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2005年10月1日 VOL.43

 

 

『天平の甍』
著者:井上靖  出版社:新潮文庫 

板井敬之 
 1月末に国立博物館で行われていた唐招提寺展の真和上像を拝観して、本書を読み返した。この本は、昭和32年に書かれたそうだが、古さを感じさせない。著者によれば、執筆は安藤更生早大教授の勧めによるもので、底本の「唐大和上東征伝」を小説化、作品全般にわたって安藤博士の教示を得たとある。
小説は、2人の日本からの留学僧と唐僧思託の言行を描くことにより、和上の人物像を浮かび上がらせている。命をかけての5度の渡日失敗、6度目にしてようやく日本の土を踏むに至ったという和上の行動は、強烈な使命感によるのであろうが、読む度に感動する。
「井上靖歴史小説集」3巻『あとがき』によると、著者はこの本の刊行後、和上に縁の深い揚州を4度訪ねているとのことである。最初の訪問は、昭和38年に行われた「真和上1200年祭」に招かれた時で、渡日前に和上が過ごした大明寺跡にも立つことが出来たとある。法要に間に合わせるべくこの小説の中国語版も出版され、和上記念館の建設も決定、中国でも和上の業績が遍く知られるようになった。
この小説を読み返している4月、中国各地における激しい反日デモの様子が報道された。和上が来日した約1250年前という遥かな時空、著者が中国に招かれた僅か42年前の両国の熱気、今日の刺々しい双方の空気…。お互いつきあいが長いだけに複雑な間柄である。




(

『孤将』
著者:金薫 訳:蓮池薫 出版社:新潮社

”寡黙に語り尽くす”
高津 隆 

韓流ブームが続いている。しかし、それとは全く無縁である。史実に基づき、歴史を丹念に描いているが、大河ドラマを期待してもいけない。孤高の将軍、李舜臣の内面世界を描いた話なのだから。
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 時代は15世紀末、日本では桃山の栄華が終わろうとしている。高校の日本史ではほんの数行、豊臣秀吉の朝鮮出兵と記述され、小西行長、加藤清正、黒田長政らが出兵した。
本書は侵略された側、朝鮮(李朝)水軍の司令官、李舜臣将軍の独白で綴られる。李将軍は「壬辰倭乱」(文禄の役、1592年)で数々の武勲を立て英雄となるが、それが逆に王にとっては謀反の不安となり、官僚の讒言もあって朝廷を蔑ろにし、王を騙した罪で逮捕され、拷問を受け、失脚。一兵卒に落とされてしまう。
ところが「丁酉再乱」(慶長の役、1597年)で朝鮮水軍の敗戦が続くと、呼び戻されて疲弊しきった水軍の司令官に再任命される。それでも王は忠臣の謀反を恐れ、猜疑心で凝り固まったままだ。援軍としてやってきた明軍は酒色に明け暮れ、日本軍と裏で通じて漁夫の利を狙ってばかりいる。
孤独な李将軍は死と共に戦い、死の中で生きる。劣勢を跳ね退け、勝利を得ても、いつも背中には冷たい汗が流れる。唯一の願いは武人としての自然死、戦さの中で死ぬことだ。「一日一日が怖かった。来る敵よりも去る敵のほうが怖かった。敵はまるで撤退することによってこの世の無意味さを私の目前に完成しようとしている」ようだった。そうして「耐えられそうもないことを耐える日々」が続く。
翌1598年、戊戌の年。秀吉が死に、日本軍は撤退を始めるが、それを追撃する海戦で、ついに銃弾が李将軍の胸を貫いた。享年54歳であった。
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 「…ふたたび田舎に戻った。正義感あふれる者たちの世界と別れを告げたのだ。この時代のいかなる価値をも肯定できなかった。私は思った。……君たちと共有すべき希望も信念も、私にはない。自らの誤謬を抱えたまま私は一人で生きていくだろう」
 著者キム・フン(金薫)のはしがきにこうある。本書の訳者は拉致被害者の蓮池薫さん。読み終えると主人公、著者、訳者それぞれの生き方、思いが重層していることに気がつく。全編、ピンと張り詰めた清新さが漂い、緊迫感が漲っている。翻訳本特有のまだるい感じもない。
とにかく寡黙な小説である。登場人物は多く、回想と現実が行きつ戻りながら、情景描写は詳細で具体的だ。語るべきことを語り尽くしてもいる。しかしそれでなお静かに文字は流れ、筆は流麗に運ばれている。本書が戦う人間の孤独を内面から描き切っているゆえんかもしれない。




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シンガポール便り(6)― 貯蓄で金儲け
岡田 桂典
 東洋経済9月3日号の[ショッピングセンターほど儲かるものはない]という記事を見てはっとしました。数ヶ月前にシンガポールの政府系不動産会社が、国の象徴であるラッフルズホテルを含むホテルチェーンを売り、その資金をショッピングモールに投資すると言って物議をかもしたのを思い出したからです。“ホテルは儲かっているが、国民の資産の運用利益は最大限であらねばならない”という国と経営者の方針と実行力に脱帽したのです。
財政破綻、社会保障崩壊が誰の目にも明らかなのに殆ど無策、税金を上げる話に熱心な日本政府は絶望的な存在です。シンガポールに学んで、“まず第一に、国民の蓄積で大いに儲けよう”となぜ言わないのでしょう。個人貯蓄は1400兆円、その7割を“官”が使い、もう既に200兆円は損失で失われているそうですから、全体の収益率は良くてゼロでしょう。アメリカの個人貯蓄の50%は株式で、過去50年の平均収益率は12%だといわれますから、日本人ほどいたぶられ、哀れな“国民”はいないのではないでしょうか。
この個人貯蓄が5%に回れば毎年70兆円の所得増になります。「新法」を提案します。銀行貯金・郵貯、保険・簡保、各種年金、株式の価値、株式の運用、財投その他、国民貯蓄を使う各セクターで“5%以上の利益を上げられない経営者は刑務所にぶち込む”、“8%以上利益を出したものは所得税をタダにする”という簡単なものです。こうすればおカネは儲かる部門に急速に移りますし、世界中から“金儲けの名人”が殺到するでしょう。
要は国民のカネの運用には政治家・官僚は手を出すな。おカネの運用は役人の目が届かない外国でも良いから世界中でやれ、運用者は青目でも黒目でも、とにかく上手い奴にやらせろということです。毎年70兆円あれば日本の難問、年金・医療問題はあっという間に片付き、老人は欣喜雀躍で腰が伸び、世の中がぱっと明るくなります。
隣の国でも半国営のマレーシア航空が赤字続きで大弱り、遂に有能な外国人に5―6年面倒を見てもらおうかと検討中だそうです。日航もそろそろ?





 
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