この本は、昭和43年に書かれた司馬遼太郎による江藤新平伝である。
京都河原町通りの長州藩邸前で「もし」と一声高く叫んだのが文久2年の夏で、江藤新平が数えで35才の時である。佐賀藩の下級武士がにわかに人臭い世の中に忽然と現われた最初である。
その後、39才の時には司法卿に任ぜられ、正四位に叙せられ廃藩置県などの大事業をやってのけたが、41才には佐賀の乱の主犯として大久保利道に「梟首の刑」に処せられ、生涯を終わった。
これほど短い歳月に栄達と転落の生涯を送った人物は少なく、作者はそこに興味を持ったと思われる。江藤新平は時勢に乗って活躍したが、当人は時勢に乗っているという意識はなく、また時勢のおそろしさということにも気づかなかった。
作者はその原因を江藤新平は政治界に住んでいながら、政治のもっている寒暖がどうあるか解らなかった。彼には異常な俗務の才はあったが、安全を願って時勢をうかがう欲心はなかったことにあるとしている。本書では大久保利道を登場させ、この点をより明確にしているといえる。
「薩人智なけれども勇あり 長人智あれども狡猾」と評じた江藤新平だが、当人は情報収集力もなく動きらしい動きもしない「智あって力なし 智あってうかつ」ということであろうか。
時代の変革期には種々な人物が活躍するが、結局は「智あって力なし」という人間が歴史を差配することは難しいということであろう!
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