韓流ブームが続いている。しかし、それとは全く無縁である。史実に基づき、歴史を丹念に描いているが、大河ドラマを期待してもいけない。孤高の将軍、李舜臣の内面世界を描いた話なのだから。
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時代は15世紀末、日本では桃山の栄華が終わろうとしている。高校の日本史ではほんの数行、豊臣秀吉の朝鮮出兵と記述され、小西行長、加藤清正、黒田長政らが出兵した。
本書は侵略された側、朝鮮(李朝)水軍の司令官、李舜臣将軍の独白で綴られる。李将軍は「壬辰倭乱」(文禄の役、1592年)で数々の武勲を立て英雄となるが、それが逆に王にとっては謀反の不安となり、官僚の讒言もあって朝廷を蔑ろにし、王を騙した罪で逮捕され、拷問を受け、失脚。一兵卒に落とされてしまう。
ところが「丁酉再乱」(慶長の役、1597年)で朝鮮水軍の敗戦が続くと、呼び戻されて疲弊しきった水軍の司令官に再任命される。それでも王は忠臣の謀反を恐れ、猜疑心で凝り固まったままだ。援軍としてやってきた明軍は酒色に明け暮れ、日本軍と裏で通じて漁夫の利を狙ってばかりいる。
孤独な李将軍は死と共に戦い、死の中で生きる。劣勢を跳ね退け、勝利を得ても、いつも背中には冷たい汗が流れる。唯一の願いは武人としての自然死、戦さの中で死ぬことだ。「一日一日が怖かった。来る敵よりも去る敵のほうが怖かった。敵はまるで撤退することによってこの世の無意味さを私の目前に完成しようとしている」ようだった。そうして「耐えられそうもないことを耐える日々」が続く。
翌1598年、戊戌の年。秀吉が死に、日本軍は撤退を始めるが、それを追撃する海戦で、ついに銃弾が李将軍の胸を貫いた。享年54歳であった。
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「…ふたたび田舎に戻った。正義感あふれる者たちの世界と別れを告げたのだ。この時代のいかなる価値をも肯定できなかった。私は思った。……君たちと共有すべき希望も信念も、私にはない。自らの誤謬を抱えたまま私は一人で生きていくだろう」
著者キム・フン(金薫)のはしがきにこうある。本書の訳者は拉致被害者の蓮池薫さん。読み終えると主人公、著者、訳者それぞれの生き方、思いが重層していることに気がつく。全編、ピンと張り詰めた清新さが漂い、緊迫感が漲っている。翻訳本特有のまだるい感じもない。
とにかく寡黙な小説である。登場人物は多く、回想と現実が行きつ戻りながら、情景描写は詳細で具体的だ。語るべきことを語り尽くしてもいる。しかしそれでなお静かに文字は流れ、筆は流麗に運ばれている。本書が戦う人間の孤独を内面から描き切っているゆえんかもしれない。
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