本書は良寛さんに関する格調の高い研究文献である。江戸の後期に新潟県三条市の庄屋の家に生まれ、家運の傾く頃、18歳で剃髪し、その4年後、縁あって備中玉島円通寺に赴き、20年近く仏道の修行、遍歴を重ね、やがて39歳で故郷に戻る。その後も縁に従い縁に任すという生き方で74歳の生涯を終えるまで、世俗を捨てて乞食のように大愚として生きて、死んでいった良寛さんについて、著者は詳しく論じている。
不確かな歴史上の人物、良寛さんを、良寛さんの作品即ち詩歌、書、手紙などから類推してその実像に迫ろうとする著者の並々ならぬ努力には驚きを覚える。
良寛さんの足跡を辿り、その傑出した作品の内に秘められた心の奥底を解き明かしながら、ここに描かれている良寛像は、子供等と手鞠つく明るい好々爺のイメージとは異なるものである。不運で厳しく孤独な境遇に身を投じ、自然のままに事を運ぶ暗いイメージの、まるで乞食僧のように映る。
しかし、僻地の草庵にひとり住み、托鉢して心を養う良寛像に接すると、現代の日本人が置き忘れている何か大事なものを取り戻すような気がする。非日常的な言語を多く含む難解な書物ではあるが、目先の功利打算ばかりを追う軽薄な今の世にあっては、貴重な役割を果たす文献だと思う。
最後に一句; “散る桜 残る桜も 散る桜”(良寛)
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