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■2008年10月15日号 <vol.116>
書評 ─────────────

・書評  福島 和雄 『昭和33年』
             布施克彦著 ちくま新書
・書評  山本俊一郎 『お家さん』(上・下)
             玉岡 かおる著 新潮社刊

・【私の一言】幸前 茂隆『ままならざるを楽しまん』






2008年10月15日 VOL.116


『昭和33年』
著者布施克彦    出版社:ちくま新書
   

福島 和雄  

 昭和33年は私にとって学窓を出て、社会人になった思い出深い年である。
当時は前年までの神武景気が終わり、後の高度成長期までの谷間の景気低迷期であった。数年前話題になった日本映画「ALL WAYS 3丁目の夕日」はこの時代を描いた名作であった。

 著者は当時の社会を先行き不透明であったが、高度成長の夜明けと位置付けている。当時の日本の社会は以下のような状況であった。

1、 政界は官僚出身の岸 信介が首相で行政改革とは反対に公務員が増加。

2、 一般会計予算では歳入が1兆3千億円、歳出はその範囲内でまかなっていた。だが歳入額に匹敵する総額1兆円を超える国の借金があった。

3、 日本の安い労働力は、先進アメリカの下請けとして重視されていた。半世紀を経て日本は受注者から発注者に変わった。

4、 昭和33年10月特急「こだま」が運行開始した。東京の地下鉄も複数の路線建設が始まった。上野駅は集団就職の中学生とそれを迎える、中小企業の経営者でごった返していた。多くが家族経営の零細工場や個人商店に雇われた。住み込みで、その多くが数人による一つの部屋での同居であった。月給は平均3、4千円で朝から夜まで、平均15時間は働き、休日は月2回であった。

5、 社会面ではいわゆる「赤線区域」が廃止された。失職した従業婦は12万人といわれた。

6、 巨人軍に長嶋茂雄が入団し、プロ野球黄金時代の幕開けとなった。

7、 大学生の就職状況は、1人の就職試験受験回数は平均2・3回で内定を受け、大企業を落ちても中小企業が受け止めてくれた。 

著者は昭和33年を種々の切り口から検証し、日本人はとかく「昔は良かった症候群」と「未来心配性」を抱いているが、世界で「中進国」から「先進国」になった今の日本の方が、ずっと幸せな国になったと結論付ける。私は著者の意見に大体賛成だが、最近の日本は「勝ち組」と「負け組」がはっきりした欧米流の「格差社会」になりつつあり、若者が希望を持てる状況の社会でないことに不安を感じる。

 著者の布施克彦氏は1947年生まれ、一橋大学を卒業後、総合商社に勤務し、現在日本大学、亜細亜大学講師である。

 


『お家さん』(上・下)
著者:玉岡 かおる    出版社:
新潮社刊   

山本俊一郎  


 鈴木商店の全盛期の年間売上げ高は、政府予算を超え、1919〜1920年の全盛期には16億円を超え、三菱・三井も及ばぬ大商社だったが、現在は殆どの人々は知らないだろう。

 しかし、この組織は、明治中期から昭和初年まで神戸にあった日本最初で最大の総合商社だった。当初、砂糖問屋から出発し、やがて樟脳、薄荷、米などに手を拡げ最終的には三国間貿易を中心に世界各地に支店を有して、殆どあらゆる商品を扱った。

 また、大きな企業集団を抱え、今日の帝人、IHI、神戸製鋼所、神戸電機、双日、サッポロ・ビールなど、多くの大企業の源流となった。

 この本は、鈴木商店の当主だった鈴木よねを主人公にした伝記小説である。同商店は、昭和大恐慌の時、そのメインの融資元だった台湾銀行からの融資がふくらみ過ぎ、これを恐れた銀行から追加融資を断られたため清算に至ったが、清算後も赤字を残さなかったという優れた財務状況だったという。

 内容は、鈴木よねが最初の結婚に失敗して、砂糖卸商鈴木岩次郎との再婚のため姫路から神戸に出てくるところから始まる。

 岩次郎はやがて死去するが、よねは夫の死後も廃業せず、男社会の経済界にあって実務は大番頭の金子直吉に任せつつ、同商店清算の時まで自らは当主として君臨した。この本では、鈴木商店の廃業に至る迄を描いている。

 鈴木商店については、これまで大番頭を務めた金子直吉の活躍ぶりを伝える出版物はあったが、鈴木よねについて実像を伝えるものはあまりなかった。兵庫県加古川市在住の著者がこの企業と主人公を知ったことがきっかけで3年ほどの時間をかけ書き上げたという。

 鈴木商店の経済活動よりも女性の眼でよねを対象に描いている。
伝記小説として書かれたので著者の潤色もあるが、基本的には史実に忠実で興味深くまた楽しめる本である。

 




ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

『ままならざるを楽しまん』
幸前 茂隆

 人生、ままならず、思いのままにならないのが、この世のならい。
「思う事かなわねばこそ、うき世なれ」(滝沢馬琴)。
「思いのままにならぬこそ、憂き世に住めるならいけれ」(石童丸)。
「望み通りに事が運ぶ人生だったら、何も生み出せない。苦しむから、人間は、本当の人生をとことん考え、いいものを作れる」(吉野俊彦)。
「人生はいろいろあるからいいんじゃ。何もなくてみい、退屈でかなわんぞ」(余語翠厳)。
「苦労しない人間は、考えないままに年をとって行く」(邑井操)。
「失敗のない人生は、気の抜けたビールのようなもの」(平澤興)。
「挫折を知らない人は、大成しない」(扇谷正造)。

 思いのままにならぬからこそ、人は成長する。
「人は、泥まみれになってしまった経験がなければ本物にはなれない」(山本周五郎)。
「人は、逆境に鍛えられてはじめて成長する」(フランクリン)。
「風雪に耐えねば咲かぬ梅の花」(八田一朗)。
「雨露にうたるればこそもみじ紫の錦をかざる秋はありけれ」。
「思うようにならざることをよろこばん」(松本梶丸)。
「難儀にあうのも、人生の巡りあわせ」(立石一真)。
「雨の日には雨の日の 病む日には病む日の 老いの日には老いの日の 
かけがえのない大切な人生がある」(東井義雄)。
「晴れてよし曇りてよし、病んでよし健康でよし、随所にしあわせの風光」(松原泰道)

 ままならざるを楽しまん。






政治・経済とも混沌としてきた昨今ですが、この中で日本からノーベル賞受賞者が4人も一挙に出たことは久しぶりの朗報でした。急に世の中が明るくなったように思えました。
受賞者各位のインタビューの中での“楽しみながら継続して研究することが結果を生んだ”という話が印象的でした。
すべてに亘り、“ままならざるを楽しまん"という気概が必要のようです。
今号も有意義な書評、私の一言、真に有難う御座いました。(HO)








 
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