■2010年11月15日号 <vol.166> 書評 ───────────── ・書評 前川 彬 『法隆寺とパルテノン』 (田中英道著 祥伝社)
・書評 石川勝敏 『日本外史』 (頼 山陽著 長尾 剛訳 PHP研究所) ・【私の一言】 クレア恭子 『ロンドン便り(10)ボリス・バイク』
2010年11月15日 VOL.166
『Google秘録ー完全なる破壊』 (ケン・オーレッタ著 土方奈美訳 文芸春秋刊)
本書は、グーグル設立後10年間にわたる成長プロセス、および主にアメリカを中心として、同社の躍進に対応して変貌ないし脱落していく極めて厳しい新旧メディア、ウェブ業界・企業の動向を、主として当事者のインタービュに基づいて著わしたもので、最近の大変動を惹起しつつある当該業界、企業の恐ろしい程ヴィヴィドな過程を伺い知ることができる好書であり、また本書の日本語訳も、その雰囲気を巧妙に表現している。 グーグルというとてつもない成長会社については、最早贅言を要しないかもしれないが、敢えて本書に基づいて、その歴史を要約してみよう。 1998年、2人のスタンフォード大学の学生が、ユニークな『検索サービス連動入札広告エンジン』とでもいうシステムを開発して、例のごとくガレージ部屋から出発し、アマゾンの社長などベンチャー・キャピタルの支援を得て企業化に成功。CEOにも適材を得て、2004年にはDual Stock制度を利用して上場。その後、検索を基盤とするM&Aを含む多角化を推進していき、結果として05〜07年にかけて、旧メディアの新聞、出版、TV、映画、電話、広告、音楽業界などとの抗争が本格化。これに対しては競争と協調とを使い分ける一方で、グーグル事業と競合する新分野での強豪相手として、例えば、中国の百度(バイドウ、中国の検索市場の70%以上のシェアを有する)、アメリカのフットブック(07年設立、既に世界中で5億人、日本でも100万人のユーザーをもつソーシァル・ネットワーキング・サービス(SNS)企業、グーグルのライバル、マイクロソフトが出資)や、2009年に出現したウォルフラム・アルファ(知識検索エンジン)など、最先端技術分野でも、グーグルを凌駕するのではないかと見られる企業、技術が続々と出現するという戦国時代の様相を呈している。 更に、最近頓に話題性を高めているクラウド分野でも、これの先行き大規模市場が見込まれるだけに(経済産業省の試算では、クラウド・コンピューティング市場規模は、2020年までに累計40兆円にも上るという)、グーグルもその基本的武器を着々と整備して、虎視眈々とこの分野の覇者を狙っているようで、今後、他ウェブ企業との技術的、経営的駆け引きが注目される。 そしてグーグルは、08年のIT不況時にも、140億ドルに上る手元資金を抱えて、殆どそのショックを被らないで成長した。換言すれば、グーグルの創設者2人(自己の技術に絶対的な確信を持ち、従ってその裏腹の関係で傲慢といわれていた)をはじめとする経営陣は、今までの過程が恵まれ過ぎて、未だ本格的な経営的困難に遭遇した経験がないという、基本的な欠点も有する。『グーグルのビジネス・モデルを盤石とみる根拠は何もない』とみる識者もいるという。 最近は、上記のSNSや各種の電子取引など、検索以外のサービスを経由するネットが使われる傾向が強まっているようだ。また日本でも、遅ればせながら既存メディア関係各社が提携して新規分野を目指すケースが増えている。これら新しい動きの今後の成否は別として、検索エンジンの覇者グーグルも、2010年代に入ってからは、それこそ世界的な過酷極まりない新旧・新新メディア間競争の大波に揉まれていくことになろう。 世界で日々弾き出される30億件に上る検索結果、蓄積した約2.4京バイトにのぼるデータ、そして2000万冊以上の電子図書を有するグーグルという企業の成長も、恐らくここ2,3年間が一つの天王山になるのではあるまいかというのが、評者の本書読了後の感想である。
『アメリカの鏡・日本』 (ヘレン・ミアーズ著 伊藤延司訳 アイネックス刊)
