著者 東京大学工学部修士卒、東大大学院工学系教授等を経て畑村創造工
学研究所主幹。
2011年6月より東京電力福島原子力発電所における事故調査検証委員会委
員長。2011年3月11日三陸沖を震源とする東日本大震災が発生した。
マグニチュードは9.0。
震源地は岩手県から茨城県沖までの南北500キロ、東西200キロで、大津波
が発生した。
東北、関東の沿岸部は大被害を被った。地震、津波から8か月たった今でも
仮設住宅が建設中で東北沿岸部のガレキ処分所も決まらず、街中の仮置き
場にガレキが山積みされているテレビ映像が毎日流されているのが現状で
ある。
津波は東電福島第一原発も襲い、原子炉のメルトダウンを招き、年末に向
けての原子炉冷却停止の努力が続けられている。一時避難者は200万人に達
し、死亡者行方不明者は2万人、国の負担する復旧費23兆円超といわれる大
被害が発生した。
今回の大震災は戦後最大の危機とか未曾有の出来事という言い方で語られて
いる。戦後安定的に続いた日本人の活動が大きく阻害されたのはこの震災が
初めてで、戦後最大の危機はその通りだが、津波に関して未曾有と言えるの
だろうか。
私は4年前にバスと三陸鉄道を使って東北地方を旅行した事がありますが、
小高い山の上に津波到達点という標識を見かけました。信じられない位の高
さでした。
未曾有とは「いまだ曾って起こった事のないこと」と辞書にありますが、西
暦869年の貞観地震の調査結果で3年前には今回と同規模の津波があった事を
専門家は知っていました。
一般の人には未曾有ですが、専門家は当然予想していたレベルです。
三陸地方の津波はこの100年に4回起きています。1896年明治三陸大津波、犠牲者2万人、1933年昭和三陸大津波、犠牲者3000人、1960年チリ地震津波、犠牲者100人、今回の地震、犠牲者2万人の4回です。
人間には忘れるという大原則があります。3日で飽きる、3か月で冷める、3年で忘れる、30年で組織が途絶える、60年で地域が忘れる、300年で社会から消える、1200年で起こった事を文化が知らなくなる。富士山は300年前に噴火しましたが社会的には噴火は考えられていません。
三陸の人達は津波を忘れていたわけではありません。防潮堤建設と避難訓練の実施です。津波を物理現象として見ると、波ではなく水の早い流れで、秒速30メートル、時速108キロメートル1平方メートルあたり数トンの圧力があります。
川の遡上高は38メートルと言われます。津波に対抗する考え方には防潮堤のハ ード対策と避難訓練のソフト対策があります。今回は対抗する防潮堤は殆ど壊され、津波警報で逃げた人は殆ど助かっています。
1933年の昭和大津波の直後、文部省の震災予防評議会が発表した津波災害予防 に関する注意書には「津波を正面から防衛するのは不可能で高所移転が唯一の策」と書かれています。
それでも三陸の多くの町では高所移転を進めず、防潮堤を作りながら低地に家を建てて暮らす道を選びました。三陸は漁業で生計を立てる地域で高所は不便です。月日が経つうちに徐々に低地に戻って来ました。しかし基本は避難にありました。