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■2007年11月1日号 <vol.93>
書評 ─────────────


・書評 稲田 優   『時の砦』
・書評 桜田 薫   『ヤバイ経済学』

【私の一言】濱田 克郎 『アメリカ便り(15)』

 


2007年11月1日 VOL.93


『時の砦』
著者沢木統    出版社:文芸社
    

稲田 優  


  昭和19年に、西荻窪から父親の実家がある熊谷に一家5人で疎開した幼児時代の主人公が、長じて国際金融マンになるまでの自分史と戦後史を重ね合わせた出色の小説である。
 本の帯には“潔癖に身を処し、実直に生きた安保世代の精神形成を描く自伝的成長小説”とあり、時代、世相の変遷が主人公の実体験という形で生き生きと再現される。終戦の前夜に、疎開した熊谷が容赦なく空襲にやられて逃げ惑った経験など同世代の読者に驚きと親近感を与える。
 一方でこの小説の主要な部分は、主人公がその時々に本をどのように選択し、いかなる読み方をしたかである。
 小学校高学年のときに思いがけず指名されて主役を演じた『セロ弾きのゴーシェ』、それが日本人の宮沢賢治の作であることがわかって身近なものになってゆき、次第にその奥行きを感じてゆく過程など、引き込まれる。
 吉川英治の「宮本武蔵」、夏目漱石、マルクス/エンゲルス、・・・長ずるに従って遠藤周作、アウグスティヌス、北森嘉蔵など聖書にウエイトがかかって行く。
 本の構成は、自分自身の年譜と合わせた戦後史、政治思想史の軌跡を振り返った西部邁の「無念の戦後史」とほうふつとさせる一方、思春期から青年期にかけて人はどのように本と出合い、選択し、どのようにして心の成長の糧としてゆくのかを見事に描いた野心的小説といえる。
 著者沢木統は今年9月にこの小説を刊行して小説家としてデビューしたが、小説の主人公“徹”を作者自身と見立てると年齢は67歳頃と推測される。時代小説の巨匠池宮彰一郎が脚本家から小説家に転じたのが69歳のときで、今年5月に84歳で亡くなるまで数々の大作を世に出した。この著者沢木統の今後の第二、第三の小説が期待される。

 
『ヤバイ経済学』
著者:
Steven D,Levitt and Stphen J.Dubner
出版社:東洋経済新報社
 
桜田 薫 


  シカゴ大学教授のレヴィットとジャーナリストのダブナーの二人がいろいろな不正やインチキを明快に分析する。太平洋戦争が終わってから数十年の間、米国の犯罪は増え続けた。1993年クリントン大統領時代の司法長官に提出された専門家による報告は、ティーンエイジャーによる殺人の急増を予測し、楽観的観測でも10年で15%(悲観的観測では100%)増加するとした。しかし、驚いたことにティーンエイジャーによる殺人率は5年間で50%以上減少し、2000年にはアメリカ全体の殺人率は35年の水準まで下がった。
 これは専門家の誰も予想できなかったことだが、さらに、多くは減少の原因を90年代の好況経済や銃規制などにあるとした。しかし本当の原因は、レヴィットが初めて解明したことだが「ロー対ウエイド裁判」で最高裁が下した中絶の合法化を認める判決であった。その論文の発表時、レヴィットは各方面から批判を浴びたが、それは学問的な批判ではなかった。家庭環境の悪い子供はそうでない子供に比べて罪を犯す可能性がはるかに高い。中絶をするのは貧しい未婚の未成年で、犯罪予備軍が劇的に縮小したからである。
 このほか本書が取り上げたテーマにはシカゴで学校の成績を上げるために行った教師の不正や不動産業者の取引の実態などさまざまであるが、その一つに日本の大相撲に関するものがある。
 2001年初場所までの12年間、力士281人による32,000番の取り組みがあった。その中から千秋楽に勝ち越しのかかる7勝7敗の力士が8勝6敗(9勝6敗もあるが省略)の力士と対戦した結果を取り上げ、それ以前と以後の場所で同じ力士同士の取り組みの成績を比較した。その結果、前者は千秋楽では79.8%の確率で勝っているけれども、同じ力士に対してそれ以前の勝率でも分が悪いが、次場所の再戦では4割しか勝っていないことが分った。その理由はいろいろ説明できるかもしれないが・・・。
本書の書名「ヤバイ経済学」はFreakonomicsの翻訳であるが、「フリーク」は変人とか異種という意味である。取り上げたテーマは、本流の経済学から異種と見られる向きもあるが、経済学者としてレヴィット氏の名声は確立している。

 
 
 
  

 

ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

『アメリカ便り(15) 技術革新と電話』
濱田 克郎

   夜明け前の4時頃熟睡中に電話で起こされることが何度かあった。
 四半世紀前、ニューヨークで勤務している頃である。ちょうどファクシミリが普及し始めた頃でもあった。連日遅くまで残業し、日付が変わって帰宅して束の間の貴重な睡眠をとっている時に途中で起こされるのは本当につらかった。
 どういう緊急な用であろうかと心配しつつ寝ぼけたままで電話口に出ると、相手は早口でまくしたてるが、一向に訳が分からない。もう少しゆっくり訳が分かるように話すように言うと、もう退社の時間でありあまり時間がないと宣う。日本との時差が14時間あることをこの御仁は全く頓着していないようであった。
 聞けば私より若手の私と面識もないこの担当者は、つい今しがたあることに関する依頼事項をオフィスに送信したからその旨を電話で連絡に及んだことのようであった。
 私は睡眠を妨げられた腹立たしい気持ちもさることながら、情けなさでへなへなと力が抜けてしまった。ファックスで送ったのなら、それで良いではないか。もし受信されたかどうか心配で電話をかけるのなら、相手との時差をちゃんと認識した上でオフィスにかけてくれ。時差を考慮せず相手を起こしてしまったことを知ったら、せめてごめんなさいぐらい言えないものか。だってそもそも電話は相手のいるところに土足でいきなり踏み込むようなものかもしれないのだから。 次は1990年代半ば、伝言の代わりにヴォイスメールなるものが出始めた頃のことである。同じ会社にFRB出身で、ヴォルカー議長の右腕と称され前統計局長だった人がいた。経済のプロでない私にわかるような分かり易い経済の見方、FRBで特に重視している指標、皆が気づいていない事象だけれど大事なものがあること、一喜一憂しないものの見方など、それまで味わったことのない新鮮なレッスンを学ばせてもらったような気がしている人の中の一人である。
 彼の部屋で話をしている時、話の途中で彼の机の電話機が鳴りだした。何回か鳴っても彼は電話に出ないので私が“どうぞ電話に出て下さい。”と言うと、彼の反応は以下のようなものであった。“あなたと私は今こうして大事な話をしている。あなたは私と話す約束をして私と会っているが、この電話をかけてきた人は違う。どうして私があなたに優先してこの電話に出る必要があろうか。もしどうしても必要な、あるいは急な用件であれば、ヴォイスメールに入れれば良いことだ。今はそういう技術が活用できる。”
 誰かと会っている時でなくても、滅多に電話にはでないそうである。沈思黙考している時間を邪魔されたくないからだそうだ。ヴォイスメールはその後チェックする由。 時間はうんと飛んで最近の話。携帯電話やインターネットに繋がる携帯端末が普及している。飛行機の中でもゲートを出るまでほとんどの人がひっきりなしに大声で電話をかけまくり、飛行機が着陸したとたんに未だゲートに到着する前に一斉にメールやヴォイスメールをチェックしたり、今着陸したところなどと電話をかけ始める人のいかに多いことか。犬を連れて朝の散歩をしていると、家を出たばかりで出勤途中のドライバーが既に携帯電話を左手に持ち、右手でハンドルを持って運転している人がいる。時にはジェスチャーの為に右手も離し、危うい運転になっている人もいる。おやまあと思うことであるが、日本の知人の話を聞いて更に驚いたことがある。携帯電話の電源を切ると知人のみならずいろいろな人から咎められるか怪しげに思われかねないから、なかなか電源を切れないか、切ったとしたらそれ相応の言い分を用意していなければならない、というのである。自分の都合で電話に出ないか、電源を切ることはコミュニケーションの中での自殺行為になるかもしれない危惧があるという人までいる。
 あるいは、携帯電話を持つメリットと持つことによるデメリットを熟慮した上で、きっぱりと“自分は携帯電話を持たない主義だ”と公言する必要があるというのである。携帯電話を持つ、持たないということが主義の対象になるのがしっくり来なかった。これでは電話を利用しているというより、電話に追いかけられたり、自由な沈思黙考の時間を阻害されたり、むしろ便利さとj引き換えに魂を渡しているようなものと考えるのはおそらく私のようなスローライフを送ろうとしている一握りの変な輩だけかもしれない。電話やそのベースとなる技術が主体ではなく、使う側の人間が主体のはずである。どういう局面で使うのか或は使わないのかも、マナー、習慣、文化と関わりがあるのかもしれない。少なくとも電話をかける時は、自分の状況と同時に相手の状況に思いをいたすことがまず第一。仮に繋がらなくても“何か事情があるのかも。まあいいか。”と余裕を持ち、次には繋がった場合でも“今話してよいですか”とでもことわる余裕があればスムーズなコミュニケーションのための第一歩に役立つのではなかろうか。
 電話勧誘の人々への正論或は逆説的教訓になるーーー訳ないか。


∴∴∴∴《編集後記》∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴

 今年も読書週間を迎えました。
終戦まもない昭和22年に「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、出版社・取次会社・書店と公共図書館、そしてマスコミ機関も加わって、11月17日から、第1回『読書週間』が開催されたそうです。
翌年の第2回からは、期間も10月27日〜11月9日とし、日本の国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民の国」になりました。
電子メディアの発達によって、世界の情報伝達の流れは変容しつつありますが、人間性を育てるには、「本と読書」の果たす役割が期待されます。
今年の読書週間の標語は、“君と読みたい本がある”だそうです。
引続きいろいろな角度、ジャンルの書評等をお届けしたいと思いますので、ご寄稿も宜しくお願い申し上げます
(HO)








 
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