まず冒頭の「アメリカは騎士道精神のもちあわせがなく、常に自分たちを
正義と考える国」だと断じるところが、わたしにはとてつもなく新鮮に感
じられた。旅順の攻防が終わった時、乃木大将は水師営でステッセルを労
った。日本海海戦が終わった時東郷大将はロジェストウェンスキーを病院
に見舞った。でもマッカーサーは東条英機も本間雅晴も殺してしまった。
武士道をもつ日本と騎士道無きアメリカとの差である。
アメリカは当初日本にさしたる脅威を感じてはいなかったが、北清事変と
日英同盟や日露戦争での勝利あたりから、日本を恐れるようになり、日本
軍の米本土侵攻さえ想定するようになった。そして排日移民法とかブロッ
ク経済などによる日本叩きをするようになった。戦争になってアメリカは
日本の優れたところをイヤというほど味わうことになった。
東京裁判と占領政策とで日本を二度と立ち上がれないように仕向けたのも、
アメリカの日本を畏怖するが故の措置であった。東京裁判史観を定着させ
るために様々な政策を実施し、戦前の日本は悪かったということを日本人
に刷り込むことにつとめた。
結果はアメリカの思うつぼで、日本にもこれに同調する人が多々いたせい
もあって、途中でひっくり返す機会もあったのに、そのままずるずると時
を過ごしてしまった。
渡部教授は「今こそサンフランシスコ講和条約に戻るとき」として、東京
裁判を基点とする考え方(東京裁判史観)を捨てるべきことを強調してい
る。そして中国の共産党政権がアメリカと覇権を争う時代に入り、これか
らの日米関係は中国を視野にとらえながら考える要ありといっている。
私はかなり若いころから渡部教授の所説に感化されてきた。最初は「知的
生活の方法」だった。読書について考えさせられた。教科書問題で近隣諸
国が騒いだ時も、侵略を侵攻に書き換えた所などどこにもないと言って、
騒ぎを収めたことも有名な話である。この時の「一犬虚に吠えて、百犬声
に吠ゆ」は忘れられない。
今回の「アメリカが畏怖した日本」でも武士道の日本と騎士道なきアメリ
カという対比は納得性の高いものだと思う。