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■2012年3月1日号 <vol.197>

書評 ─────────────


・ 書  評  丸川 晃 『牛の文化史』

・【私の一言】 岡本弘昭 『日本の将来人口推計に思う』



2012年3月1日 VOL.197


『牛の文化史』
 (フロリアン・ヴェルナー著 臼井 隆一郎  訳東洋書林)  

丸川 晃    


本書の題名は、極めて単純に”DIE KUH”、日本語では『牛の文化史』、 『文化』という言葉を『ヒトが自然に対して手を加えて作ってきた物質両 面の成果』と解釈すると、本書は、正にヨーロッパ人が、ギリシャ・ロー マ時代から育んできた『牛』に関する『文化史』全般を網羅的に取り揃え て描いており、しかも牛に関する啓蒙書というよりも、牛に焦点を当てた エッセイという色彩が強い。

なお本書の著者は、ドイツ文学博士のジャーナリスト、訳者は著名なドイツ語学者、訳文は極めて軽妙、洒脱で、読みやすい。

牛の祖先はオーロクスという現在のバイソンに似たような動物で、イランからインドにかけて生息していたそうだ。このオーロックスの末裔は、 氷河期末期には、既に人間の手を借りてユーラシア大陸から北アフリカに 迄達し、新大陸には、コロンブスが初めて牛を運んだといわれる。そして 古代エジプト人が、ナイルの恵みを齎す水を生み出す大空は、太陽神を背 に乗せた巨大な天の牛の下半身であるとしたように、古くからヒトと牛と の関係は、ヒトに対して労働力、ミルク、肉、皮膚などを提供するのに対 して、ヒトは牛を飼育・保護するという、徹頭徹尾共生的なものであった。 

現在、地球上に生存している牛は約13億頭(その餌となる牧草地の必要 面積は、地球陸地の約1/4になるという)、その殆どは緑草を原料とする 『ミルク製造機』および『牛肉提供』用に飼育されているもので、農耕・ 運搬用などの利用は僅かにその1割強に過ぎないようだ。
 
本書の構成は、主人公の牛とヒトとの多面的な関わりを『牛取引』、『ミルク』、『目』、『モー』、『邪悪なる牛』など、14項目に分けて記述するという形を取っている。
このなかから、特徴的な幾つかの話題に触れてみよう。

まず牛は、市場行為の化身そのものであるとされ、capitalismは、cattleと共 にラテン語caput(頭)を語源としており、『牛取引』といえば、買手が一杯食 わされる取引を意味しているし、また”cash cow”といえば、PPMの「金のなる木」で活躍する。

牛肉は、19世紀末頃までは食生活のピラミッドの中で最高のステイタスを占め、血の滴るようなステーキをフォークで突き刺して食べるのは金持ちや権力者の特権で、ヒトを攻撃的、情熱的にさせると信じられていたのに対して、20世紀に入ると、原形を留めないほど細切れにされた挽肉を焼いてパンに挟むハンバーガーが普及して、あらゆる階級が牛肉を口に入れられるようになった。

因に今日のアメリカ人は、一人当たり年間7頭の牛を食べ、そのうち40%は ハンバーガーであるという。更に牛といえば『ミルク製造機』であり、FU の法的名称規定によれば、牛の『ミルク』という名称は、1日1回ないし数回にわたって搾乳により製造され、いかなる添加物も加えず、いかなる除去処理も行わない通常の乳房の分泌腺の産物にのみ、使用を許可されるとのこと。
当然、雌牛がミルクを出してくれるためには妊娠・出産が必要で、今では乳 牛は毎年妊娠させ、一生で7回から10回出産を繰り返させて、搾乳期は年間 最大305日も続くという。
まさに、『ミルク製造機』である。

