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■2009年12月15日号 <vol.144>

書評 ─────────────
 
・ 書評    石井 義高 『昭和20年夏、僕は兵士だった』 
         梯久美子著 角川書店

・ 書評    植松 俊明 『教育と平等』 
        苅谷剛彦著   中公新書

・【私の一言】 新田 恭隆 『文部科学省に物申す』






2009年12月15日 VOL.144


『昭和20年夏、僕は兵士だった』
著者梯 久美子   出版社:角川書店
石井 義高    

 この本の題名を見て、あの8月15日の玉音放送を思い出す人は今の日本国民の中で何パーセントになるのだろう。

 私は国民学校(戦後、小学校に名称変更)4年生で、夏休み中に学校から緊急招集を受け、校庭に整列して、雑音が多いラジオで、聞き取り難い玉音放送を聴いた事を記憶している。放送の内容も難解で分らなかったが、先生から戦争が終ったのだと聞かされて、「ああそう言う放送だったのか」と思ったものだ。  この本に登場する金子兜太(俳人)、大塚初重(考古学者)、三国連太郎(俳優)、水木しげる(漫画家)、池田武邦(建築家)の5氏はいずれも大正8年から15年の生まれで、大日本帝国の軍人としてこの日を迎えた人達である。

 著者が5氏にインタビューして、軍隊での体験、戦後の生活、現在の心境などを聞き出し、著者自身のコメントを加えて纏めた本である。  文字通り九死に一生を得て、戦後の混乱の中を生き延び、夫々の分野で大成した5氏の戦争中の実体験は想像を絶するものであり、今だから話せる内容が多く含まれている興味深いものである。

 戦争の残酷さ、悲惨さを改めて、認識させられると共に、軍事教育を受けた青少年が「お国のために我が身を捧げる事こそが、自分の生きる道である」と信じて、敢えて死への道を選択した事実からは教育の持つ力の怖さを思い知らされる所でもある。

 戦後60余年が過ぎ、民主主義、自由主義教育を受けた国民が大多数を占めるようになった日本が、大転換の時期を迎えている今日、戦争を知らない世代の人達に広く読んで貰いたい本である。

『教育と平等』
 著者苅谷剛彦  出版社:中公新書

植松 俊明   


 略10年前「分数ができない大学生」という発言が、大学の理数系教官達から発せられ、「学力低下論争」に火がついた。
文部省の「ゆとり」教育の是非をめぐり、攻める学力低下論者と守りの文部省という図式であった。
この時、筆者は教育社会学の専門家としての立場から積極的にこの論争に加わり、学校外での学習時間が減少しているという独自データの読み取りから「生徒はゆとりがないのではなく、単なる学習離れ・意欲の低下である」として、「ゆとり教育がまだ徹底していない為」という文部省の主張を退け、「ゆとり教育」自体が誤りであると断じ、更にこの「ゆとり教育」は階層間の格差を拡大させる懸念ありとして、基礎学力引き上げの為の教育資源(人・物・金)の配分等の条件整備の検討が社会として必要である旨を指摘、議論をリードした。

 この論争の結末は、2002年遠山敦子文科大臣の‘学力低下憂慮発言’をもって、「ゆとり」「生きる力」が「確かな学力」「学びのすすめ」という言葉に変えられ、文教行政の方向転換という形で、学区の自由化外公教育の規制緩和、民間活力利用へと大きく舵を切った。(国立大学も独立行政法人化等変革の波に洗われている)

 本書は、先の論争でも階層間格差ということに注目していた筆者が、格差を「平等」という言葉に置き代えて、戦後日本社会が大衆教育社会として成立していく過程を、教育資源(財政予算)配分の問題と絡めて論じたものである。

新書という軽便な刊行に依っているが、著者自身が「大学を去るに当たっての卒業論文である」と記している如く、学問的研究内容、考察手法共テーマの身近さに比して、精緻・厳密なものがあり、決して読み易いものではなかったが、教育界内に留まらず、広く社会一般に向けて発信したいという著者の意欲が感じられる好著である。

 戦後教育の復興は、地域間の教育条件格差把握と全国同一の「標準条件」を定めることからスタートした。標準を定め、教育資源を均質化しようとする試みは、学級などを対象単位とする「面の平等」という特殊日本的アプローチ法だった。
一方で、標準化の進展は、共通化と差異化のアンビバレンス(価値の両抱え)状況を招き入れるものであったが、面の平等によって問題の潜在化が図られた。面の不平等の是正を通じて、個人間の差異を縮小することが出来たと言えるのである。
面の平等は、確かに地域間の学力格差を縮小させ、人々に同じ教育を受けていると感じさせ義務教育以後の教育を求める意欲を高め(1974年には高校進学率が90%を超えた)、大衆教育社会の礎が作られた。しかも面の平等は、能力や学力の面での個人間の差異を際だたせない事にも配慮する仕組みであった。

