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■2012年6月15日号 <vol.204>

書評 ─────────────


・ 書 評  矢野清一 『元商社マンが発見した古代の商人たち」 
          (布施克彦著洋泉社・歴史新書)

・ 書 評  入江萬二 『裁判官が日本を滅ぼす』
          (門田隆将著 新潮文庫)
 
・【私の一言】 片山恒雄 『Als Ob またはAls Wennについて』


 

 

 


2012年6月15日 VOL.204

『元商社マンが発見した古代の商人たち』
(布施克彦著洋泉社・歴史新書) 

矢野清一    
本書の著者は、長年、商社に勤務し鉄鋼貿易業務に携わり、十数年にわたる海外駐在も経験している生粋の商社マンである。著者は、自身の経験した商社での活動から、古代における商業活動に思いをはせ、日本の古代史にロマンを燃やし、この書を書き上げたものである。この本のあとがきで著者は、本書の内容は、「元商社マンの想像や勘に基づくもので、学術性は至って稀薄である」と言っているが、自らが経験してきた商社活動の実態を推論のベースにして、過去の幾多の文献や事蹟を十分に検討した上で、商社活動の原点に立脚した非常にユニークな視点で、日本の古代を見つめて筆を進めている。この見方は、必ずしも著者が言っているような、単なる「想像や勘」ではなく、何ずれ考古学や古代史の研究が進み、もっと古代の事が明らかにってくれば、著者の考えている事は、かなり当時の現実に近いものであると証明される時が来るのではないかと期待している。この本を読み進むうちに、著者の考えに共感を覚えるところが多かった。

著者も言うように、古代においても、単に農産物や簡単な身の回り品などの生産、或いは、漁労と言った所謂第一次産業的なモノづくりだけではなく、物々交換から始まる物流─ロジスティックスと言うものも存在したはずであるし、現に古墳などから発掘された遺物の中には、かなり遠くから運ばれてきた物が発掘されており、何らかの商業活動が存在したことは、誰しも認めるところである。ただ、商業の場合、商活動に絡む物的な遺物が後世にまで残存し、発掘されるケースは殆どなく、推測は非常に難しいが、それでも著者は、自身の商活動の経験と過去の文献や少ない事蹟などを照らし合わせて、 古代におけるロジスティックスの具体的な業務の中身を戦略的に考え、それを担ってきたと思われる人々について書いている。古代におけるロジスティックの担い手と想定される氏族の中でも、その二大勢力である安曇氏族と宗像氏族にフォーカスを当てて推論を進めている。安曇氏を安曇商事、宗像氏を宗像物産に擬するなど、面白い発想で、つい引き込まれ、「さもありなん」と読者に思わせてしまう所も捨てがたい。

現代における日本の総合商社は、その業務内容を考えると、世界中を見回しても余り他国には例を見ない特殊な存在であるように思われるが、その原点は、著者も言っている通り、本書に描かれているような古代日本において活躍した商人たちから現代まで連綿と受け継がれてきた日本人の中にある「特殊なDNA」があるからではないかと思われる。

近時、日本経済はかなり冷え込んでおり、何とか早く快復し、過去の繁栄を取り戻すようになって欲しいものと願っている。何十年あるいは何百年か後の時代の歴史学者や経済学者に、平成のあの時が(現在の苦境時が)、日本経済没落のスタート時点であったなどと言われないようになって欲しいものと期待している。あたかも、この時に古代の活発な商活動に思いを馳せたこの本を読んで、古代から現代まで発展し続けてきた日本の経済活動が、更に一層の高みに達することを切に願っている。

『裁判官が日本を滅ぼす』
(門田隆将著 新潮文庫)

