これは、印象派の画家の中でも最も革新的であったゴーガンが、月一回の船便に託して送った143通の手紙を収めたものである。友人のダニエル・ド・モンフレエに宛てたものが84通と圧倒的に多く、次いで妻のメットに宛てたものが27通と多い。
訳者は、“これは十九世紀ヨーロッパの機械文明、ブルジョワ文明を否認した一人の画家の死闘の記録である。これほど激しい戦いを挑んだ人間が、一体ほかにいるだろうか?これは画家の書簡集として読まれる本ではない。類まれな人間記録として、読まれるべきものだと訳者は考える。画家の手になる書簡文学として、恐らく「ゴッホの手紙」と双璧をなすものだろう。”と記している。
ゴーガンの代表作とされる横4メートル50縦1メートル70の大作「我等はどこより来たのか?我等は何者なのか?我等はどこへゆくのか?」は、ゴーガンがパリから絵の売却代金の送金も無く、健康状態も悪いことに悲観して自殺を決意し、最後の作品と思って描いたもののようである。後日、パリの文芸誌にこの絵の批評を載せた詩人に、絵の意味するところを解説した長文の手紙を送っているが、その中に“私は、文学的な手段に少しもたよらず、できるだけ単純な技法を用いて、暗示的な構図の中に、私の夢を表現しょうとしたのです。”といふ下りがある。
とにかく、徹底的に模倣を排し、革新性を尊重したゴーガンの絵は、一般の人には極めて分かりにくく、なかなか売れなかったが、ゴーガンが亡くなるころには、絵に対する世の中の考え方が変わり、他の印象派の作家達のなかには相当裕福な人も出ていることに秘かに満足していたようである。
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