 大衆教育社会自体にも、功と罪の両面がある。アンビバレンスだという事だ。
罪は、画一教育を招き、多様性や個性を尊重する教育に遠かった点であるが
功は、比較的安上がりに(効率よく)社会の平等化を達成した事、経済的豊かさの基盤を作り出したこと、政治・社会状況の落ち着き維持等など プラス評価を大きく見て良いのではなかろうか。

 平等化の担い手としての教育と不平等の再生産装置としての教育が並び立つアンビバレンスに対する対処策が「面の平等化」という戦後日本的解法であった。
「こうした歴史」を振り返り、取り戻すことで、‘教育への期待のどこからが過剰になるのか’を知ることが出来るはずである。
錯視に陥らずに、教育と社会を批判的に論ずることができるはずである。「歴史」をかいくぐることが今求められるのである。(以上著書の私的理解)
「拝金主義が凄まじい格差を作りだし、人心が荒廃してきた今日、教育の位置は?」

 

 

ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

『文部科学省 御中』
新田 恭隆

 今回の科学関係事業仕分けに関しては、ただ反論反論 だけでなく、国民の真の声としてこれを謙虚に受け止めて頂きたいと存じます。
私は文系の元銀行員ですが、科学、殊に基礎科学の重要性は充分に認識している積りです。しかし、今回の事業仕分け作業に大型プロジェクト予算が圧縮されたのはやむを得ないと思います。

 一つには、公共事業偏重の自民政権下において光の当らなかった民生関連の予算が多くなり、反面大不況による財源不足の影響で、従来は一応予算がついていた科学関連には厳しく感じられたという面があります。
しかし、それ以前に科学サイドからの国民に対する日頃 の説明不足がここに来て悪いほうに効いてきたといえな いでしょうか。

 貴省では、予てからアウトリーチ活動の必要性を提唱されていますが、これがお題目だけになっていることが端無くも露呈したとも云えます(注)。
昔と違って科学が巨大化しているのにその資金を負担する国民が何も知らないでは済まされないでしょう。
科学リテラシーが声高に唱えられていますが、国民に理解を押し付ける前に先ずアウトリーチであると私は考えます。
基礎科学は分かりにくいが、人類にとって極めて重要なものです。100年、200年前の基礎研究がはるか後世の新発見に役立ったという例はいくらでもあるでしょう。そのようなことこそ今回の事業仕分け人の方々に説明して頂きたかったことです。

(注)雑誌「科学」09年Vol.79 No.3「脳と心の交差点」に理研の方が次のようなことを書かれています。
「理系の研究者にとっては、自前のオリジナルな研究成果を英語の原著論文という形で出版することこそが本来の仕事であり、・・・・・最近は「アウトリーチ活動」という言葉ができて、だいぶ風向きが変わり、一般向けの啓発などによる貢献も業績として評価すべきではないか、という議論も行われるようになってきた。・・・今のところ業績評価といえば、やはりどれだけ良い研究成果を英語の原著論文として出せたかである。・・・・・・しかしながら、一般書で研究成果を社会に還元したり、新しい研究領域の幅広い知識を整理して教科書として紹介することで若い研究者を刺激するのも、それなりに意義のあることだと思いたいところである。」
第一線の研究者の率直な考えだと思います。私は、立派な研究者の方がことアウトリーチについてまだこの程度の認識であること(さらには双方向の重要性の認識が全くない)に落胆しました。

 

 

 先日流行語大賞が発表されました。この賞は、1年の間に発生したさまざまな「ことば」のなかで、軽妙に世相を衝いた表現とニュアンスをもって、広く大衆の目・口・耳をにぎわせた新語・流行語を選ぶものですが、今年の大賞は「政権交代」でした。それ以外のトップテンは、「こども店長」「事業仕分け」「新型インフルエンザ」「草食男子」「脱官僚」「派遣切り」「ファストファッション」「ぼやき」「歴女」だそうです。
政治・経済がらみの言葉が少なくないように思えます。これは、わが国が、高度成長期を支えた社会構造の転換期の真っ只中にいるためと思われます。このような時期、どこにどのような問題があり、どのように対応すべきなのか多角的に考える必要があります。
このような観点からも今号、来号の書評等は大変参考になると思っています。ご寄稿有難う御座いました。
今号は今年の最終号です。今年一年の皆様方のご支援に感謝致しますとともに、いい新年を迎えられることを祈念申し上げます。

 (HO)




 
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