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■2012年2月1日号 <vol.195>

書評 ─────────────


・書 評   石川勝敏 『未曾有と想定外(東日本大震災に学ぶ)』
           (畑村 洋太郎著 講談社現代新書)
           
・書 評  丸川 晃 『天皇の歴史08 昭和天皇と戦争の世紀 』
           (加藤 陽子 著  講談社 )
・私の一言 幸前成隆 『どうすればできるか』



2012年2月1日 VOL.195


『未曾有と想定外(東日本大震災に学ぶ)』
 (畑村洋太郎 講談社現代新書)  

石川 勝敏    

著者 東京大学工学部修士卒、東大大学院工学系教授等を経て畑村創造工
学研究所主幹。
2011年6月より東京電力福島原子力発電所における事故調査検証委員会委
員長。2011年3月11日三陸沖を震源とする東日本大震災が発生した。
マグニチュードは9.0。
震源地は岩手県から茨城県沖までの南北500キロ、東西200キロで、大津波
が発生した。

東北、関東の沿岸部は大被害を被った。地震、津波から8か月たった今でも
仮設住宅が建設中で東北沿岸部のガレキ処分所も決まらず、街中の仮置き
場にガレキが山積みされているテレビ映像が毎日流されているのが現状で
ある。

津波は東電福島第一原発も襲い、原子炉のメルトダウンを招き、年末に向
けての原子炉冷却停止の努力が続けられている。一時避難者は200万人に達
し、死亡者行方不明者は2万人、国の負担する復旧費23兆円超といわれる大
被害が発生した。
今回の大震災は戦後最大の危機とか未曾有の出来事という言い方で語られて
いる。戦後安定的に続いた日本人の活動が大きく阻害されたのはこの震災が
初めてで、戦後最大の危機はその通りだが、津波に関して未曾有と言えるの
だろうか。

私は4年前にバスと三陸鉄道を使って東北地方を旅行した事がありますが、
小高い山の上に津波到達点という標識を見かけました。信じられない位の高
さでした。
未曾有とは「いまだ曾って起こった事のないこと」と辞書にありますが、西
暦869年の貞観地震の調査結果で3年前には今回と同規模の津波があった事を
専門家は知っていました。

一般の人には未曾有ですが、専門家は当然予想していたレベルです。
三陸地方の津波はこの100年に4回起きています。1896年明治三陸大津波、犠牲者2万人、1933年昭和三陸大津波、犠牲者3000人、1960年チリ地震津波、犠牲者100人、今回の地震、犠牲者2万人の4回です。

人間には忘れるという大原則があります。3日で飽きる、3か月で冷める、3年で忘れる、30年で組織が途絶える、60年で地域が忘れる、300年で社会から消える、1200年で起こった事を文化が知らなくなる。富士山は300年前に噴火しましたが社会的には噴火は考えられていません。

三陸の人達は津波を忘れていたわけではありません。防潮堤建設と避難訓練の実施です。津波を物理現象として見ると、波ではなく水の早い流れで、秒速30メートル、時速108キロメートル1平方メートルあたり数トンの圧力があります。
川の遡上高は38メートルと言われます。津波に対抗する考え方には防潮堤のハ ード対策と避難訓練のソフト対策があります。今回は対抗する防潮堤は殆ど壊され、津波警報で逃げた人は殆ど助かっています。


1933年の昭和大津波の直後、文部省の震災予防評議会が発表した津波災害予防 に関する注意書には「津波を正面から防衛するのは不可能で高所移転が唯一の策」と書かれています。
それでも三陸の多くの町では高所移転を進めず、防潮堤を作りながら低地に家を建てて暮らす道を選びました。三陸は漁業で生計を立てる地域で高所は不便です。月日が経つうちに徐々に低地に戻って来ました。しかし基本は避難にありました。

『天皇の歴史08 昭和天皇と戦争の世紀』
(加藤 陽子 著  講談社刊) 

丸川 晃   


2011年の昭和天皇生誕100年を機として、その生涯を辿る書籍が何冊か出版されており、それらの中から評者が読んだのは、ここで取り上げた1冊のみである。というのは、実は講談社が創業100周年記念企画として、2010年11月から毎月発刊した『天皇の歴史』というユニークな企画の『続き物』の第8冊目として、この本を読んだ訳である。従って、他の『昭和天皇論』の内容については全く知らないことを、前以てお断りしておく。 

 先ず、『天皇の歴史』8巻シリーズで一貫していた共通理念は、『天皇制は、時代によってその性質が異っており、従って、その時代のものの考え方に即しての理解が必要になる』、更に、『重んぜられたのは皇位であり、血統ではなかった』という考え方であった。

 今から千数百年昔に『ヤマト王権』が形成され、これが律令制に基づいた『天皇制』へと発展、奈良に遷都して、初めて天皇が権力と権威を持つ官僚制・公民制を基軸とした中央集権国家が誕生、京都遷都後は、摂・関時代の天皇が制度化され、血縁関係にある摂政・関白が補佐する形の国政運営が行われ、武士の登場と共に、朝廷・幕府の共同政治支配体制に移行し、この間、幕府トップの交代や、天皇の皇位継承問題に関わる内乱があったりした結果、天皇の権威は揺れ動かされ、特に江戸時代の初・中期には、天皇の行為は『禁中並公家中諸法度』により、学問や形式的権限のみに制限されたが、その後期に至り、幕府の凋落に比例して、天皇の政治的存在が高まっていき、遂に王政復古という形で、天皇の名の下の武家および公家という伝統的体制は完全に解体した。

