知人がガンと聞き、急にこの本を読みたくなった。30年ぶりの再読である。ガンに侵され、余命一年と突然宣告されたとき、人は何を考え、如何に行動するだろうか。
一鬼太冶平は一代で大会社を築いたいわば立志伝の人物である。世間からも尊敬され、何の不足もない生活である。ヨーロッパ旅行の途次パリで、ふとした電話の手違いから秘書と間違えられ、自分がガンに犯されていること、手術が難しく、余命一年であることを知ってしまう。気丈にもこの事実は誰にも打ち明けず、旅行中いつもどおりに振舞う。しかし絶えず心の中では死と向き合わなければならない。カネ、カネのこれまでの人生とは何であったのか、仕事とはなんと空しいものなのだろう。
フランス人の富豪に嫁いだ日本人と偶然知り合い、古城巡りを共にする。一鬼はそのマルセラン夫人の神秘的、不思議な魅力に心を引かれる。「もう一度信州高遠の桜を見たい、来年の春ご一緒しませんか」と誘われる。
帰国後、病気のことは誰にも一切告白しないし、病院にさえも行かない。しかしながら仕事には興味を失ってしまった。自分の周りのすべてが変わってしまった。体内に巣くっているガンと絶えず生き方、死に方について対話をする。「ああ、来年の春までは生きていたい。夫人と高遠の桜を見たい」。いまではこのことが唯一の生き甲斐でさえある。
ところが運命とは定められたとおりにはいかない。突然、会社存亡の危機に見舞われ、否応なしに仕事に引き戻され、一鬼は生気を取り戻す。あんなに情熱が失せたはずの仕事であったのに。仕事とは魔性なのか。それに引きかえあれほど憧れた思慕の人はこんなにもはかないものだったのか。初老の男に突然突きつけられた課題は極めて重い。しかし読み終えた後、爽やかさが残った。
余談・・・この本は絶版であるので、書評で取り上げるのはルール違反かもしれない。しかしインターネット上「日本の古本市」でいとも容易に、しかも安価で入手出来る。このサイトはまことにありがたい
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