東日本大震災のニュースの中で、あらためて日本人の美質と弱点について、最近出版された加藤恭子先生のご本を紹介したい。
加藤恭子先生の名前を知ったのは「こんなふうに英語やったら」という本で、実に頭の良い人がいらっしゃるものだ、と爽快な記憶が残っているが、30年以上前のことであった。その後、「伴侶の死」で、あらためてこの方の積極的な生き方、素晴らしいご主人の全体を理解できた。まだ人種差別も残っているが、最も元気な時代のアメリカでの学生生活。その後、日米を往復しながらお互いの研究生活を追求し、文字通り、苦楽を共にされたご主人の突然の病気と死。どうしても受け入れがたい気持が、「伴侶」の生き方、働き方を自分で徹底的に調べることになる、というのも、この方ならではと感心したものである。
今回のご本は、最近になって頻発している近隣職国との外交問題への対症療法などとは、全く違うものであることをお断りしておかねばならない。むしろその反対で、日本人と外国人の歴史の違い、文化の違いがどこから来ているかを、生活の中の実例を通して、具体的に示し、違いを生かすこと、違いを理解することの必要性を教えてくれる。
1、日本人学生の論文は雲のようにつかみどころが無い、という指摘から。
欧米人の学問の基本はアリストテレスの「弁論術」にある。論文は自分の論点が正しいことを証明し読み手を説得することである。ギリシャの昔から討論によって物事が決められる。言葉の力が事を決めるが、言論には3つの種類がある。(A)語り手の性格、信頼性に依存するもの。(B)相手を良く知り、相手の心を動かすもの。(C)真実でなくともそのように見せる証明、言論そのものの力で自己の正当性を主張するもの、という。
それに対し、日本の文化的背景では、自然や物事、出来事があちこちから語りかけてくるのを待つ。論文でも、あまりびっしりと論理的に書くとゆとりが無いものになる、という。
2、日本人の美点と弱点
加藤さんは、「伴侶」の死後、大学講師をされているとき「私は日本のここが好き」という企画で、54人の外国人に日本のよさについて語ってもらい、それをまとめる作業をされた。この本でもいろんなエピソードを交えて、日本の美点、弱点を興味深く紹介されている。
○「おしゃべり」を卑しむ文化。これは「弁論は力なり」の対極にある考え方だ。
○謙虚、正直、思いやり、繊細、は私達の美点だが、対立的な場では逆になりうる。
○顔と表情。特に“笑い“について。”パーセプションギャップ“を招きやすい。
○言いにくいことを説明しない。対立を恐れる。こちらは善意でも相手には通じない。
3、外国人との交渉術、日本の未来のために
そして、具体的な外国人との交渉術と日本人への提言については、本を読んでいただくしかないのだが、気になった2つの例を挙げておこう。
1)リメンバーヒロシマと、リメンバーパールハーバーの混同。あの卑劣な攻撃を忘れるな、ではなく、あの悲惨さを招いてしまったことへの後悔、世界の平和に努めたいという平和主義的な誓い、であることは日本人には当たり前であるが、それを外に対し発信し続けること。アラブ世界では日本は原爆への復讐を意図しているはずだ、と思っている。
2)「菊と刀」の、欧米は「罪の文化」、日本は「恥の文化」の誤解。
恥とは他人の目に対するもの、というのは自分自身の目も含む。人の目のないところでは悪いことをしてもかまわない、と理解している人がいるのは、ベネディクトがこれを書いた背景が日米は第2次大戦中で、敵である日本をどう理解するか、にあったからである。
日本を知る人たちの高い評価をさらに広め、真に日本的な何物か、が世界の人たちのためにも役立つように日本人の発信力を磨き、強めようではありませんか、が結論である。