持っている。そういう頭脳に国富を分散して使い方を任せる方がずっと有効な使い方になるはずだ。

<後編に続く>(第122号、平成21年1月15日発行予定)






 アメリカのサブプライムローンの2006年末の残高は1.3兆ドル。この不良債権が13兆ドルに上る証券化商品に波及しこの信用を低下させ現在の危機を招いているといわれています。これは資本主義の自由競争の果てであり、これを正すには経済学が財貨よりも人間を重視する原点に戻る必要があるとする意見があります。
 最近の無差別殺人事件の多発等の社会現象を見るに付け、経済学に限らず我々は、もう一度改めて倫理・道徳を踏まえた社会生活を志す必要があると考える昨今です。今号も、色々な観点からの力作のご寄稿ありがとうございました。(HO)








 
バックナンバー
2012/12/15
2012/12/01
2012/11/15
2012/11/01
2012/10/15
2012/10/01
2012/09/15
2012/09/01
2012/08/15
2012/08/01
2012/07/15
2012/07/01
2012/06/15
2012/06/01
2012/05/15
2012/05/01
2012/04/15
2012/04/01
2012/03/15
2012/03/01
2012/02/15
2012/02/01
2012/01/15
2012/01/01
2011/12/15
2011/12/01
2011/11/15
2011/11/01
2011/10/15
2011/10/01
2011/09/15
2011/09/01
2011/08/15
2011/08/01
2011/07/15
2011/07/01
2011/06/15
2011/06/01
2011/05/15
2011/05/01
2011/04/15
2011/04/01
2011/03/15

2005/03/01

2004/12/01

 
 
 
 
 
Copyright(c)2001-2007 H.I.S.U.I. Corp. All right reserved.
□動作確認はMac OS9.2 + IE5.1にて行ってます。
□当サイト内コンテンツおよび画像の無断転載・流用を禁じます。










SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送