本書の題名は、極めて単純に”DIE KUH”、日本語では『牛の文化史』、 『文化』という言葉を『ヒトが自然に対して手を加えて作ってきた物質両
面の成果』と解釈すると、本書は、正にヨーロッパ人が、ギリシャ・ロー マ時代から育んできた『牛』に関する『文化史』全般を網羅的に取り揃え
て描いており、しかも牛に関する啓蒙書というよりも、牛に焦点を当てた エッセイという色彩が強い。
なお本書の著者は、ドイツ文学博士のジャーナリスト、訳者は著名なドイツ語学者、訳文は極めて軽妙、洒脱で、読みやすい。
牛の祖先はオーロクスという現在のバイソンに似たような動物で、イランからインドにかけて生息していたそうだ。このオーロックスの末裔は、
氷河期末期には、既に人間の手を借りてユーラシア大陸から北アフリカに 迄達し、新大陸には、コロンブスが初めて牛を運んだといわれる。そして
古代エジプト人が、ナイルの恵みを齎す水を生み出す大空は、太陽神を背 に乗せた巨大な天の牛の下半身であるとしたように、古くからヒトと牛と
の関係は、ヒトに対して労働力、ミルク、肉、皮膚などを提供するのに対 して、ヒトは牛を飼育・保護するという、徹頭徹尾共生的なものであった。
現在、地球上に生存している牛は約13億頭(その餌となる牧草地の必要 面積は、地球陸地の約1/4になるという)、その殆どは緑草を原料とする
『ミルク製造機』および『牛肉提供』用に飼育されているもので、農耕・ 運搬用などの利用は僅かにその1割強に過ぎないようだ。
本書の構成は、主人公の牛とヒトとの多面的な関わりを『牛取引』、『ミルク』、『目』、『モー』、『邪悪なる牛』など、14項目に分けて記述するという形を取っている。
このなかから、特徴的な幾つかの話題に触れてみよう。
まず牛は、市場行為の化身そのものであるとされ、capitalismは、cattleと共
にラテン語caput(頭)を語源としており、『牛取引』といえば、買手が一杯食 わされる取引を意味しているし、また”cash
cow”といえば、PPMの「金のなる木」で活躍する。
牛肉は、19世紀末頃までは食生活のピラミッドの中で最高のステイタスを占め、血の滴るようなステーキをフォークで突き刺して食べるのは金持ちや権力者の特権で、ヒトを攻撃的、情熱的にさせると信じられていたのに対して、20世紀に入ると、原形を留めないほど細切れにされた挽肉を焼いてパンに挟むハンバーガーが普及して、あらゆる階級が牛肉を口に入れられるようになった。
因に今日のアメリカ人は、一人当たり年間7頭の牛を食べ、そのうち40%は ハンバーガーであるという。更に牛といえば『ミルク製造機』であり、FU
の法的名称規定によれば、牛の『ミルク』という名称は、1日1回ないし数回にわたって搾乳により製造され、いかなる添加物も加えず、いかなる除去処理も行わない通常の乳房の分泌腺の産物にのみ、使用を許可されるとのこと。
当然、雌牛がミルクを出してくれるためには妊娠・出産が必要で、今では乳 牛は毎年妊娠させ、一生で7回から10回出産を繰り返させて、搾乳期は年間
最大305日も続くという。
まさに、『ミルク製造機』である。
意見に食い違いがあるのは、牛の『目』に関する評価である。『牛のような『目』をしている』という表現は、時代によって、一方では『悪意や批判が集中している部位』とされ、他方では『丸くて暗い『目』の眼差し』は平静さを意味すると評価される。何れもヒトの尺度で評価したものであるから、
それほど気にする必要はないかもしれない。蛇足を加えると、牛の『目』は、
黄・緑の色彩しか認識できないが、その視野は270度に及ぶという。
そして、牛についての意見が一致しているのは牛の反芻で、ruminateには、 『反芻する』、『思い巡らす』という両義があるように、反芻する牛は、ヒ
トにとって葉落ち着きと平穏の象徴に伝えているそうで、挨拶する、吠える、 哀訴する、嘆くなど、多彩な表現が伺われるという。
しかし、牛が何をいおうとヒトが聞き取れるのは、ただ『モー』という鳴き
声だけである。
インドのカシミール地方では、1970年代頃までは、牛を殺したら死刑に処 されるという法律が生きていたそうで、現在でもインドでは、ヒンドゥー教
により牛は神聖な動物とされ、世界人口の1/6のヒトと、同じく牛の1/10が住 んでおり、主として農耕、動力源として利用され、年間発生量約7億トンに及
ぶ牛の排泄物は肥料や燃料として使われ、後者は家庭用燃料の半分(石炭換算 6千4百万トン)の熱量になるという。
牛は、『邪悪なる牛』と評価されることもある。即ち、西暦447年のトレド 公会議で、悪魔の姿を『黒い牡牛』になぞらえられてきたが、現在では、世
界に生息する13万頭の牛は、環境破壊・汚染の一翼を担う動物ともされる。
例えば、牛は月400kgの草を食べるので、ハンバーガー1個当たりで6平方メー トルの原生林が後退することになり、また反芻に伴い発生する牛のゲップは、
1日230リットルのメタンガスを吐きだし、この大気圏温暖化効果は年間20億 トンの二酸化炭素に換算されるという(ゲップ吸引器が開発されているとのこ
と)。
悲惨な話に入ると、大量の牛が犠牲になる病気の一つが、BSE(海綿状脳症) である。1990年代後半以降、ヨーロッパの牛食人種を震撼させ、21世紀初頭
には、米・日などにも波及した病で、大量の牛を焼却処分せざるを得なかった BSEは、その原因の過半が、羊などの汚染肉骨粉を牛の飼料として与えたこと
にあるとされている。ヒトの食卓に上る哺乳動物は、極端な場合の例外を除き、 すべて生まれつきの草食動物である。ところがBSEの発生は、生来の草食動物
である牛を『共食い動物』にしてしまったことを意味している。このような文 明をどのように評価するか、著者は、この問題は、自然科学ではなくて倫理学
の領域に係わるものであるとしている。
もう一つの牛の大量虐殺事件は、口蹄疫(鯨偶蹄目が感染する口蹄疫ウイルス
感染症)である。21世紀に入り、この伝染病により日、韓、英、米で焼却処分に なった牛は、実に一千万頭以上に上ったと推定される。まさに、『牛の黙示録』
である。世界終焉時、神の審判により、温和で静かな牛が天国入国許可証を発 行されることは確実と見てよかろうと、本書は結んでいる。
平和で牧歌的な牛の生活を淡々と描いてきた著者が、最後になって、BSEや口 蹄疫による牛の終末論的な黙示録的恐怖絵を描いているということは、一体何を
意味するものであろうか。