著者は89才になる紀伊国屋書店の現役の会長兼CEOだ。日経新聞の「私の履歴書」に2年前に連載されたものを第一部、第二部はノンフィクション作家の佐野眞一、文芸春秋社の前社長の白石勝、演劇評論家の矢野誠一との対談で構成されている。
第一部の「私の履歴書」は普通の人の履歴書の記述と異なる。著者の綴る「私」は常に客観化された自分だ。「私」を取り巻く周辺の人たちについても余計な説明が一切省かれていてルポルタージュ風でさえある。
「私」の周囲にいる人たちはもちろん、起こった事件・事象すらもみだりに「私」の感情で決め付けてしまわないような配慮が行き届いている。お茶席で亭主に接待されているような静謐さがある。
第一部の前半4割くらいまでは紀伊国屋書店に入社する前の話で、大阪の旧制中学、旧制高校から東大法学部に進み、満鉄に入社、召集令状、新京の陸軍経理学校を経て見習い士官として北支那方面軍で実戦に参加、陸軍経理大尉として復員、日本塩業の創業まで、一大スペクタクルのような迫力がある。
国民党軍を共産党軍から守った敗戦後の日本陸軍残留部隊、蒋介石軍との接収交渉はすごい。
第一部の後半は紀伊国屋書店に入社してから今日まで、創業者の故田辺茂一との得も言われぬ二人の関係に心打たれる。稀代の文化人として今に名の残る田辺茂一が著者に寄せた絶大の信頼と、田辺茂一に対する著者の敬愛の念が行間に漂う。
第二部は対談形式で、そこでは著者のきらりと光る名言がある。
「心理学者に言わせると本はいかに精読しても10%しか記憶に残らない。
しかし、人の話を普通の心をもってきけば60%は残るという。
・・しかし、本を読むということは考えることです。
・・昔の人は“知識は忘れた頃に知恵になる”と言った」。
味わい深い本である。
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