歌人河野裕子が亡くなって、もはや1年になる。しかし彼女の人気は一向に衰えない。むしろ静かにブームが続いている。
俵万智が「サラダ記念日」を発表したのは1889年だった。その溢れるような青春賛歌とわかりやすさが、短歌の世界には珍しくブームを引き起こした。
それから20年余。今度は河野裕子が短歌界の話題をさらっている。こうして日頃は短歌に無縁な私まで引き込まれている。彼女が死の前日に呟くように口から言葉を出し、傍らの家族がそれを書きとった。
「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」
この歌が彼女がこの世に残した最後の一首となった。
またその前日には
「長生きして欲しいだれかれ数へつつついにはあなたひとりを数ふ」
この度ご夫君であり、同じく歌人でもある永田和宏氏がエッセイ集を出した。その前半は亡き妻河野裕子との回想であり、呼びかけでもある。また彼女の死後彼女を偲びながらも必死で仕事をし、歌を詠んでいる日常を淡々と描いている。
「河野裕子はとことんまでを生き抜いた。それならばそれから先はきみに任せると言われた私がその後を生き抜くほかはないではないか。任せられた内容は重いが、私に出来ることは河野裕子という近代以来の傑出した女流歌人を書き残すことと、そのためにしっかり食べて自分を養うこと以外のことではないのだろうと思うのである」と堂々と宣言している。河野裕子は妻として最後まで死後の夫を気遣ったが、夫はその後もしっかりと生き抜いている。彼は歌人として高名であるとともに、分子生物学者としても一流である。本の後半は研究の一端をのべているが、歌人と科学者との二脚をもって生きる様子が伺われて興味深い。最後に彼の一首を
「わたしは死んではいけないわたしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ」