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2006年3月1日 VOL.53

 

 

『それぞれの芥川賞 直木賞』
著者:豊田健次 出版社:文春文庫  

今村 該吉 

  この本の紹介は、別の書評「木槿の花」の続きでもある。
 筆者は文芸春秋社の名編集者であり、芥川賞、直木賞の選考に携わった。前半で芥川賞の野呂邦暢、後半で直木賞にまつわる山口瞳と向田邦子を取り上げている。
 山口の名著「木槿の花」の一篇「戦友」の中で、向田邦子の通夜の席で、彼が軍歌「戦友」を歌う場面がある。そこで嗚咽しつつ一緒に歌ったのが筆者豊田であった。
 豊田は本書で山口の向田へのレクイエムとも言うべき一編とその場のシーンを回想し、「まさに気合の入った、真情こもる文章で・・・」といいながら、すぐにその後で「千載一遇の題材を得て『シメタ』とつぶやいている山口さんのお顔が私には透けて見えるような気がするのです。これも作家のサガ。」と恐ろしいことを言っている。
 私は最初この箇所を読んだときに、筆者が泣きながら軍歌を歌いつつ、一方では冷静な、むしろ非情とも言うべき編集者の目を見た思いがした。しかしそれは浅薄だった。
 山口と豊田は単に作家と編集者という関係を超えていたのだ。豊田にとって山口は小説を書き、エッセイを書く単なる一作家ではなく、尊敬すべき人生の先輩であり、年長の友人であった。ふたりは戦友であったのである。
 「戦友」が手に入らず、この名編を読むチャンスのない方は、この本の中にそのクライマックスが再録されているので、それを是非読まれたい。



『映画評 「男たちの大和 YAMATO」』
監督:佐藤純彌 キャスト:反町隆史、中村獅童、仲代達矢)
伊藤 友美 

 近頃、私は、シリアスな映画は極力避けるようにしている。理由は、疲れてしまうから。せっかくの貴重なプライベートタイムに観る映画は楽しく明るいウキウキするようなものに限る!と思うようになったのである。そのように限定すると中々作品選びも難しく、さて今日は映画でも、という時にぴったりのものがなかったりもする。先日もそんな具合で、男たちの大和/YAMATOを観にいくことになった。タイトルから判るように戦争映画である。一杯人が死ぬ。平時においては、人一人が死ぬと大変な騒ぎになるが、戦時においては、日常的におこる当たり前のことである。当たり前のことではあるが、死んでいく一人ひとりに人生があり大切に思い、また思われる人がいる。死んでいく本人は、皆死ぬんだから別にいいや、とも思えなかったであろう。物語は、戦艦大和の乗組員である少年兵の目を中心に書かれている。彼は、外洋での戦闘を1度経験した後、大和最後の戦闘である沖縄へ向かう。初めて乗艦した日から少年兵と二人の上官との数々エピソードが繰り広げられる。二人の上官は、まったく違うタイプだが、自分の信ずる事をどんな時にでも貫き通す強い人間である。特に私の印象に残ったエピソードは上官の一人が、いよいよ明日が最後の決戦という夜に、少年兵達を集め、自分で作った饅頭を振舞う場面だ。饅頭はとてもきれいで美味しそうだった。少年兵達は死の恐怖と戦いながらも皆、嬉しそうに頬張っていた。死と隣り合わせの束の間の喜び。人はそんな小さなことで幸せを味わえるのに、殺しあってまで得たかったものは何なんだろう。まったく人間の強欲のなせる技だ。敗戦が確信的に全員に判っているのに、戦闘に向かおうとしている大和の乗組員の一人が言う。「勝つためにではなく、今の間違った日本が生まれ変わるために我々は死んでいくのだ。」と。素晴らしい自己犠牲。ナショナリズム。彼らは、彼らの死がそれで立派に理由付けがされた、と思ったのであろうか。平和ボケした私たち現代人には想像はできるが、同調は難しい。きっと同じ時代に全員が同じ方向を強制的に向かされていた背景でのみ起こりうる事実なのであろう。この映画を観た後、ある会で、たまたま隣り合わせた方が、「私は、少年志願兵でね。先日、同じ志願兵だった友人とYAMATOを見に行きました。」「泣けたよ、思い出してね。ひどく殴られてね。」と仰っていた。彼の目から見た今の日本はどんな風に見えるのであろうか。しかし、やっぱり、シリアスな映画は疲れる。




『映画評 「ALWAYS三丁目の夕日」』
監督:山崎貴 キャスト:吉岡秀隆、堤真一、小雪、堀北真希
今村 該吉 

 映画を見終わって出入り口まで来た。同時に出てきた同年輩と思しき男が、これからチケットを買おうとしている見ず知らずの青年に向かって「何?『愛染かつら』を見るんだって?止めとき、止めとき。こっちにしな。おれがこれまで見た映画の中で最高だった。最高だよ」と、「3丁目の夕日」の売り場を指差し、だみ声で叫んでいた。私も全く同じ気持ちだったので、彼の方を向いてニヤリとしてうなづいた。男は「俺は30年に東京に出てきたんだ。そうして32年に都庁に入ったんだ。その時だよなあ」と独り言のような、私に聞かせるような台詞をはきながら夕闇の中を立ち去って行った。
 私もその男に感化されたのか。その直後に会った友達にこの映画を観るように強く薦めた。彼が「なんだ漫画じゃないのか」と言ったので、原作の漫画を映画化したことを始めて知った。
 時代は昭和33年。長嶋が巨人に入団し、力道山がテレビに登場した年だ。舞台は東京のある下町である。当時を再現するために、セットも小道具も凝りに凝っている。
 集団就職。セーラー服。土ぼこりの道。ダットサンとスクーター。対照的な大型の外車。金魚売り。納豆売り。路面電車。紙飛行機。氷を入れた木製冷蔵庫。町医者の往診かばん。雑誌少年倶楽部。町内で最初に入ったテレビに群がり力道山への声援シーン。セピア色の銀座4丁目の建物。建築中の東京タワー。こうして列挙すると切りがない。みな懐かしい。
 「もはや戦後ではなく」なり「進歩が希望である」時代だった。笑いと涙そして時々のドタバタ劇。観客の何人かがすすり泣き、どっと笑い、2時間があっという間に過ぎてしまった。速いテンポでともかくも息をつかせない面白さだ。しかしこの映画は単に「昔は良かった」式のノスタルジャーものではない。そこには庶民の腹の底から湧き出る哀歓と人情が滲み出ている。
 渥美清が世を去り「寅さんシリーズ」がもう観られなくなったのは寂しい。しかしもしかしたらこの「三丁目」がシリーズ化され、第二の「寅さんシリーズ」となるかもしれない。是非続編を期待したいものだ。






 
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