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2007年5月15日 VOL.82


 

 

『ウルトラ・ダラー』 
著者:手嶋龍一    出版社:新潮社

佐藤 孝靖  

今から3年前の6月にBBCの調査報道番組「パノラマ」が、北朝鮮の精巧な偽100ドル札が北アイルランドの反英過激派組織「正統IRA」によって、西欧社会に持ち込まれていると報じたことがあったらしい。その偽100ドル札は 「スーパー・ダラー」と呼ばれた。この小説の題名「ウルトラ・ダラー」とはそれよりも精巧な偽100ドル札を北朝鮮が作ろうとしているという設定である。NHKの前ワシントン支局長だった作者手嶋龍一がNHKを辞めてこの小説を書き、脱稿した直後の05年10月7日に英国当局が北アイルランドの「正統IRA」の指導者ショーン・ガートラントを逮捕したため、俄然この小説の真実味が倍加された。
ドキュメント・ノベルと呼ばれる理由の一つだ。
メインの舞台を日本に据え、主人公をBBCの東京特派員である日本語堪能の
英国人と設定することにより、時に舞台をアメリカ、イギリス、パリと縦横無尽に切り替えてゆく。事件は北朝鮮による本物そっくりの偽100ドル札の密造のため日本から技術者の拉致と先端機械の密輸工作と、さらにはその意外な資金使途の陰謀である。
読んでいてどこまでが現実でどこからフィクションなのか、ということがしょっちゅう気になるところも面白みの一つになっている。
またフレデリック・フォーサイスを髣髴とさせる物語の構成、ストーリーの中に細やかに組み込まれている日本文化に対する嗜みや、老舗の街の洋食屋の味の紹介など実に小気味がよい。文句なしに面白い小説である。
評者は昨年12月、日本のインテリジェンスをテーマにした作者の講演会を聞きに行き、話の面白さに惹かれてこの小説をその場で求めてサインしてもらった。

 

『御町見役 うずら伝右衛門 上・下』 
著者:東郷 隆    出版社:講談社文庫

渡辺 仁  

 「フロート工法」という言葉を聞いたことがある。
湿地など軟弱な地盤の悪い土地での建築工法で、鉄筋コンクリートなどの杭を多数打って、フロート状態にして家を建てたりする・・・。
 その昔、加藤清正は、江戸城天下普請の時、日比谷、溜池の湿地に高い石垣を築いた。その後、何度かの地震があり、隣接する諸大名の石垣は大いに崩れたが、加藤家のそれは一寸一分も動かなかった。
 この水抜き、泥の中に松の木を組んで沈め、杭をもって木組みを水中に止めるのだ。筏(いかだ)を作る、その上に土手の茅(かや)を刈り束と成し、積み上げ、また土を被せていく。松は油脂分が多く、泥に漬けても水を弾く。その上、浮力があって、数千貫という石垣でも筏数十本で支えるという。
 本著の主人公うずら伝右衛門は、尾張藩主徳川宗春に仕える鶉(うずら)番にして居合の達人。宗春の命を受け尾張藩下屋敷(牛込、大久保の辺)内に東海道五十三次を模した町屋を造成/修復することになる。「フロート工法」/筏で・・・。
 「御町屋と池」。池は当初、水面2万坪程であったという。
御町屋は土手の際になくてはならない。ここが「小田原宿」と見立てているからには、手前には、相模灘、西に芦ノ湖がなければ風景として成りたたないのだ。実は、「万が一の時は、我が君(宗春)を戸山へお篭りいただく。詰めの城と成すのだ。」下屋敷御町屋が修復される時に、全てを隠し砦に戻す・・・。
 時は、八代将軍吉宗が質素倹約で享保の改革を正に進めているところ。
吉宗も宗春も共に庶子から本流となり、境遇が似ているものの、宗春は吉宗とは逆に景気刺激策を進めるため確執が浮かぶ・・・。
 ひょんなことから伝右衛門は、お庭番(吉宗が、紀州五十五万余石から成り上がって柳営入りした際、引き連れてきた人数の中から内々の用向きを受ける者を選抜//紀州伊賀者)甚内と莫逆の友となってしまう。
 尾張藩別式女(男の入れぬ奥向きの警備を目的として発生した)、品川の八卦見、釣船頭などの登場する時代背景、そして、老中松平乗邑のあの手この手の妨害工作・・・・。
 久々に、痛快なストーリーの時代モノを読みました。
なお、続編としての「御町見役 うずら伝右衛門・町あるき」も、なかなかの読み応えでした。お薦めです。

 
 
 
  
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『叱る・叱られる』
岡本 弘昭

 石原都政の一つに「心の東京革命」というのがある。その行動プランとして次の7つの項目の実践を呼びかけている。
「毎日キチンとあいさつさせよう」
「他人の子供を叱ろう」
「子供に手伝いをさせよう」
「ねだる子供には我慢させよう」
「先人や目上の人を敬う心を育てよう」
「体験の中で子供を鍛えよう」
「子供にその日のことを話させよう」
これらは、子供に教えるべき社会の基本ルールという位置付けであるが、最近の世相からして、叱る項目が注目点である。同時に我々は、叱られることの重要性も認識しておく必要がある。
松下幸之助氏は、著書“道をひらく”の中で真剣に叱る、叱られることの重要性を次のように説いておられる。
「お互い人間、叱られるということはあまり気持ちのいいものではない。(中略)また、叱る方にしてもうれしい思いはしない。(中略)しかし、人情と人情が絡み合ってマアマアのウヤムヤにすぎ、叱りもしなければ叱られもしないということになったらどうなるか。神様ならいざ知らずお互い人間である。知らず知らずのうちに物の見方考え方が甘くなり、そこに弱さともろさが生まれてくることになる。私情に駆られてのそれはいけないけれども、ものの道理について真剣に叱る、また叱られるということは人情を超えた人間としての大事なつとめではあるまいか。」
しかし、現代は大人自体が、叱ること、叱られることが上手くなく、さらに、最近の社会状況は、その傾向を益々強くし、敢えて見てみぬふりをするなど叱ること、叱られることを避けている面がある。
明日の日本のためには、大人自体に叱ること、叱られることを含め修身の再教育を必要としているということである。どう対応したものであろうか。教育基本法の議論以前の問題である。


∴∴∴∴《編集後記》∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴

昔の人は、“叱らるる人うらやまし、としの暮れ”とか“叱ってくれる人の
今なし、さみだるる”とか指摘しています。叱ることも叱られることもいや
なものですが、現代は、この点につき大人の反省と実践が求められているの
は事実であり、この点を意識していきたいと思います。
ご多忙の中、多方面にわたる貴重なご寄稿有難う御座いました。
(HO)








 
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