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■2008年9月15日号 <vol.114>
書評 ─────────────

・書評  浅川 博道『清らかな厭世』 
            阿久 悠著  新潮社
・書評  丸川 晃 『金融権力・・グローバル経済とリスク・ビジネス』
            本山 美彦 著  岩波新書


・【私の一言】クレア恭子『ロンドン便り(ワガママ?)』

 


2008年9月15日 VOL.114


『清らかな厭世』
著者阿久 悠    出版社:新潮社刊
   

浅川 博道  

 この題名、いかにも「ぼくは言葉商売」と書いている著者らしい。紹介するまでもないが、著者は作詞、小説、エッセーなど幅広い分野で活躍し、昨年世を去った阿久悠さん。歌に詳しくない私でも、「また逢う日まで」、「北の宿から」、「勝手にしやがれ」、「UFO」などが当時の思い出とともに浮かんでくる。

 本書は、産経新聞に連載された「阿久悠一書く言う」を再構成したものだが、一言でいえば警世の書である。副題である「言葉を失くした日本人へ」のラストメッセージ、ともいえる。一節を引用すれば、「全く近頃ときたら、碌でもないことの連続、碌でもない人々の天下で、正直なところ誰もがうんざりしている。厭世というと強過ぎるが、心の底ではそういう気分があって、何を見ても、何を聞いても晴れ晴れとしない」。

 同じ世代の人間として、この思いは共通である。振り返れば、互いに社会に出たのが昭和30年代の初め。経済白書が「もはや戦後ではない」と指摘したように、高度経済成長期への登り口で、頑張れば必ず明日は良くなると素直に信じられた時代である。それから50年、どうして日本はこんなに情けない国になり下がってしまったのであろうか。

 再び本書の一節。「若者はほっといても若者だが、大人は努力なしでは大人になれない」、「何でもありの社会は、何にもなしの社会であり、人間すべてが迷い子になる」、「国会が荒れるということは、荒れる人間を選んだ人がいたということ」。

 


『金融権力・・グローバル経済とリスク・ビジネス』
著者:本山 美彦    出版社:
岩波新書   

丸川 晃  


 100兆ドル以上ともいわれる天文学的金額の過剰流動性の多くが、デリバティブや狂気的に値上がりつつある原油市場などに対する投機資金として、世界経済を撹乱している。ガソリン価格の高騰、各種食料の値上げなど、われわれの生活を圧迫しつつあるインフレ傾向に対して、われわれはどこに怒りをぶつけたらよいのであろうか。その回答の一つを示唆しているのが、本書である。

 本書は、このような投機資金の性格を『金融権力』と規定し、グローバル金融に深刻な影響を与えているサブプライムローンをケーススタディとして、この構造的権力を批判した好書である。

 即ち、アメリカ発のフリードマン流の『金融の自由化』=『規制の絶対的廃止論』が、カネがカネを生むシステムを世界中に伝搬して、投機経済化してしまった。債権の証券化を基本とする『直接金融』→CDO(債務担保証券)などの発行→格付け会社が評価・査定→理論価格で機関投資家がヘッジファンドなどを売却→更に末端投資家などに転売(リスクの他者への無限の転嫁)というプロセスで、リスクの確率を基に証券の将来価格を計算するという金融工学の発達を背景にして、『金融権力』は証券のHigh Risk High Returnを求めて投機に傾斜したシステムを形成していった。

 そして『世界の過剰資金は、従来の展望が断たれた時は、バブルを煽り易い地域に殺到』して、例えばサブプライムローン関連で金融界全体で損失額約8.000億ドル(08年3月末時点の本書推定)を計上したり、天然資源のバカげた程の暴騰など、世界の社会、経済に深刻な影響を及ぼしている。

 京大名誉教授で元国際経済学会会長である著者は、例えば、J.R.ヒックスが、経済は確率論などで律せられず、歴史の一端と位置付けれるものだとした著作があること、ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ学派の金融工学権威者の逸話、そしてその賞は正式のノーベル賞ではないことなど、博学な知識を披露しているが、他方、それだけに本論からの脱線も少なくないように感じられた。そして、国際経済の専門家で、『金融権力』に批判的な著者には、その背景となる巨額の国際過剰流動性の実態にもっとメスを入れてもらいたかったし、また『金融権力』に対抗する手段として『規制』するにしても、その具体論を展開してもらいたかったという不満は残った。

 

 

ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

『ロンドン便り(2)  ワガママ?』
クレア 恭子

 「僕、部屋で煙草が吸えないとダメなんだ。何とかならないかな…」数年前帰国したS氏が偉くなってロンドンにもどって来る。昔の世話役から滞在ホテル変更の依頼がきた。新世話役は企画部にいる若いK君。人事部出身で規則一辺倒の彼から「ワガママです。ロンドンでは屋内禁煙があたりまえ。」と一蹴されたらしい。

 S氏の泣きそうな童顔を脳裏に浮かべながら予定ホテルへ電話してみる。確かに全館禁煙、喫煙できる場所はある、とのこと。戸外のはずである。
 喫煙と癌等の病気との関連が証明されて久しい。‘健康’と‘周囲への二次災害防止’を主眼に英国では2007年7月より禁煙法が施行された。パブ・レストランはもちろん公共の場では禁煙となり、喫煙は戸外か自宅だけとなった。結果、レストラン前の歩道にはテーブルや椅子が並び南欧風情。オフィス街では煙草を手にした従業員が群れる。ホテルは喫煙室数を削減。予約の際に申し込んでも到着時に喫煙室のある保障はない。

 禁煙法反対派は‘吸う権利’と‘営業妨害’で対抗。1年を経て反対の先頭に立っていたパブチェーンでは客が増加し売り上げ好調。煙を嫌っていた人達がもどってきたのである。一方、政府は与論の勢いを得て容赦なく煙草税を引き上げたが煙草の売り上げは激減していない。簡単に煙草を止められないのが悔しい現実らしい。

 日本でも次第に禁煙運動が定着している。でも京都の河原町の路上一画の禁煙とその道路沿いのレストラン内での喫煙可には驚いた。従業員への二次災害はポイ捨ての吸殻処理以下の見識であるらしい。
 努力の甲斐あってS氏の喫煙室は確保できた。「勝手だな。忙しいのにこんなことで時間を取らせて!」とK君は怒っている。K君は正しい。でもS氏の声はすっかり明るくなった。東西問わず煙草関連業界の繁栄はまだまだ続きそうである。






 2008年は、9月14日が「中秋の名月」で、「十五夜」、「芋名月」と呼ばれ、だんごやお餅(中国では月餅)、サトイモ、ススキ等をお供えします。これは、中国では、月見の日は、もともとはサトイモの収穫祭であり、その後、宮廷行事となり、それが奈良〜平安時代頃日本に入ってきたためサトイモを供えるようです。
 また、ススキは、この供えたススキを家の軒に吊るしておくと一年間病気をしないという言い伝えからということです。

 今年の夏は酷暑でした。このままではこの冬は厳冬かもしれません。加えて政治・経済とも混迷を深めている昨今で、皆様には、何かとご多忙のこととおもいますが、激変期への対応はまず健康です。名月に、ススキでもお供えし健康を祈願したいと思う次第です。
 今号は、最近の日本のあるいは世界の諸問題を鋭く突いた力作の評論揃いでした。有難う御座いました。(HO)








 
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