意見に食い違いがあるのは、牛の『目』に関する評価である。『牛のような『目』をしている』という表現は、時代によって、一方では『悪意や批判が集中している部位』とされ、他方では『丸くて暗い『目』の眼差し』は平静さを意味すると評価される。何れもヒトの尺度で評価したものであるから、
それほど気にする必要はないかもしれない。蛇足を加えると、牛の『目』は、
黄・緑の色彩しか認識できないが、その視野は270度に及ぶという。
そして、牛についての意見が一致しているのは牛の反芻で、ruminateには、 『反芻する』、『思い巡らす』という両義があるように、反芻する牛は、ヒ トにとって葉落ち着きと平穏の象徴に伝えているそうで、挨拶する、吠える、 哀訴する、嘆くなど、多彩な表現が伺われるという。
しかし、牛が何をいおうとヒトが聞き取れるのは、ただ『モー』という鳴き
声だけである。

インドのカシミール地方では、1970年代頃までは、牛を殺したら死刑に処 されるという法律が生きていたそうで、現在でもインドでは、ヒンドゥー教 により牛は神聖な動物とされ、世界人口の1/6のヒトと、同じく牛の1/10が住 んでおり、主として農耕、動力源として利用され、年間発生量約7億トンに及 ぶ牛の排泄物は肥料や燃料として使われ、後者は家庭用燃料の半分(石炭換算 6千4百万トン)の熱量になるという。

牛は、『邪悪なる牛』と評価されることもある。即ち、西暦447年のトレド 公会議で、悪魔の姿を『黒い牡牛』になぞらえられてきたが、現在では、世 界に生息する13万頭の牛は、環境破壊・汚染の一翼を担う動物ともされる。
例えば、牛は月400kgの草を食べるので、ハンバーガー1個当たりで6平方メー トルの原生林が後退することになり、また反芻に伴い発生する牛のゲップは、 1日230リットルのメタンガスを吐きだし、この大気圏温暖化効果は年間20億 トンの二酸化炭素に換算されるという(ゲップ吸引器が開発されているとのこ と)。

悲惨な話に入ると、大量の牛が犠牲になる病気の一つが、BSE(海綿状脳症) である。1990年代後半以降、ヨーロッパの牛食人種を震撼させ、21世紀初頭 には、米・日などにも波及した病で、大量の牛を焼却処分せざるを得なかった BSEは、その原因の過半が、羊などの汚染肉骨粉を牛の飼料として与えたこと にあるとされている。ヒトの食卓に上る哺乳動物は、極端な場合の例外を除き、 すべて生まれつきの草食動物である。ところがBSEの発生は、生来の草食動物 である牛を『共食い動物』にしてしまったことを意味している。このような文 明をどのように評価するか、著者は、この問題は、自然科学ではなくて倫理学 の領域に係わるものであるとしている。

もう一つの牛の大量虐殺事件は、口蹄疫(鯨偶蹄目が感染する口蹄疫ウイルス
感染症)である。21世紀に入り、この伝染病により日、韓、英、米で焼却処分に なった牛は、実に一千万頭以上に上ったと推定される。まさに、『牛の黙示録』 である。世界終焉時、神の審判により、温和で静かな牛が天国入国許可証を発 行されることは確実と見てよかろうと、本書は結んでいる。
平和で牧歌的な牛の生活を淡々と描いてきた著者が、最後になって、BSEや口 蹄疫による牛の終末論的な黙示録的恐怖絵を描いているということは、一体何を 意味するものであろうか。
                                  

 

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『日本の将来人口推計に思う』
岡本弘昭 



国立社会保障・人口問題研究所は、1月30日、 日本の将来人口推計の結果概要を発表した。
この推計の出生中位・死亡中位でみれば、わが国の将来の総人口は、2048年に1億人 を割り込み、2060年には8674万人になる。これは2010年に比べて32%の人口減少であ る。

