2004年7月1日 VOL.13
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■書評
・『わが母の記 ― 花の下・月の光・雪の面』─ 板井 敬之
・『小説家のメニュー』─ 今村 該吉
■映画評
・『コールドマウンテン』─ 伊藤 友美
【私の一言】『アメリカ便り(1)』濱田
克郎
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『わが母の記
─ 花の下・月の光・雪の面』
著者:井上靖 出版社:講談社文芸文庫
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板井 敬之
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私の両親は、ともにガンで亡くなった。
看取る側にとって、診断から死までのある一定期間、病の進行に伴い、死を受け入れる覚悟を固めていくのが、この病気の特徴である。
その意味では、残される者にとって辛いが、逆に“ゴール”がハッキリしているというある種の“救い”のようなものもある。
「わが母の記」は、著者の母親のボケを扱った“記録”である。『解説』によれば、著者自身が「随筆とも小説とつかぬ形」と言っている由。“私小説”の範疇に入るのであろう。
「花の下」「月の光」「雪の面」の3つの話から成っていて、徐々に衰えていくさまが、淡々と描かれている。老耄によって記憶が混乱したり、定かでなくなったりで、まともな会話が成立しなくなるし、徘徊も現れる。しかも改善の期待は全くなく、いつまで続くのか看取る側には見当もつかない。この点が、ガンとは決定的に異なるところであろう。
我々は、いつの日か死ななければならないが、死に方として、ボケて子供をはじめ肉親に迷惑をかけて……というのは、誰しもが望まぬことであろう。しかしながらそうならない保障はない。
読みながら、自分自身の老い方・死に方に思いが及び、慄然たる感じがした。
人間は、自殺以外に自らの死を選べないが、それすら思いつかなくなるのが、ボケるということなのである。なかなかにむごいことだが、それを気付かせる書物である。
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『小説家のメニュー』
著者:開高健 出版社:中公新書
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今村
該吉
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夜中に目が覚める。歳のせいだろう。毎朝勤めに行くこともなくなったのだから眠れなくてもあせる必要はない。枕もとには常時イヤホーン付きのラジオと読みさしの本が数冊置かれている。ラジオを聴くか本を読むか、どの本を読むかは気分次第である。
「小説家のメニュー」が改定文庫本になった。開高には「最後の晩餐」という怪書というか、おどろおどろした大作があるが、これは彼の晩年の作で、むしろ軽い読み物になっている。世界各地を旅し、その先々で出くわした食い物の話である。
「気品高く、ふくよか。奥深く、おとなっぽい。熟しきっている。微妙にこだましている。」
「おかゆが迸り、口いっぱいになり、溢れて顎を伝わって流れ落ちる。その甘さ。その端麗。その精緻。その豊満。しかも、それらのかぎりをきわめつつ、清浄で謙虚である」
例によって、こんな開高節ワールドを取り込まれ、深夜、ひとりひっそりとネズミ、ピラニア、あるいはドリアンなどの美味、珍味、奇味を想像するのもおかしなものだが、なぜか不思議と心落ち着いて、再び眠りにつける。
付言すればこの本には思わずはっとするような箴言にぶつかる。以下
「精神の疲労はアルコールを求め、肉体の疲労は甘味を求める」
「味覚は、文化なんじゃないだろうか……?」
「われわれの人生は、発端と終末がまったくわかっていないのである。……ちょっとしたことに過ぎないが、ちょっとしたことが違えば大したことが違ってくるのが人生であります。」
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『コールドマウンテン』
監督:アンソニー・ミンゲラ
出演:ジュード・ロウ/ニコール・キッドマン
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伊藤 友美
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壮大な愛の物語である。舞台は1864年、南北戦争禍のアメリカ、険しくも美しい大自然にいだかれたコールドマウンテン。都会から父親の牧師とともに移り住んだ深窓の令嬢エイダと純朴で寡黙な地元の男インマンは恋に落ちる。しかし南北戦争が始まり、インマンは志願し参戦する。二人は一度口づけを交わしただけでお互い強い思いを残しながら離ればなれとなる。戦争で心も体も傷ついたインマンは、自分の信じてきた大義と決別し、一番大切なものは愛だと気付く。そして、南軍を脱走し、義勇軍の執拗な脱走兵の捜索をかわしながら一路、愛するエイダの待つ故郷コールドマウンテンを目指すのである。一方、不幸にも病気で父親を失したエイダは、教養はある
が生活の術をもたず、毎日の食料にも行きづまる。しかし、インマンの帰りを待ち続け、インマンへの気持ちだけをたよりに、コールドマウンテンにとどまる。そんなエイダをみかねた隣人が、流れ者ルビーをエイダのもとへ遣わす。エイダとルビー、まったく対極の二人はお互いに欠けているものに惹かれ、教えあい、稀有な友情を育て、エイダは逞しい大地の女へと、ルビーは温かい心を持った大人の女性へと共に成長していく。
物語の最後は観てのお楽しみであるが、この映画には、ここで紹介した以外に沢山の登場人物おり、なかには、一生懸命、必死で生きているが、運命に翻弄される人も描かれており、傷ついたインマンを助ける羊飼いの老婆の「この世には定められた筋書きがあるんだよ」という台詞が心にしみる。
この映画を通して、戦争に大義を感じ志願しそして死んでいく若者たち、残された家族の悲しみ、悲しみが憎しみを生んでいく様、お金のためなら何でもやる人達、権力をもち、それを振りかざし非道を繰り返す義勇軍、無償で愛を注ぎ、助けてくれる人達、そして親子の男女の愛情の美しさ等から改めて様々な人間、人生を見、教えられたような気がした。
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