著者の専門は宇宙物理学であるが、科学と芸術を融合させた「数理芸術学」を提唱している。本書では、人間・宗教・小説および詩などをテーマにして、それに専門の宇宙論を絡ませながら話を進めていくが、その感性の豊かさと知識の幅・深さに敬服する。
いくつかの例を挙げてみる。夜はなぜ暗闇か。それは、遠いほど速いスピードで膨張している宇宙から地球に向かって降り注ぐ星の光を、遠ざかっていく「動く歩道」に乗ってやってくる光に譬えて、宇宙が有限で未完成であるがために届く光の量が少ないために夜は暗いと説明する。その宇宙は、ビッグバンによって「無」の中からすべてを生み出しながら、そのすべてを自己の中に吸収してしまう世界すなわち「有」と「無」を同時に包摂する「空」として捉えるとともに、星がその生命を終えて爆発し、超新星として新たに誕生するような物質的な現象を「色」とし、「空」の世界の乱れすなわちゆらぎが「色」の世界であることから、「色即是空」「空即是色」を説く般若心経のなかに宇宙の真理を求める。
ところで、宇宙の大きさはどれほどなのかを新聞紙を使って説明する。新聞紙1枚の厚みを0.1ミリとし、折り続けると、せいぜい7回くらいまでしか折れない。それを、仮に30回折ったとすると、その厚みは、約100キロつまり東京から熱海までの距離となる。40回折ると地球と月の距離を2万キロ上回る。100回折るとどうなるか。宇宙の大きさ(150億光年)を軽く超えるという。
さらに俳句の世界における著者の感性がすごい。芭蕉の辞世の句「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」から、枯野という茫漠とした空間を、永遠という「時の羽」をもって螺旋を描きながら飛翔する作者の姿として捉える一方、蕪村の辞世の句「しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり」からは、かねてあこがれている白梅を夢見つつ限りなくゆったりと逡巡する時の流れの中で、途方もなく広がる宇宙のかなたを見つめながら、自らの終焉を新たな生命の息吹に託そうとしていると感ずる。2人の宗匠の辞世の句を紹介しながら、芭蕉は「時間的作者」蕪村は「空間的作者」と評し、そこから時間と空間はまったく別の存在ではなく、この宇宙を構成するものは、時空連続体という幾何学的性質を持つと説く。
以上はほんの一部の紹介に過ぎないが、著者が学問的な業績だけでなく「ゆらぎ扇風機」や「3倍速VTRヘッド」の開発などユニークな業績でも知られていることは首肯できる。
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