2004年9月15日 VOL.18
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■書評
・『あさ/朝』― アトム
・『日本人の歴史意識 ―「世間」という視角から』― 片山 恒雄
【私の一言】 『シドニーの日本人』 相川 香
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『あさ/朝』
谷川俊太郎/詩
吉村和敏/写真 出版社:アリス館
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アトム
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ちょっとダウン気味な朝にふさわしい、シンプルで美しい一冊です。
詩集と言うよりは写真集に近く、どのページもファンタジーな写真に言葉がアクセントになって清々しい広がりを感じさせます。
CMでも話題になった「朝のリレー」は人種を超えて世界はひとつをテーマに、この詩が教科書に使われているというのもうなずけます。
─── 若い頃はいざ知らず今の私は朝が愉快ではありません。
出来れば寝床にとどまってうつらうつらと余生を過ごせたらと思う。
しかし、そういう現実の私の朝の気分の単調さを、
そのまま詩にもちこむことはあまりありません。──「ひとり暮らし」から
詩とは現実との切り替えから湧き上がってくる感性なのでしょうか。
─── 繰り返すものはどうしていつまでも新しいのだろう
朝の光もあなたの微笑みも─── 「朝の光」から
朝、目を覚ますのが楽しい人、仕事のことを考えてそれが苦痛な人…
朝は新しい一日の始まり、ときめいて朝を迎えたいものです。
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『日本人の歴史意識
― 「世間」という視角から』
著者:阿部謹也 出版社:岩波新書
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片山 恒雄
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日本語には、世間知らず、世間体、世間ずれ、世間並みなど「世間」に関する言葉が多い。中世ヨーロッパを専門とする歴史学者の著者が、ドイツの社会学会で報告したとき、この「世間」という言葉を訳す適当な言葉が思い当らず、欧米の学者に「世間」の意味を理解してもらえなかった。これが契機となって、著者は、「人を取り巻く人間関係の枠組み」とでもいうべき「世間」という視角から、古代より近代にいたる日本人の歴史意識
――つまり社会現象を時間的契機において捉え、その推移に主体的にかかわりあっていこうとする意識――
の変遷を調べることとなったという。
私たち日本人は、子供のとき親や教師などから「世間の物笑いになってはいけないよ」と繰り返し聞かされ、世間の中に自分を埋没させるように行動してきたと思う。しかし、世間も所詮は人間が作り上げたものであり、どうも最近その姿が歪み始めたのではないだろうか。倫理観・道徳観の欠如から、「バレなければ何をやってもかまわない」という気風がこの国に潮が満ちるように広がってきていると思えてならない。むかし大人たちから、「悪いことをしてもお天道様がいつも見ているんだよ」といわれ、「天網恢恢疎にして漏らさず」という目に見えないように張り巡らされた「仕置人」の網の目を常にどこかで意識していた。
欧米人には世間など存在しない。彼らは12世紀に近代市民社会を誕生させ、それ以来INDIVIDUAL(この言葉は、数年前著者の講演会で、これ以上分割できない社会の独立した構成単位としての「個人」の意味と知った)を大切にはぐくんできた。この辺で日本人も世間の中におのれを埋没させるのではなく、そのしがらみから開放されたとき、本当の意味で歴史意識が心の中に定着するのではないだろうか。それはあたかも坂本竜馬が、地球儀を前に勝海舟から世界の情勢を教わって、幕藩体制のもとでの「世間」の呪縛が解けたとき、自らの歴史的役割を瞬間に悟ったように。
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