毎年8月に入ると、甲子園での高校野球と並んで終戦時の記録の掘り起しが
行われるのがメディアの慣行となっている。この題名と著者名を聞けば、70歳代から上の方は鮮やかな記憶がよみがえって来ると思う。著者の夫は満
州の新京、今の長春にある観象台(日本の気象台にあたる)に勤務しておられ
た(伯父は元中央気象台長藤原咲平氏)。日本の敗戦を突然聞かされ、5歳の長
男と2歳の次男および生後間もない長女を抱えて帰国に向けての逃避行。さ
らに頼みとする夫は、途中からソ連兵に強制連行される。
僅かな手持ちのお金はたちまち底をつき、所持していた衣類などを次々と金
に換え、それもなくなると、手芸品を作って売り歩いたり、最後は物乞いを
しながらひたすら南下を続ける。子供たちに与える食糧は途絶えがちになる。
乳飲み子を背負い、2人の幼児の手を引いて、炎天下いつ果てるともわから
ない泥沼の道に難渋し、冬季には腰まで浸かる極寒の川をいくつも渡る。精
も根も尽き果て、いよいよ死を覚悟したときに曙光がさし、貨物列車と引揚
船を乗り継いで日本の土を踏む。終戦の翌年9月のことであった。
家族4人乞食のような姿で故郷の上諏訪駅に到着し、出迎えた親族と抱き合っ
たときの感動的な場面では読んでいて恥ずかしくなるくらい涙が止まらなか
った。著者は1年ぶりに(!)鏡の前に立ったとき、そこには痩せて目が落ち
窪み、頬がこけ真っ黒に日焼けした亡霊のような自分の姿を見る。そして3ヵ
月後には夫が打ちひしがれた姿で帰国する。
そして家族は、互いに当時のことを話題にするのを避けながら新しい時代を
生きていく。夫は気象庁に勤務するかたわら新田次郎のペンネームで山岳小
説・時代小説などの作家として名をなし、長男正広氏は機械工学を学んで自
動車会社で活躍し、次男正彦氏は米国・日本の大学で教鞭を取り、「国家の
品格」という一時代を画するベストセラーを著す。そして長女咲子氏は小説
執筆の経験を経て結婚し2人の子の母となっている。家族それぞれに戦後と
ころを得て活躍する姿は優れたDNAを共有しながら一本の糸で結びついてい
るようだ。
本書は、昭和24年に刊行され、歌に歌われ映画にもなって当時ひとつのブー
ムを作り出した。驚くべきことに現在に至るまで60年にわたりロングセラー
として版を重ねているばかりか書店によっては今もって平積みされていると
聞く。いま日本は東日本大震災による未曾有の国難に遭遇しているが、この
ような時だからこそ、厳しい試練のなかを生き抜いてきた記録を読むことに
より、あらためて自信と勇気を自らに注入しなければならないと思う。また、国家と国民の関係についても考えさせられた。終戦が近いという情報を知った関東軍は居留民保護という本来的な責務を放棄して、家族や政府関係者とともに持てるだけの荷物を持ち専用車両を仕立てて、いち早く帰国の途についた。一方、国策への協力の名のもとに満州・朝鮮などに渡った人々は現地で置き去りにされたばかりか壮年の男はソ連に強制連行され、長期の重労働に耐えたのである。多くの人々が味わったその苦しみは筆舌に尽くしがたいものがあったであろう。歴史に学べというが、この時代こそわれわれは決して忘れてはならないと思う。