「吉田満」氏は、学徒出身の海軍少尉として戦艦大和に乗務しその特攻出撃に参加、九死に一生を得て生還した。その体験を綴ったのが“戦艦大和ノ最期”という記録文学である。同氏にはそのほか“提督伊藤整一の生涯”などの著書があるが、これらを通じ、一貫して太平洋戦争の意味、及びその遺産はなにであったかを問い続けている。
本書の著者粕谷一希氏が、その理由を吉田氏に問うたところ、“日本人は、戦中・戦後の一貫したアイデンティティを喪失し、日本民族の集団であり、民族としての過去の記憶である歴史の意味をはっきりと把握することなく今日まで終始しており、これが国家観を確立できない理由で、同時に、今日の不安と混沌の一因を為している。この解決には、戦争の原因、経過、結末を客観的に分析しアイデンティティを確立する必要がある”ということであった。
吉田満氏の友人である本書の著者にも共通の認識があり、本著は、今後の日本の方向を知るためにも、吉田満氏の生きた時代を尋ね、その時代の吉田満氏という人格を核とし、同氏の問いに対する展望をおこなうことを企図して書かれた伝記であり、追悼の書である。
本書後半に紹介されている“戦艦大和ノ最期”は、当初の発刊時には戦争肯定、軍国主義鼓舞の文学ということから発禁処分となった経緯がある。
これは、当時の社会を包んだ全体の雰囲気が原因であるが、物事の評価は、全体の雰囲気により、ゆれ動くものである。それだけに、事実については、客観的分析・把握が不可避であり。同時に、評価の客観性のためにも日本人のアイデンティティの確立が望まれることは本書の指摘するところである。
戦後体制の総決算の声も高まり、また歴史的認識問題、時代の変革期からくる様々な社会的事象の評価等が問題となっている今日、本書は示唆の多い時宜を得た出版である。
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