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2007年3月15日 VOL.78

 

 

『父の帽子』 
著者:沙 柚    出版社:幻戯書房

広崎 有紀  

 本書は、革命の嵐の中で多感な少女時代を生きた北京生まれの中国人女性作家・沙柚さんの自伝的長編。ページを繰るごとに、革命に翻弄された人々が、瑞々しい日本語で描き出される。
1966年から77年までの11年間、中国全土を吹き荒れた文化大革命。女子紅衛兵が街頭・職場などで赤い「毛主席語録」を掲げて容赦ない制裁を与えるニュースは日本でも衝撃的であった。
樹齢200年の楡の木がある胡同(ふうとん)四合院に暮らす10歳の沙柚の周りでも次々と犠牲者がまつりあげられ、小学生の彼女も紅小兵と共に好きだった先生に牙をむき、愛する父と別れ、逆上する母に反発しながら、非行グループの女リーダーとその仲間が集う家にオアシスを見つけていくのだが―
 そうして革命の時代を生き抜いた彼女は、今、日本に移り住み、文筆活動をしている。本書は、揺れ動く中国を生活レベルで見つめる彼女の処女作である。
なお、表題の「父の帽子」は、いわゆる帽子ではない。共産党員でありながら知識人であった父親に被された、見えないけれど重い帽子。その帽子ゆえに両親はいがみ合い、娘は孤立したのだった。
 余談であるが、本書を処女出版としてデビューした「幻戯書房」は、「男たちの大和」などの著者であり、歌人である辺見じゅんさんによって設立された。創業理念には、父であり、角川書店創立者・角川源義氏の創業の精神と理想を受け継ぐこと、と掲げられている。
著者にも出版人にも「父と娘を結ぶ糸」を感じた一冊でもあった。




 

映画評『それでもボクはやってない』 
監督:周防正行   出演:加瀬亮 、瀬戸朝香 、山本耕史

今村 該吉  

 傑作「Shall we ダンス?」を作った周防正行監督による話題作である。前作はコメディであったが、今回は本格社会派ドラマだ。
 この映画は痴漢という冤罪に遭遇した一青年の裁判の戦いを描いたものだ。
 恐ろしい世の中である。被害者から「このひと痴漢です」と訴えられると、99%は勝ち味がないそうだ。だから一旦訴えられたら、ああ運が悪いと諦め、さっさと和解金を払い、執行猶予付きの有罪として事を収めたほうが、精神的、肉体的、金銭的にも、現実的な解決策のようである。
 もちろんこの映画はそんなことを薦めている映画ではない。最後まで「自分はやっていない」と主張し、たとえ1審で敗れても当然に控訴している。しかしもし自分がこういう立場に置かれたら、はたして如何に対処するか、と問いかけている。そんな日本の裁判制度の恐ろしさをあまつところなく暴いている。
 映画の冒頭に「たとえ10人の犯人を見逃しても、1人の無辜の民を陥れてはならない」という趣旨のテロップが流れる(正確な台詞ではないが)。これが映画のメインテーマである。
 しかし現実は日本の裁判が庶民にとっていかに恐ろしい状況に晒されているか、を映画は徹底的に暴く。
 2年後には日本にも裁判員制度が導入される。狭い社会の専門家の目ばかりではなく、社会の常識を判決の中に取り入れようという意図であろう。しかしながら検察、裁判官がいまのままならば、1市民は判断を求められても到底答えられまい。検察、判事が証拠や証人を揃えて「さあ、こんなに資料はあるぞ。彼は間違いなく死刑だ」と迫られたらどう対処するか。私には人を死刑台に送り込むだけの判断力がない。ましてやその勇気も、権利も到底ありはしない。それはまさしく殺人だからだ。
 是非この映画を見ていただきたい。テーマは痴漢だが、もっともっと恐ろしい、人を死に追いやる冤罪がある。冤罪の恐ろしさを知ってもらいたい。
 「疑わしきは罰する」であってはならない。「疑わしきは罰せず」の世の中であってほしい。





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『アメリカ便り(13)― 先見の明(?)』
濱田 克郎
まだ会社勤めをしていて米国勤務の辞令が発令された頃のことである。
高校に入ったばかりの長男を初め3人の子供と家内を残して単身赴任するか、それとも家族帯同して赴任するか決断しなければならない。その時点で入手可能な情報をできる限り集め家内および子供たちに状況を説明し、それぞれの意見を聞いた後家族帯同して赴任することにした。友人・知人に話すと、“大学はどうなる”、“良い大学に入れないと良い会社に入社は難しいぞ”、“子供の将来を蔑ろにするのか”、といったような忠告が殆どだった。
家族帯同での赴任を決めたのは家内と子供の教育に関し次のような点で考えを共にしていたからだった。
1)子供は親の背中を見て育つ。子供が巣立つまではできる限り家族一緒に暮らす。子供が物心ついてから巣立つまではせいぜい15年前後しかない中で、4-5年の単身赴任はあまりにも貴重。2)親である自分たちの明日がどうなるか、いつ死ぬかもわからない。子供が自分の力で生きていけるように育てることが大事。3)他者の意見に耳を貸しつつも、右顧左眄せず自分自身の頭で考え決断することを身につけさせたい。4)世界には自分と違う考え、価値観、肌の色、目の色、宗教の人が大勢いるし、違っていて当たり前、ということを、知識ではなく頭が柔軟なうちに肌で体験し、自分自身も他人も尊重できるようになって欲しい。5)これらのことを実現するのに米国赴任は良い機会と思いたい。
世間で望ましいとされているコースに子供を乗せることよりもむしろこのことのほうが子供の教育にとって大事だと思っている、と説明すると、“青いな。それは理想論かも知れないが現実の世の中はそれでは通用しないだろうよ。”というのがおおかたの反応だった。家族ともども赴任後、子供たちはそれぞれ現地校に通わせたが、クラスで何を習っているのか、宿題は何なのかわからない殆どヘレン・ケラー状態だった。仕事を時間内に終わらせできるだけ早く帰宅し食事を家族揃って済ませた後で、三人それぞれの教科書を手がかりに、一体何が宿題であろうかということをパズルを解くように行うのが日課となった。日本にいるときは平日に家族揃って食事することは稀だったのに、何と言う変わりようであろう。連れてきた手前、ハンディキャップを取り除いてやるのが目的であるから、英語での“想定宿題”の解明と、その日本語訳までは手伝うが、そこから先は本人が何とかやる。こういう状態がしばらく続いたが、3ヶ月ほどすると双方明らかに負担が軽くなった。それからしばらくたって、日本の企業の経営状況が芳しくなくなり、一方で外資系企業が日本での業務を拡大しているころ、今度は“先見の明があったね。”という言葉を多くの方からかけられた。“子供をバイリンガルに育てたから外資系企業に入りやすいね。”と、まるで外資系企業勤務が錦の御旗であるかのような口ぶりに面食らってしまった。人それぞれに考え方があり、生き方があり、斯くすべしとは思わないが、少なくとも言われたような先見の明があったわけではない。何が大事か自分の頭で考えてそれを実践しただけである。










 
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