さらに人口構造としては、生産年齢人口(15〜64歳)は、2060年には4418万人(対 2010年比46%減少)となリ、一方、65歳以上の高齢者の割合が40%となる。この結 果、老年従属人口指数(生産年齢人口100に対する老年人口の比)は、2010年の36.1 (働き手2.8人で高齢者1人を扶養。いわゆる騎馬戦型)が、2022年には50.2(同2人 で1人を扶養)まで上昇し、2060年には78.4(同1.3人で1人を扶養。いわゆる肩車 型)に達すると推計されている。

この原因の一つは、予防医学の充実などで、2060年には男性が84.19歳、女性が90.93 歳になるとされる平均寿命のさらなる伸長予測にある。しかし、最大の原因は出生率 の低下と人口減である。一人の女性が一生涯に産む平均の子供の数を示す「合計特殊 出生率」は、2010年は1.39だったが、2060年は1.35と予想され、少子化の状況は今後 も変わらないと見られていることにある。この原因には、将来の不安や経済的な理由 から1995年生まれ(今年17歳)の女性のうち、生涯未婚の人の割合は今の倍の20%と 予測され、さらに、子どもを産まない人は3人に1人、ということにある。

ドラッガーは、『見えざる革命』で、「人口構造の重心が移動すれば、社会そのもの が変化する。組織や問題はもとより、社会の風潮、性格、価値観が変わる。激震が走 る」と指摘している。
日本社会は、現在、まさに人口構造の重心が移動しつつあり、この移動が今後とも続 く環境下にあり、全世代が協力し、新しい社会の構築を目指す必要がある時期にあ る。

日本のこのような状況の解決には、出生率と労働参加率の向上が重要課題となる。こ のため、女性が子育てをしながらでも働きやすいように、保育所や学童クラブの整備 し、短時間労働など柔軟な勤務ができる環境を作り、出生率の向上を図っていく必要 があるし、また、若い世代が、将来の生活設計ができるような雇用環境や社会保障制 度に変えるなど、出生率の向上のための努力が必要と指摘されている。また、労働参 加率の向上に関しては、高齢者を含めて働ける人は働き、支える側に回る必要がある と言われている。

いずれにしても、この新しい社会の構築には、国民一人一人が、それぞれの立場で問 題を認識し、解決への努力を必要とする。特に、高齢者は、新しい時代に対応し、高 齢者として受けられる厚遇は見直さざるを得ないし、高齢者も働ける人は働く必要が あると認識することが肝要である。さらに、所得の多い高齢者は年金などの給付を我 慢し、所得が多い人が、所得の少ない人を支える必要もある。また、病院や施設を中 心とした医療・介護には限界があり、高齢者は在宅での医療・介護の体制に移行する こと等の覚悟も要する。高齢者には厳しい時代であるが、日本の将来のためには我慢 は不可避であろう。

それはそれとして、全世代で取り組める解決策の一つとして、大家族制への回帰があ るのではないか。昔は、各世代が働く役割と生きがいを共有し、祖父母が孫の世話を し、保母、保育士の役割を果たし、これにより子供夫婦の共働きは可能となってい た。高齢者も役割を分担し、死ぬまで働いていた歴史がある。日本では、1960年代の 高度経済成長時代に急激に核家族化し、同時に小家族化したが、ここで改めて家族制 度を見直し、何らかのインセンティブを加え、大家族制の長所を活かした家族制度を 取り入れることが、出生率の向上、労働参加率の向上の一助となるのではないかと思 う。

 

 


 厚労省の中高年者縦断調査によると、団塊の世代を含む60才〜64才の5割超が65才
以降も仕事を続けたいと考えており、70才以降でも3割近くが仕事をしたいと望んで
いるということです。働きたい動機は、年金以外に収入が必要、健康維持、社会との
つながり保持等だそうですが、働く意欲は強いものがあるようです。

 したがって、この意欲をうまく生かす政策が採れば、日本の労働参加率の向上も図
られ、人口構成の移動による問題の一部も解決される可能性も出てきます。高齢者の
パワー発揮が重要な時期でもあり、この働く意欲に期待がかかります。
今号も貴重なご寄稿をいただきありがとうございました。(H.O)





 
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