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2005年3月15日 VOL.30

■書評
・『種実(しゅじつ)』― 今村 該吉
・『国防』― 後藤田紘二
【私の一言】『アメリカ便り(4)― 靴と文化』 濱田 克郎

 

 

『種実(しゅじつ)』
著者:村石久二   出版社:スターツ出版

今村 該吉  
 不動産を核に総合生活文化事業を目指すスターツグループのCEOである村石氏が創立35周年、自身の還暦を機に3冊目の本を出版した。私家本ではなく堂々と本屋の店頭に並んでいる。実に面白い。最近10年間の会社の道のりを辿りつつ書かれているが、会社の生成発展とはこういうことか、タイミング、スピードそれに勇気が如何に大切かがわかる。氏の場合はそれに加えるに人への信頼、思いやりが根底にある。グループ3千人でいまだ首切りは皆無であるそうであるが、氏の言によると、人には得手、不得手はあっても、必ずその人に適した職場がある、「人が、心が、すべて」という信念に基づく。この10年、日本経済はリストラの連続であった。それが欧米流の合理主義ともてはやされた。しかしながら氏は「私は『切る・捨てる』といった合理主義を持たない企業が弱くなるとは思っていない」と言い切っている。
 氏は昨年中国の武漢に桜の苗八千本を寄贈、植林した。戦地に赴いた父親が敗戦直後武漢の病院で亡くなり、氏は生前の父親を知らない。しかしながら苦労した挙句、ようやく父の死地にたどり着き、当局との困難な折衝の結果、ようやく許可を得て、八千本桜を寄贈、植樹するにいたるのである。父恋い桜であり、日中友好のシンボルでもある。
 本書のタイトルである「種実」とは広辞苑を引いたが出ていなかった。おそらく氏の造語であろう。しかしながら「いい種、苗を結実する」という、武漢の桜それに自己の事業への夢を表しているのだろう。氏は10年後には4作目「さらに」を。79歳には5作目「感謝」を出版したいと言う夢多き還暦青年である。
 私も何時の日か揚子江堰堤に立って数キロに及ぶ満開の桜を見たいものである。




『国防』
著者:石破茂   出版社:新潮社発行 

後藤田 紘二 

 昨年まで防衛庁長官を務めた著者が、退任直後の今年の1月に防衛問題時事評論とも言うべき労作を発刊した。これまで、政治家の書いた本は、なにか執筆の動機に不純な物を感じて興味がもてなかったが、本書は、
1.長官退任直後で鮮度感があること
2.中身が北朝鮮問題など今日的な話題に富んでいること
3.文章が平明で判り易いこと
4.防衛庁長官の日常とはどういうものか、興味に引かれたこと
等の理由で大変面白く、一気に読んでしまった。
 わが国の防衛問題に関しては右や左の議論があるのであろうが、われわれ庶民がこの種の難しい問題を考える手引書として、大変勉強になる。政治家が、とくに政府の立場にいた人が、所管事項などについて、その考え方や在任中の業績などについて書物を通じて詳しく国民に伝えておこうとする姿勢には、大変好感が持てる。
 文中を通じて著者が充実感をもって任務を終え、満足げなのは、政治家としての使命感を自覚して、並々ならぬ努力をしてきた自信の顕れか、ともかく、防衛問題に関心ある人、ない人にも、一読をお薦めしたい。


 



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『アメリカ便り(4)― 靴と文化
濱田 克郎
 家の中では靴を脱いで生活している。生まれてこの方ずっとそうで、この地でもそうしてきている。四半世紀前初めてこの地で生活を始めた頃は、乳飲み子もいるので靴を脱ぐよう来訪者に頼んでもなかなか応じてもらえなかった。雨の日の泥靴でも玄関のマットにおざなりに靴をこすっておしまいである。このことを日本人の知人に話したところ、“アメリカ人にとって靴を脱ぐということは人前ではとてもしない恥ずかしいことなのだ。プレイボーイのモデルさえ、下着は脱いでも靴は脱がないくらいだ。靴を脱ぐのはベッドに入るときぐらいのものだ。”との講釈をうけた。
 ところが、である。最近は殆どの来訪者が、自然に靴を脱ぐようになった。子供たちの話では、友人の家でも靴を脱いで生活する習慣がそう珍しいことではなくなったようである。人前ではとてもしない恥ずかしいことを平気でするようになったのはどうしてだろう。
 テロリストが靴の中に爆発物を隠し持っていた事件により、空港のセキュリティ検査で靴を脱ぐことを求められた(もっとも、最近は強制されなくなった)こと以来靴を脱ぐことに抵抗が少なくなったせいだろうか。
 それもあるかもしれないが、実はもう少し生活全般のスタイルの変化、靴に対する考え方の変化が背景にあるのではないかという気がする。90年代の後半から、米国の住宅で敷き詰めた絨毯から板張りの床に変える傾向が続いている。埃などのアレルギーから、或いは掃除のしやすさ見た目のシンプルな美しさから、台所・風呂場とともに家のリフォームの際の優先項目の一つになっている印象を受ける。板張りの床を靴で歩くと音がうるさい、床に傷がつきやすい、雨の日の靴の泥は玄関マットで軽くこすったくらいでは落ちないことに気がついた、などの理由から靴を脱いだ生活をするようになったのではなかろうか。さあ、一旦靴を脱いでみると開放感がある、靴を脱いでの生活も悪いものではないなという風に感じる人が多くなったとしても不思議ではない。そして、家の中で靴を脱ぐ習慣の人がいるということが知られるようになって、そこでは靴を脱ぐということを自然にするようになったということではなかろうか。果たして靴を脱ぐということは人前ではとてもできない恥ずかしいことだったのだろうか。それとも快適さが恥を乗り越えたのだろうか。







 
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