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2005年1月15日 VOL.26

■書評
・『百の旅 千の旅』― 後藤田 紘二
・『数学はインドのロープ魔術を解く』― 新田 恭隆

【私の一言】 『グリム童話 “じゅみょう”考察』  岡本 弘昭

 

 

『百の旅 千の旅』
著者:五木寛之  出版社:小学館   2004.1.1発行

後藤田 紘二  
 “日々、旅をして旅を棲家とする”著者の随筆集である。人生、残り少なくなった事を自覚するようになって、あらためて日常的な問題、例えば、老いの迎え方などを軽妙に語っている著者の語り口に、共感するものが多い。
この本を読みながら読者は、著者と一緒に語り合っているような錯覚を覚えた。大衆向け夕刊紙に連載されていた随筆をピックアップしたものだから、なおさら気軽な親近感を持つのかもしれない。
 千の旅の書き出しが、京都とか奈良ではなく、厳冬の盛岡で、その講演旅行に関する紀行文であることに、何故か好感が持てた。盛岡には、何と日本のベストテンに入るような喫茶店があるとか、自分は小さい頃、ピヨンヤンに住んでいた事があるからこの寒さは平気だとか、その取るに足らなそうな文中に、私はこの著者が、日本をこよなく愛している人で、地方の生活者を精一杯応援しようという心配りを持った人だな、と勝手に想像した。人間、オギャア−と生まれてから死ぬまで、一歩一歩、旅をしているようなものと言われるが、ひとりの旅人の日常における雑然とした思いを、さりげなく平明に綴っており、この随筆を読んで、妙に心の安らぎを覚えたのは、私だけではないと思う。



『数学はインドのロープ魔術を解く』
著者:デイヴィッド・アチェソン  :伊藤文英
出版社:ハヤカワ文庫

新田 恭隆 
円周の長さが2πr(rは円の半径)であることは誰でも知っている。このπは円周率といわれ円に付きものと思われがちだが、πにはたとえば次のような性質もある。
π/4=1-1/3+1/5-1/7+1/9-…
この例のように、「πは数学のあらゆる分野にひょっこりとあらわれて」我々を驚かせる。
数学にとって重要なπは3.14159…から始まって現在では小数点以下数十億桁まで出されている。もちろん専門家でもこのように長い数値を現実の計算に使っているわけではない(だろう)。しかし、小学校ではπを3として教えるそうだが、旧約聖書にはπを3とした記述がある(列王記(上)第7章23節)。小学校の数学教育のレベルは古代にまで戻ってもよいものだろうか。
もう一つ奇妙な例を示そう。
1-1/2+1/3-1/4+1/5-1/6+1/7-1/8+…
という無限級数の値は0.693…に収束することが分かっている。ところがこの数列を
(1-1/2)-1/4+(1/3-1/6)-1/8+(1/5-1/10)-1/12+(1/7-1/14)-1/16…
と並べ替えると
1/2-1/4+1/6-1/8+1/10-1/12+1/14-1/16+…
となるが、更にこれを1/2で括ると
1/2(1-1/2+1/3-1/4+1/5-1/6+1/7-1/8+…)
になる。最初の無限級数がただ並べ替えるだけで半分になった。この問題にはまだ先があり、今ではこの順序をうまく変えるとどのような数にも収束させることができるそうである。
この本は、上に挙げたような数学にまつわる面白い例が豊富に織り込まれた、副題どうり楽しさ本来の数学世界ガイドである。その内容は、幾何、代数、整数論、微分積分、三角関数、指数関数、微分方程式、さらにはカオス等、広い範囲に亘っている。グラフや挿絵や写真等も沢山入っている上に何よりも説明がうまく実に分かりやすい。数学が愉しくなるという珍しい本といえる。
それにしても、数学というものは不思議なものである。数学者だけがもてあそぶ別世界の抽象的な学問と思われがちだが、例えば物理学を見ると宇宙の全物質の振る舞いはすべて数式で表されている。数学は物理学の下僕と考える人もいるようだが、私には宇宙の根源は数学にあるようにさえ見える。昔考えられ一体何の役に立つかと思われた純数学理論がずっと後年になってから未知の物理現象の解明に役立つという例も多いようだ。
ところで、この本はハヤカワ文庫の1冊である。ハヤカワ文庫といえば推理小説文庫だと思っていたが、このようなジャンル(自然・科学)の本もある。この他にも興味ある面白い本が出ているので、一度覗いて見られることをおすすめする。







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グリム童話 『じゅみょう』 考察
岡本 弘昭
 神様がこの世を創られたとき、生き物すべての寿命を30年としたいと考えられた。その時、驢馬が来て、自分の寿命をたずねたので神様が30年でどうかといったところ、生きている間の苦労を考えるとそれは長すぎ、もっと短くしてほしいと答えた。そこで、神様は驢馬の寿命を18年とした。次に犬にどの位生きたいかと聞いたところ、30年も足が続くわけもないし先に行けば闘争心も薄くなり、隅からすみへと走ってウーウーうなるほか能が無く30年もいらないということであった。もっともであるということで神様は犬の寿命は12年とした。さらに猿に聞いたところ、猿の可笑しな仕草の後ろにはとかく悲しみが隠れており、道化での30年は辛抱できないということであった。結局猿の寿命は20年とした。その直後人間が来て寿命30年では短すぎるもっと長くしてほしいと神様に懇願したため、神様は、驢馬にやった18年、犬にやった12年、猿にやった10年の計40年を加算し、70年を人間の寿命とした。
 このため、人間は、はじめの30年が本当の年齢で、体は健やかで気も晴れ晴れしく生きているのがうれしい時代をすごすが、次の18年は驢馬のごとくあとからあとから重荷を背負わされ、次の12年は犬のように隅っこで唸りまわる生活で残りの猿の10年は、頭脳の働きが鈍り、とんでもないおろかなことをやっていい笑い種になる生活となる。
 これがグリム童話の“じゅみょう”の内容である。
 昔のドイツ民話であるが、現代でも通用する人生のステップが描かれており、なかなか味わい深い。
 現代は、グリム兄弟の時代より人間の寿命はどんどん延びているが、これはグリムの寿命の部分でいえば、猿の年代が延びているのにすぎないような気もする。しかもその年代が世の中を「闊歩」する時代である。そうだとすれば、評論の宝箱でも利用し、一層頭の働きに刺激を与えアンチエイジングに挑戦する必要があろうか。




 
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