2007年4月1日 VOL.79
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『砂の文明・石の文明・泥の文明』
著者:松本健一 出版社:PHP選書
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板井 敬之
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本書は、アラブ世界等西南アジア、ヨーロッパおよび東南アジアにおける生活様式や思考パターンをそれぞれ“砂の文明”・“石の文明”・“泥の文明”と名づけ、おのおの“ネットワークする力”、“外に進出する力”、“内に蓄積する力”と捉えた比較文明論である。
たとえば“泥の文明”はモンスーン気候によるもので、農業と定住を特徴として「共生の理想」を育み、21世紀はこの文明から出て来る思考で近代西洋文明を超えていくような要素があるのではないか、としている。言葉を換えると、20世紀の“外に進出する力としての文明”即ち石の文明は、民主的な理念の下に自由競争を必然化させ、勝者と敗者を生み、勝者が世界を支配するという構図(生存競争)を形作って来た。しかしこれからは、「生物は共生する」というアジア的な泥の文明に根ざす理念が生かされるべきでないか、即ち民族・宗教・国家の共生である、としている。
なお文中取り上げられているエピソードや事例もなかなかに説得的である。この本の内容を発展させたものとして昨年3月に、新潮選書「泥の文明」が刊行された。
本書を読んで、昔感激をした和辻哲郎の「風土」や梅棹忠夫の「文明の生態史観」を読み返したくなった。著者は、北一輝の研究者としても有名で、「白旗伝説」他の評論や評伝も数多く書いている。
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書評『2013年、米中戦争勃発す!』
著者:テッド・G・カーペンター 出版社:テッド・G・カーペンター
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後藤田 紘二
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著者はワシントンで名の通ったアジア外交専門家、訳者は元NHKアジア総局長など歴任のジャーナリスト。物騒な題名は、必ずしも適訳とはいえない。本書は、中国・台湾関係に対するアメリカ外交の曖昧さが、ますます拡大する中国経済とそのナショナリズムの台頭や、台湾の独立志向の高まりといった状況の中で、どのような問題を孕んでいるのか、そこに潜むリスクを冷静且つ洞察力を持って分析し、問題提起する最新レポートである。
著者の結論的な考え方は、“アメリカは台湾を防衛する義務を持つべきでない。”という一言に集約されているようだ。
ブッシュ政権は台湾の安全を保障すると強調しているが、それに伴う安全保障上のリスクの大きさ(米中全面戦争への拡大など)からすれば、台湾の事実上の独立を守ることなど大して価値がない、と著者はいう。しかし、台湾問題は中国国内問題であって、周辺国がとやかく言うべき問題ではない、と言ってしまえば、民主アメリカの威信はすっ飛んでしまうではないか。いずれのサイドからにせよ、
現状を変更しようとする力が働いた場合に、 大きな摩擦熱が発生しそうである。経済力やミリタリーバランスが崩れた場合どのようなリスクが起きるのか。日米安保条約を締結するわが国にとって、台湾を巡る米中の動きは重大関心事であり、本書は、わが国の東アジア外交政策や安全保障の在り方について、多くの示唆を提供してくれる好著である。
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映画評『キートンの探偵学入門』
監督・主演:バスター・キートン
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浅川 博道
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実を言えば、この映画は1924年にアメリカで公開された無声映画である。なぜ今の時代に無声映画なのか。この点については後に触れるが、作品自体は当時、喜劇界の大スターといわれたキートンの監督・主演作。彼特有の笑わない顔と奇想天外のギャグが随所に生かされ、当時は、傑作喜劇と評価された。キートンは、主に無声映画で活躍したが。トーキー時代に入って「ライムライト」でチャップリンと共演している。
さて本題は、なぜ無声映画をとりあげたか、である。古希を少し過ぎた世代の人間にとって、映画と青春時代はオーバーラップしており、思い出は多い。とはいえ無声映画はさらに昔のもので、まったく知らない世界だが、興味を持ったきっかけは、ある講演会。
その時の講師が女性活動弁士の澤登翠さんである。澤登さんは、故松田春翠門下で、伝統話芸としての活弁の継承と現代的発展に努められ、今年、弁士入門35周年を迎える第一人者である。その絶妙な語り口とほとばしる情熱にひかれて、いろいろなところで開催される無声映画鑑賞会に足を運ぶ。
鑑賞会の観客は幅広い世代にわたっているが、驚くのは若い世代の多いことである。もっとも驚くこと自体、ある種の固定観念にとらわれているからだと思う。弁士とピアノ演奏が一体となった生の迫力ある活弁リサイタル、と考えれば、新しい映画文化として受け入れられるのは当然であろう。
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∴∴∴∴《編集後記》∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
文化や文明を理解することが共生を可能とする時代のようです。このような時代に相応しい書評等を頂きました。有難う御座いました。
所で、ウィキペディアによると、運(うん)とは、その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせを指すそうです。成功とは、実力と運の乗数ということですが、統一地方選挙では、実力と運のある人を選ばなければいけないと思っていますが。(HO) |