入江萬二     
先日、書棚を整理してみると相当以前に購入したが、読んでいないまま放置されていた本があった。本書をどういう経緯で購入したか判然としないが、帰省旅行の往復で読んでみた。
まえがきで著者は、「本書は単に裁判官を批判し、弾劾するためのものではない」と述べながらも、「国民の多くが誤解しているに違いない裁判所の真の姿と、裁判官という人たちの特殊な人間性、そして彼らが足をとられている陥穽を明らかにし、裁判官が結果的に公僕という国民の奉仕者である本来の役割を完全に捨て去ってしまった実態を知ってもらいたい」と述べ、事例を列挙して、裁判のいいかげんさを指摘している。
私は本書に出てくる裁判官ばかりではないことを十分理解しているつもりではあるが、外部から指摘や非難にされることなく、人を高いところから見下ろすことだけに慣れきった裁判官たちには、もう一度国民が裁判に何を望んでいるかを、そして裁判官に何を期待しているのかを裁判官自身に振り返ってほしいという著者の願いも首肯しうる。
最近の裁判の判決をみると、検事や警察の偽装問題も一因ではあろうが、裁判官は社会の常識を知り、正義が何たるかを理解しているのであろうかと感じる時がある。彼らは法律の専門プロであるが、エリート意識だけに支配され、正しい事実認定ができない、世間知らずの存在になっていないだろうか?
ある事件において刑事裁判では有罪となるも、民事裁判では無罪となるような世間の常識では判断しがたいケース(あるいはその逆のケース)や、ある刑事事件において結審に10数年も要しながら、その後再審請求で再審が認められ無罪となったケースなども散見される。
物事を謙虚に見る姿勢を持ち、社会の様々な経験によって得た常識を積み重ねた上で、彼らは正しい裁きを行っているだろうか?という著者の言葉に同感すると共に、彼ら裁判官の責任問題は一体どうなっているのだろかと思う。企業の経営者であれば、経営責任を追及され、損害賠償問題に波及することもあるというのに。

著者は本書のなかで、青山学院大学名誉教授で憲法学者である清水英夫氏の言葉〜「本来裁判官が持つべき誇りとは、権力から独立し、自分の良心に従って、司法の判断を下すことにある。それがいつの頃からか慢心だけになってしまった。彼ら自身が権力の行使者であって、国民から監視される立場にあることを忘れている」〜を引用しながら、常識と正義、そして誇りさえ失った裁判官(法の番人ではなく、法の蛮人になり下がった彼ら)を、われわれは今後監視していかなければならないと警告している。
裁判官がこのようになってしまった要因として著者は本書の末尾の章で、要件事実教育(=裁判官が判決を出しやすくするための教育、換言するとそのための整理作業の訓練教育)にあると指摘している。

即ち、個々の事情はすべて排除され、一定の要件だけをコンピュータにインプットするロボットを司法研修所は作り続けており、そしてこの処理能力に長けた、より“ロボット化”された裁判官が出世していくのが日本の官僚裁判官制度であると述べている。また安部晴彦弁護士(36年間裁判官:日本放送出版協会から『犬になれなかった裁判官』を上梓し、知られざる裁判官の実態を述べた)の言葉〜「人事と給与で裁判官は、完全に管理・統制されているから、彼らがエリート意識に囚われているなら、なおさら統制しやすいのです。そして裁判官はその狭い社会の論理だけで物事を判断し、他人の言うことに耳を傾けなくなる」と本書の中で披歴している。
こうした本書のような裁判官に対する批判もあってか、我が国でも刑事訴訟手続きにおいて2009年5月から裁判員制度が施行され、国民参加の裁判もようやく始まっている。

この制度は広く一般の国民が裁判官とともに責任を分担しつつ協働し裁判の内容の決定に主体的に関与できる制度で、国民が裁判官に国民の常識を注入し、裁判官を監視しうる機会ともなりうる制度である。グローバル化が進展し社会や価値観の多様化等世の中が大きく変化していく中で、裁判官も、社会の変化に順応していく必要があるが、この裁判員制度はこれまでの官僚裁判官制度を変えていく可能性のある制度でもある。
正しい判決は不変のものであるが、判決を導き出す過程についてはダーウィンの言葉(生き残れるのは、最も強いものではなく、最も賢いものでもなく、変化できるものである)をもう一度裁判官自身も再考すべきではなかろうか?

 

 

 

ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

『Als Ob またはAls Wennについて』
片山恒雄 

  ドイツ語に、als ob またはals wennという熟語(die Idiom)がある。
「あたかも〜のように」と訳される。例文として辞書に載っているのは次の文
章である。
Er tut, als ob er schliefe. 彼はあたかも眠っているようなふりをする。
Als ob ich das nicht w?sste! 私がそれを知らないみたいじゃないか!
(もう知ってるよ!)
Er lachte, als wenn ihm alles gleichg?ltig w?re. 彼は全てがどうでもよいように笑った。
いずれの文章とも接続法第2式が使われており、実際には必ずしもそうではないことが婉曲的に表現されている。als obは、英語ではas ifまたはas it wereに該当する。辞書には次の例文が挙げられている。
 He talks as if he knew everything. 彼は何でも知っているような口ぶりだ。
 そこで思い出されるのは、森鴎外の『かのやうに』という小説である。明治の
末年に書かれたこの小説の概要は次のとおりである。ある子爵家の長男に生まれ
た秀麿は文科大学(今の東京大学文学部など)を卒業してドイツに留学する。そし
て留学先から時々父に手紙を送ってくるが、その内容は神学に関する記述が中心
である。信仰の対象としての宗教および修める学問としての神学の問題である。
主人公は人間を大別して、教育があって信仰もある人、教育はあるが信仰のない人と教育はないが信仰の篤い人および教育も信仰もない人に分ける。そして信仰はないが宗教の必要性を認める人は問題ないけれども宗教の必要性を認めない人は危険思想家と断じている。
一方主人公の専門あるいは将来身を立てようとしている学問分野は歴史学である。当時の日本の歴史学は古代について神話を史実と認めていたのだが、彼は科学的な立場から神話を事実として認めることができない。しかしそれを表立って表明することは将来の彼の前途を閉ざすことになる。そこで彼は神話が実際にあるかのごとき立場をとることによって現実と妥協しようとする。この小説の題名はそこに由来している。
森鴎外はこの主人公を自分の思想上の分身(der Doppel G?nger)に見立てて主張させている。というのも鴎外は医学の修得を文部省から命ぜられてドイツに留学したのであり、かの地で荘厳な大聖堂や敬虔に神に祈る信者の姿を見てあたかも神のおわしますかのごとく(それは必ずしも神の存在を否定するものではない)振舞っているのだと鴎外には映ったのではないだろうか。帰国後主人公を訪ねてきた友人に向かって彼は次のような趣旨のことを言っている。

 「『かのやうに』がなければ、学問も芸術もない。宗教もない。人生であらゆる価値のあるものは『かのやうに』を中心にしている。それはあたかも面積のない点や幅のない線が現実には存在しなくても幾何学が成立しており、目には見えなくても物質が原子から出来ていると考えることによって化学が成り立っているようなものだ。法律の分野でも完全な自由意志など存在しないことはわかりきっているが、自由意志を考えなければ刑法全部が無意味となる。同様に霊魂不滅などは考えられないが、『あるかのように』考えなければ倫理は成り立たない。」なお、私だったらそれに虚数を加えたい。(注1)

 鴎外は医学者でもあることから察するところたぶん唯物主義者であり、外遊中にキリスト教信者(おそらくプロテスタント)が熱心に祈る姿を見て、このように自らを得心させたのであろうと思う。
 先日阿刀田高氏(日本ペンクラブ会長)の「古事記・小泉八雲とギリシャ神話」題する講義を聴いた。氏はそのなかで神話は史実ではないがまったくの作り話でもないといっておられた。まさに『かのやうに』であり als obである。『かのやうに』はあえて否定も肯定もしないが、あたかもあるかのように取り扱ったり考えたりすることによって、複雑で厄介な 問題を摩擦の生ずることなくスムースに前に進めようとする人間の叡智なのではないだろうか。

(注1) 虚数は実数(有理数+無理数)ではないので、自然界には存在しない数(2乗してマイナスになる数)であるが、虚数を数の仲間に加えることによって数学は著しく発展した。  
(注2) 思想的にはプラグマティズムに近いドイツの哲学者Hans Vaihinger(1852〜1933)に、「Die Philosophie des Als Ob」(アルス・オプの哲学)という著作がある(1911年刊)。
以上

 

 

 当評論の宝箱の203号で岡田桂典氏から紹介のあった中村仁一著『大往生したけれ
ば、医療とかかわるな』に興味を持ち、読んでみました。
第5章に、「生き物は繁殖を終えれば死ぬ」という項目があります。
それによると、「生きものは繁殖を終えれば死ぬというのが、自然界の掟です。
ところが人間は、食糧事情がよくなったこと、衛生環境が改善されたこと、医学の
発達などが相俟って、繁殖を終えて生きものとしての賞味期限が切れてからもうん
十年生きるようになりました。これは、一説には、人間とゴンドウクジラだけとい
うことです。
ゴンドウクジラのひねメスは、子育てに参加し、若いメスの負担を軽くして、種の
繁栄に貢献しているそうです。ところが、人間のひねメスは小金を握り占めて遊び
呆けていて、ほとんど子育てには関与していません。」との記載があります。
賞味期限の切れた人間の役割について考えさせられるものがありました。
今号も貴重なご寄稿をいただきありがとうございました。(H.O)


 





 
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