東大教養学部教授から評論家、思想家として言論界で活躍している西部邁の、自分自身の年譜に合わせた戦後史である。
大東亜戦争から昨年までを時系列的に、34の表題をつけ、各時代の世界の出来事と日本の歩みを検証した。西部邁フアンなら“誰も書かなかった告白的戦後史”という本の帯のような読み方でも楽しめるが、なにかおかしいと感じる今の日本、その原因とあるべき姿を丁寧に解説している。
考え方の基本は、戦後アメリカの画一的、短絡的な独特の社会規範なり、経済観の成り立ちと問題点に焦点をあてる。そして日本は、そのアメリカの価値観に侵食され、徐々に無批判にアメリカイズムを受け入れ始めて、時には進んでこれを受け入れ、自ら平衡感覚を喪いつつあると指摘する。
社会の目標を、物質的幸福と社会的平等においてしまったことの帰結が現在の日本の社会であり、その上、社会主義者が“市民主義者”に転向したことから派生する問題もあるとの指摘は新鮮である。「価値・個性とはその人の立場、考え方、気分および状況に応じて様々であるし、あるべきだ」という説は、結局のところ、自己についてのアブソリューティズム(絶対主義)に転落する、そしてそれをエゴイズムという。エゴイズムを公然と唱えたという意味で、ポストモダニズムの実態はウルトラモダニズムであった、とする。
またこの本では、日本の経済に対するガヴァメント(舵取り)は、ガヴァナンス(集団の統治)を弱いものにするという過ちをおかしていると指摘する。読んでいる
うちに今月から施行されたわが国の「会社法」の新規定に思い当たった。
アメリカ1国だけの動きに追随しただけと思える、会社経営者にたいする度の過ぎた監視体制の強化に、首をひねる実務家は多い。
さらには、現在の日中問題を分析し、今の中国人の精神的価値は愛国=反日=正義の観念で国民が統合されているとの根深さを指摘し、「そうと見通せば、日本の国家がなすべきは、あの大東亜戦争についての謝罪ばかりではないはずです。あの戦争の「真実」について日本国家は語るほかないのです」と説く。
一考に値する論陣と思われる。
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