 そして明治憲法の制定により、天皇制の『神聖』、『万世一系』という新しい概念が形成され、天皇は、制度的に、国民に対しては絶対的主権者、実際の政治・行政の場では、いわゆる『無答責』者たることが明文化され、その権威は日清・日露戦の勝利と共に向上していき、国民意識に浸透したが、大正デモクラシーの普及、政党化などにより、その存在は希薄化していった。

 そして、いよいよ本論の昭和天皇の時代に入る。先ず本書の特徴を挙げると、第一に、本文約360頁の内、その約1/3を昭和期以前に、約1/2を昭和の戦前・戦中(日中戦)に費やすという、著者の専門分野の分析に集中しており、戦後については殆ど言及されていないこと、第二に、自説と共に、膨大な先行研究の成果が取り込まれ、それらを敷衍していること、第三に、本シリーズの他の著書では見られない点だが、本書は、著者が『はじめに』で、『史書として記述されている』とわざわざ断り書きをしている程、慎重な記述が展開されている点である。
 本書の記述に沿って、昭和天皇時代の初期から戦争期にかけての特殊性について、評者の判断で、誤解を恐れないで要約してみよう。即ち、明治憲法の発布以降、その精神に基づき伊藤、山縣、原(敬)などが推進した天皇の『無答責』の地位は、彼らの死や暗殺により頓挫した後、摂政、訪欧を経験した昭和天皇の登場に際しては、28年に京都で大規模(費用は現在価格換算で約250億円以上、動員警護人数6万人以上)な即位大礼の挙行などにより、その『活性化』、『国民との一体化』を図るための舞台装置が整えられた。しかし、この時期に深刻な世界不況が到来、農村の疲弊、失業者の増大などの経済・社会不安の増大を背景にして、特に、議会・内閣の外に、『統帥権』を有する軍部と宮中=皇室という政治空間が勢いを増していき、浜口、犬養、高橋などの暗殺、更に最後の元老西園寺の死去により、昭和天皇に諌言・苦言を呈し、軍部、議会、経済の統御をなし得るような人物がいなくなる一方、『天皇機関説』、『無答責』の原則は変質して、特に統帥権に基づく軍部、特に統帥部エリートの暴走は留まることを知らず、遂に満州事変、日中戦争、そして最終的には太平洋戦争へと突入していくことになったとしている。

 筆者は、その専門とする満州事変、日中戦争前後の東アジアを巡る国際的な政治・経済情勢を詳細に分析して、特に近衛・木戸・軍部間や軍部内部の抗争なども、現存する多様な資料に基づいて、少しくど過ぎる程詳しく述べている。しかし、この時期の昭和天皇の言動については、統帥権行使や平和重視などに関する発言が、諸資料から若干引用されている程度で、最終的には太平洋戦争終熄の意思決定が、その権威・権限行使の頂点に当ったとする。

 そして最後に、昭和天皇の戦争責任問題について筆者は、天皇退位論として、戦後、大きな波が二度あり、その一つ目は、48年11月の極東裁判の判決がでた日(MacArthurが、占領政策の動揺を恐れて阻止した)、二度目は、52年5月の講和条約発効の日(当時の吉田首相が退位反対)であったとしているのみで、この問題については、確言を避けているようにもみえた。

 なお、蛇足だが、昭和天皇の評価については、本書とほぼ同時期に出版された『昭和史裁判』(半藤一利・加藤陽子両氏の対談形式)の『昭和天皇』の章も、本評作成について参考になった。例えば、昭和天皇の統帥権的な発言は、田中内閣や満州事変以降、ご下問などの形で屡々出されたこと(特に湯淺内大臣以降)、また『無答責』問題は、太平洋戦争の開戦を黙認したり、終戦を決断したりして、その境界は曖昧になっていたとしている。最後に印象に残ったのは、『昭和天皇は、戦術論にはかなり長けていたようだが、戦略面の方はあまり長けていなかったようだ』という半藤氏の発言(上掲書P.337)だった。

 

ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

『どうすればできるか』
 幸前成隆 



仕事は、できない理由を考える必要はない。「どうすればできるか」を考えるのが 大事である。頭の良い人は、仕事のできない理由を理路整然と分析し、説明するが、 何の役にも立たない。

「できない理由を考えて、諦めたらおしまい。」(三井孝昭)
「世の中、やってみなければ分からない事だらけ。やってみないうちに、可能とか 不可能とか言うな.。」(同)
「できない理由を考える前に、できるための方法をとことん考え抜くのが経営」(同)

できるか、できないかは、執念の問題。
「問題は、能力の限界でなく、執念の欠如である。」(土光敏夫)
「自分で問いを発し、自分で答えを出せ。」(松下幸之助)
「切に思うことは、必ずとぐるなり」(正法眼蔵随聞記)

「いかにせんいかにせばやとみな問えば、不思議と開く一筋の道。」

 

 


今号の石川さんの書評に記されているように、「人間には忘れるという大原則」があるようです。具体的には、
「3日で飽きる、3か月で冷める、3年で忘れる、30年で組織が途絶える、
60年で地域が忘れる、300年で社会から消える、1200年で起こった事を文化が知
らなくなる。」といったことが記されていますが、結果的には災害は忘れた頃に
やってくるということになります。

一方、企業経営等では、その継続発展のためには時勢の変化に対応するために、
過去の成功体験を忘れて新しい挑戦を行うことが必要だと言われています。しかし、現実には成功体験というのは忘れ難く、これを踏襲して経営が挫折する
ことも少なくないようです。

忘れることのデメリット、メリットでしょうか。
今号も多面的なご寄稿をいただきありがとうございました。(H.O)





 
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