著者は37歳を迎えたとき、「戒老録」を執筆し、壮年期であればこそ気のつく老人に向けての戒めを数多く示された。いま当時の2倍の年齢に達し、晩年にいかなる美学を求めようとしているのか。
例えば「人の世にあることはすべて自分の上に起こり、人の中にある思いはすべて私の中にある。」といった人生の美学としての数々の言葉を記している。
しかし、私にとって一番印象深かったのはある一人の患者がニューヨーク大学の壁に書き付けた次の『病者の祈り』と著者のコメントである。
大事をなそうとして力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった
より偉大なことができるように健康を求めたのに
より良きことができるようにと病弱を与えられた
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと弱さを授かった
人生を享受しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにといのちを授かった
求めたものはひとつとして与えられなかったが
願いはすべて聞きとどけられた
神のみこころに添わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ
コメントは“大切なことは、この詩に多くの人が深く共鳴し、そこに人生の意味を発見し、納得し、希望や目的が与えられたということだ。”
この詩のようにあらゆる人生は、重層的・複合的に考え行動することが重要であるが、現実は難しい。
著者は「老人になると幸・不幸まで均(なら)して考えることができるようになる。」ということで、老人こそ、経験を生かしすべてを均して考えることを美学の真髄とすべきと考えている。同感である。
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