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2006年7月15日 VOL.62

 

 

『宇宙はささやく』 
著者:佐治晴夫   出版社:PHP研究所

片山 恒雄 

 著者の専門は宇宙物理学であるが、科学と芸術を融合させた「数理芸術学」を提唱している。本書では、人間・宗教・小説および詩などをテーマにして、それに専門の宇宙論を絡ませながら話を進めていくが、その感性の豊かさと知識の幅・深さに敬服する。
 いくつかの例を挙げてみる。夜はなぜ暗闇か。それは、遠いほど速いスピードで膨張している宇宙から地球に向かって降り注ぐ星の光を、遠ざかっていく「動く歩道」に乗ってやってくる光に譬えて、宇宙が有限で未完成であるがために届く光の量が少ないために夜は暗いと説明する。その宇宙は、ビッグバンによって「無」の中からすべてを生み出しながら、そのすべてを自己の中に吸収してしまう世界すなわち「有」と「無」を同時に包摂する「空」として捉えるとともに、星がその生命を終えて爆発し、超新星として新たに誕生するような物質的な現象を「色」とし、「空」の世界の乱れすなわちゆらぎが「色」の世界であることから、「色即是空」「空即是色」を説く般若心経のなかに宇宙の真理を求める。
 ところで、宇宙の大きさはどれほどなのかを新聞紙を使って説明する。新聞紙1枚の厚みを0.1ミリとし、折り続けると、せいぜい7回くらいまでしか折れない。それを、仮に30回折ったとすると、その厚みは、約100キロつまり東京から熱海までの距離となる。40回折ると地球と月の距離を2万キロ上回る。100回折るとどうなるか。宇宙の大きさ(150億光年)を軽く超えるという。
 さらに俳句の世界における著者の感性がすごい。芭蕉の辞世の句「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」から、枯野という茫漠とした空間を、永遠という「時の羽」をもって螺旋を描きながら飛翔する作者の姿として捉える一方、蕪村の辞世の句「しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり」からは、かねてあこがれている白梅を夢見つつ限りなくゆったりと逡巡する時の流れの中で、途方もなく広がる宇宙のかなたを見つめながら、自らの終焉を新たな生命の息吹に託そうとしていると感ずる。2人の宗匠の辞世の句を紹介しながら、芭蕉は「時間的作者」蕪村は「空間的作者」と評し、そこから時間と空間はまったく別の存在ではなく、この宇宙を構成するものは、時空連続体という幾何学的性質を持つと説く。
 以上はほんの一部の紹介に過ぎないが、著者が学問的な業績だけでなく「ゆらぎ扇風機」や「3倍速VTRヘッド」の開発などユニークな業績でも知られていることは首肯できる。 



 
『日本沈没』
著者:小松左京   出版社:小学館文庫 
鷲 太郎 

南太平洋にあるツバルは、9つの珊瑚島(環礁の島)からなる小さな島国であるが、この国が温暖化による海面上昇で沈没してしまう可能性があり、同国政府は国民の今後のあり方に苦慮しているとの報道があった。
これを聞いた時、私は、小松左京の小説日本沈没を思い浮かべ再読してみた。
日本沈没は、1973年に出版されベストセラーになった未来小説であるが、今年になって小学館文庫で新たに発刊され、近々再度映画化される。
内容は、日本海溝の底でおきている太平洋プレートのマントル流に対流層急変が生じて列島が日本海溝に引きずり込まれ日本列島が沈没に追い込まれるという日本を襲う最悪・最大の災害に関する小説でいろいろな読み方がある。
しかし、この小説の真髄は、日本列島の沈没という事態に、日本はどう動くか、世界はどう反応するかを予想し、その中で日本人の資質、日本人のあり方について考えるところにある。
例えば、日本沈没の瀬戸際での渡老人の言葉は、東洋の小さな閉鎖的な島でぬくぬくとした歴史を楽しんできたと言う日本人の行く末論であり、作者の期待でもある。
「日本人はな……これから苦労するよ……。(中略) いわばこれは、日本民族が、否応なしに大人にならなければならないチャンスかも知れん……。
 これからはな……帰る家を失った日本民族が、世界の中で、ほかの長年苦労した、海千山千の、あるいは蒙昧でなにもわからん民族と立ちあって……外の世界に呑み込まれてしまい、日本民族というものは、実質的になくなってしまうか……それもええと思うよ。
 それとも……未来へかけて、本当に、新しい意味での、明日の世界の、“おとな民族”に大きく育っていけるか……日本民族の血と、言葉や風俗や習慣は残っており、またどこかに小さな“国”ぐらいつくるじゃろうが……辛酸に打ちのめされて、過去の栄光にしがみついたり、わが身の不運を嘆いたり、世界の“冷たさ”に対する愚痴や呪詛ばかり次の世代にのこす、つまらん民族になりさがるか……これからが賭じゃな……。後略」
現代の国際化のスピードは著しいが、30年前に指摘された日本人の資質は現在も変わらないのではないか。
国土とか、日本人の資質、今後のあり方を改めて考えるべき時期にあると考えられる今日、依然としてこの小説は参考になり、同時にこの小説の続編が待たれるところである。




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肥満の話』
岡本 弘昭
“死に方を選ぶとすればどんな死に方が良いか”という問いに対し、60歳台以降の世代では突然死がいいと応えた人が多かったという調査がある。
私も問われれば同じように応える。
原因は、日本人の平均寿命と健康寿命(自立寿命―自分で食べ、自力で排泄し、自力で移動でき、会話ができる状態で長生きすること)との差にある。
つまり、日本人の平均寿命は、平成16年簡易生命表では男子78,64年、女子85,59年であるが、WHOによると日本人の健康寿命は男性71.9年、女性77.2年である。
平均寿命からこれらを引く男性5.7年女性7.1年の不健康期間があることになる。
日本人の死亡原因の一位は癌、二位が脳卒中、三位が心臓病であるが、 脳卒中、心臓病の原因の大部分が生活習慣病である。 要介護となる原因も生活習慣病からであり、また、老人性痴呆の原因もほとんどが生活習慣病といわれている。
この生活習慣病は、肥満を引き金としやすい。
所で、95歳まで健康長寿が保持できれば、寿命と健康寿命である自立寿命がほぼ一致するのが実状のようである。従って、自立寿命で全うするには、生活習慣病にならないことが重要であり、そのためには肥満の解消が国民的課題ということになる。
しかし、肥満の解消には意志と実行力が不可欠である。これらが弱く肥満の解消に苦しむ場合、これは将来、自身にとって吉とでるのか凶とでるのか。凶のみではないので無いか。
なぜならば、実は、生活習慣病は、突然死の原因でもあり、その確率が高ければ60歳台以降の願望に合致することにもなるからである。
肥満の解消が進まない訳でもある。





 
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