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2006年9月15日 VOL.66

 

 

『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』 
 日本軍の住民自決命令はなかった!

著者:曽野綾子   出版社:マック株式会社

稲田 優 

この本は昭和48年に文芸春秋社から「ある神話の背景」の題で発刊されて、その後PHP研究所で文庫本化されたがいずれも絶版となり、今回ワックから改題されて再び文庫本化されたものとのこと。当時、渡嘉敷島に駐屯していた日本軍は赤松嘉次大尉が指揮する海上挺身隊第三船隊、ベニア板製の小型舟艇に爆雷を積み、敵艦に体当たり攻撃を行う特攻部隊だったが、出撃の機会がないまま終戦を迎えようとしていた。そもそも渡嘉敷島の防衛を任務としていた駐屯部隊本部は、特攻部隊の赤松大尉に指揮権を預けて那覇に引き上げてしまっていた。“定説”では、赤松大尉の命令により住民329名が集団自決したとされていた。著者はこの定説に向かって丹念に取材を繰り返し、定説とは異なる真実の可能性に近づく。その熱意と情報に対する冷静な評価が胸を打つ。そのうえで最後まで断定はしない。その理由は「新版まえがき」に書かれている。「人を裁くな。そうすれば、あなた方も 裁かれることがない。」(ルカによる福音書6.37)という聖書の記述を引き、その意味を解説している。パウロの「ローマの信徒への手紙(3.10)に決定的な簡潔さで述べられているという。「正しいものはいない。ひとりもいない。」




 
『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官栗林忠道』
著者:梯(かけはし)久美子   出版社:新潮社 
片山 恒雄 

 陸軍中将栗林忠道はすでに日本の敗戦が日々濃厚となりつつあった昭和19年6月硫黄島に総指揮官として赴く。任命した東條首相は栗林に対し、「どうかアッツ島のようにやってくれ。」と言ったという。アッツ島はその前年「玉砕」という美名の下に全滅を遂げたアリューシャン列島の一小島である。
 硫黄島を死守することは敵を撃退することでは既になく、1日でも長く敵の攻撃にたいして持ちこたえ沖縄上陸および本土決戦を先に延ばすかにあった。世田谷区の半分にも満たないこの島の攻防をめぐって、日米双方8万人が死闘を繰り広げるのであるが、その激戦ぶりは全島あまねく厚さ1メートルの鋼鉄を敷き詰めるほどの量の砲弾を米軍は費消したと言われる。制空権、制海権を奪われたうえに圧倒的な戦闘能力の差にもかかわらず、米軍側死傷者2万8700人に対し、日本側の死傷者は2万1200名と3割も下回ったのは驚嘆に値する。
 この結果を可能ならしめたものは何だったのか。当時大本営の基本戦略は海岸線に陣を構築し敵の上陸を阻止するという戦法であったが、これでは空海陸から敵の集中攻撃を受け、ために短時日しか持ちこたえられず、サイパン・グアム・タラワ・テニアンなどはいずれもばんざいを叫びながら玉砕して行った。栗林は大本営の意向に反しこの戦法を取らず、いったん米軍を上陸させておいてあらかじめ地下に張り巡らせた壕(その長さは延べ18キロに及んだという)から夜間ゲリラ的に攻撃を仕掛けるという戦法に出た。米軍は日本軍がほかの南方の島々と同じ戦法に出るものと予想し、5日で同島を占領できると考えたが、実際には39日を要したことからも栗林の作戦の秀逸さがうかがわれる。そして、力尽きて最後に行った総攻撃も、ばんざい突撃ではなく、「米軍にたいする最大の混乱と破壊を狙った優秀な計画であった。」と米海兵隊戦史に記録せしめるほどのものであった。
 本書を読了した日の夜、奇しくもNHK(スペシャル)で「硫黄島玉砕戦」を放映していた。3人の生き残り兵士がこもごも語る戦争の体験は実に酸鼻を極めていた。地熱と硫黄ガスに苦しめられながら昼は地下壕を掘り続け夜は戦いに挑む。糧食は底をつき、苦しさから早く逃れようにもばんざい突撃を禁じられて逃げ場は閉ざされている。2万余名の中で生き残った千人の中に入ったある下士官は、水を求めて死んでいった部下に毎日水を供えながらこの60年間自分がなぜ生かされたのか、彼らのために何を伝えなければならないのかをいまだに問い続けている。




『靖国問題』
著者:高橋哲哉著   出版社:ちくま新書刊 
河西 孝紀 

8月15日の小泉総理の靖国参拝が話題になり、改憲派であり靖国参拝派の安倍氏が総理になろうとしている今、戦中戦後を体験した我々の世代がもう一度「靖国問題」を考え直すいい機会だと思う。その一環の資料として掲題の著をお薦めしたい。本書は靖国問題を感情、歴史、宗教、文化の各面から捉え議論を展開している。結論として
1.完全な政教分離により国家機関としての靖国神社を名実ともに廃止。   (総理の参拝がある限り完全な政教分離にはならないとの論旨)
2.合祀取り下げの要求に応じること。
3.遊就館の展示にみる歴史観の是正。
とある。著者に全面的に同意する訳ではないが、「靖国」を考える上で手頃な文献と思う。




 

 
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