著者ヘレン・ミアーズ(1900-1989)は、戦前、中国・日本滞在を経験した女性東洋学者・ジャーナリスト。大戦中は、大学の占領地民政講座で講義し、日本占領要員を教育。戦後、GHQの諮問機関のメンバーとして来日、日本の労働基本法策定に関与。 原著書は、1948年出版され、米国人である著者が、「日本は何故無謀な戦争をしなければならなかったのか」を日本の立場も十分に理解した上で説き起こし、欧米諸国の対日政策を厳しく批判している。1949年、マッカーサーに占領中の翻訳出版を禁じられ(独立回復後の1953年出版)、1995年、再度、翻訳出版された。(角川新書に抄訳版あり。) 主な主張は――― 大戦中、米国内で宣伝された「日本人は好戦的である」説を否定し、日本は、鎖国中の200年間、外国との正式な外交関係を持たず、明治以降、欧米先進国が過去に行ってきた対後進国政策を忠実になぞって実行してきており、同様の植民地政策を採ってきた戦勝国側に日本を非難することは出来ない。 傀儡国家満州国は、欧米のまねであり、南アメリカを自国の裏庭に見立てたモンロー・ドクトリンと何ら変わるところがない(日本を見れば見るほどアメリカ自身の悪いところが良く分かる)。リットン調査団報告の「満州国を承認すべきではない」との非難は、欧米の先例を踏襲してきた日本に、「欧米には認められるのに、日本には認められない」、即ち、人種に向けられた非難であると考えさせ、国際連盟を脱退させた。 日本の罪は、西洋文明の教えを守らなかったことではなく、よく守ったことであり、非難されるのは植民地政策が拙劣であったことにある。 経済制裁を加え、日本側に先に戦争を始めさせることが、米国の戦略で、パール・ハーバーはその結果であってスニーク・アタックとはいえない。 反撃能力の残っていない日本に対し、太平洋の各拠点をひとつづつ殲滅、大量の非戦闘員を犠牲にした大都市空襲・原子爆弾投下など必要のない攻撃を政治的理由で行った連合国側に戦争犯罪人を裁く権利があったといえない。 戦後教育を受けてきた評者は、著者の主張はあまりにも大戦当時の指導者の考えと似通っており(マッカーサーも同様に思ったようだ)、違和感も抱いたが、少なくとも、現時点で、大戦の総括と安全保障についてのきちんとした議論の必要性をひしひしと感じた。同時に、戦争相手国の立場を理解し、終戦の間もない時期に自説を公刊した著者の勇気に敬意を表する。 それにしても、近年再翻訳(実質的に初翻訳)されるまで、本書があまり注目されなかったことは驚きである。
『多数決は責任逃れ』 幸前 成隆
組織のトップは、最高責任者。自分の頭で考えて決断し、その責任をとらなければならない。 「相談できる人間がいるのは副社長まで。社長は全部自分で決断する。真剣勝負の連続です。(明間輝行)」 多数決で決するのは、責任逃れ。一見民主的に見えるが、そうではない。 「多数意見に惑わされるな。(鈴木治雄)」 「多数決で決議すると責任逃れになってしまう。一人で決断することが社長として責任ある仕事の仕方だと確信している。(北村茂男)」 「全員が良いという場合は、何か見落としがあると考えてよい。(佐伯 勇)」 多数決で決めても、その責任は経営者にある。 「たとえ多数決で決まった場合でも、その責任はひとり責任者にある。(松下幸之助)」 経営者には、周囲の反対があっても「ノー」と言える勇気が必要である。 「企業のトップにとって最も大切なことは、『ノー』と言える決断と勇気だ。たとえ、役員全員が賛成しても、社長が『ノー』と言わなければならない場面もある。たいていの場合、この結果はよい。(朝田静夫)」 「周囲の反対を押し切って決断するためには、多数意見を否定するだけの確固たる論拠と信念が欠かせない。(鈴木治雄)」 決断は、衆知を集めた上でするのが大事。 「経営者は、衆議を尽くして独裁すべきである。(中内 功)」 「衆知を集めて独裁する。(佐伯 勇)」
例えば、選挙でA候補が全投票総数の約38%程度で当選した場合、他のB・C・D各候補の合計得票は62%を得ていたこととなり、この選挙結果は、選挙民の大多数にとっては悪いことでもある結果といえます。 多数決の原理というのは実に難しい決定方法です。 多数決について考えさせられることの多い今日この頃です。 今号も多面的な時宜を得たご寄稿有難うございました。(HO)
2005/03/01
2004/12/01