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2007年5月1日 VOL.81


 

 

『マイ・ラスト・ソング』 
著者:久世光彦    出版社:文春文庫他

佐藤 広宣  

筆者は昭和10年生まれの演出家、作家で、TBSの 「七人の孫」「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」等のヒット・テレビ・ドラマを手がけた人。向田邦子とドラマづくりで名コンビを組んだことも有名。昨年3月に惜しくも急逝。
 この本の副題は「あなたは最後に何を聴きたいか」で、もし最期の刻に一曲だけ聴くことができるとしたら、どんな歌を選ぶだろうか何を選ぶかということで綴った、肩のこらない音楽エッセイ。
昭和時代を生きてきたおじさん・おばさんを泣かせる本です。以下、帯広告もまじえ、曲目の一部を紹介します。
<第1巻>
港が見える丘 時の過ぎゆくままに 幌馬車の唄 影を慕いて ハイケンスのセレナーデ  ほか
<第2巻>
東京の花売娘 小学唱歌 海ゆかば ほか
<第3巻>
花ニ嵐ノタトエモアルサ サヨナラダケガ人生ダ。友ニサヨナラ告ゲタアトクチズサミタイ歌ガアル。
喫茶店の片隅で 夜のプラットホーム インターナショナル ドナウ川の漣 夜霧のブルース おんなの宿 ほか
<第4巻>
過ぎゆく時が河ならば、歌はその土に降る涙である。
昭和枯れすすき 浪曲子守唄 今日でお別れ 哀愁列車 ダニー・ボーイ ほか
<第5巻>
白秋の童謡 侍ニッポン、おんなの朝 森の水車 草原情歌 黒の舟唄 カスバの女
夜の銀狐  雪之丞変化 琵琶湖就航歌 ほか
皆さんは"最後に何を聴きたいと思いますか。"
私の場合は、鈴木章治&リズム・エースの「鈴懸の径」ですが。



 

『近くて遠い中国語』 
著者:阿辻哲次    出版社:中公新書

福島 和雄  

 私は中学・高校時代に漢文が好きな科目だった。大学に入り第二外国語は中国語を選択し、専門課程で中国経済学を学んだ。社会人になり中国語とは無縁だったが、10年前から地元の国際交流協会やサークルで中国語を再び学び始めた。しかし私の中国語は少しも進歩しない。中国語はドイツ語、フランス語に比べ、簡単なようだが、すぐ壁にぶち当たる。50年前中国語を学んだ時と比べ漢字が簡略されて、理解しにくい。
 私が初めて中国に行った10年前北京のホテルで「洗衣机」が電気洗濯機であることが最初わからなかった。現在中国で使われている文字は「簡体字」であって、以前の漢字と違って、簡略された文字であって理解しにくい。日本の「当用漢字」とは全く違う。中華人民共和国になってから約10年間に中国政府が最も力を注いだのは、「文字改革」と称する漢字の簡略化であった。中華人民共和国になる前の識字率は都市部では約30%、農村では約20%であったそうだ。
 中国旅行では、会話ができなくても筆談すればなんとか通じると、日本人は安易に考える。しかし日本人が習ってきた漢文と中国語は全く別の言葉なのだ。中国語は「見たら分かる」ではない。例えば「情人節」はバレンタイインデーのことである。日本語では「情人」は「愛人」を意味するが、中国語では「恋人」を意味する。また「愛人」は配偶者のことである。「改行」は転職、つまり商売を変えることである。中国の街でよく見る「正宗川菜」は正真正銘の四川料理のことである。以上中国語は決して「見ればわかる」のではない。また中国語の発音も「四声」がありmaという発音も声調の違いで4つの意味がある。この本の題名どおり、中国語は近くて遠いのである。
 著者の阿辻哲次氏は、明治時代から中国に関しては、日本で最も権威ある京都大学の教授である。

 
 
 
  
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『千の風になって』
片山 恒雄

2〜3年ほど前にたまたま深夜放送で、「千の風になって」という詩が朗読されるのを聴いた。なんという美しい詩であろうかと思った。しばらくの間その片言隻語が耳から離れなかった。先日近くの図書館で同じ題名の本を目にして、ラジオ放送を聴いたときのことがよみがえった。
この詩は欧米の作者不詳の詩を新井満という作詞・作曲家が日本語に訳したものである。新井氏は幼な馴染の一人が最愛の夫人を病気で亡くし、その後出版された追悼文集のなかに「1000の風」という西洋の詩を見出した。その詩に感銘を受けた氏は英語で書かれた原詩を探し出し、改めてそれを日本語に訳しなおし、さらに曲をつけた。たまたま、新井氏の友人で朝日新聞に「天声人語」を執筆している小池民男氏がそれを新聞で紹介したところから一挙に有名になり、詩に対する問い合わせが殺到、その後C Dにもなった。そしてとうとう昨年暮れには、紅白歌合戦で歌われるに至り,いまや1日のうちでこの歌が聴かれない日はほとんどないまでに人口に膾炙されるにこととなった。
 この詩はアメリカではかなり有名で俳優のジョン・ウェインがある映画監督の葬儀のときに朗読したり、マリリン・モンロウの25回忌のときにも読まれたりしている。新しいところでは、貿易センタービルを破壊した同時多発テロの追悼集会でも朗読されたという。
 新井氏はこの不詳の詩の作者をアメリカインデアンの一女性ではないかと推測し、ひとつの短い物語に仕立て上げた。その物語がまたすばらしい。
 ウパシ(雪)とレイラ(風)という名の幼な馴染がたくましい青年と美しい娘に成長し、互いに愛し合って結婚する。妻は娘を出産した直後から体調を崩し、夫の必死の看病にもかかわらず死んでしまう。夫は悲しみのあまり幼い娘を道づれに後を追って自殺しようとするが、亡き妻のベッドの下から一通の手紙が出てきた。その中に死の床で最後の力を振り絞って書き残した一篇の詩があった。ウパシは気がついてみると風にも光にも山の雪にも川の流れにも空を飛ぶ鳥にも野に咲く小さな花にもレイラの息吹きを感じた。そして横に眠る娘が愛する妻の生まれ変わりであると悟り、娘とともに残された生を全うしようと満天の星の下で妻に誓うというのがあらすじである。
 人は死ぬと風となって吹き渡ったり、自然のなかに形を変えて生き続けるという思想は残された家族などに大きな慰めと勇気を与えてくれるのではないだろうか。生命科学者の柳澤桂子氏は、この宇宙に存在するものは原子レベルで見る限り何一つ増えたり減ったりはしないとして、宇宙の真理は般若心経の「空」の思想に通ずると説いている。万物は絶え間なく変化を繰り返し、生々流転してやまないという仏教思想が思い出されてならない。
以上



∴∴∴∴《編集後記》∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴

連休に入りましたがいかがお過ごしでしょうか。
人間のコミュニケーションの一歩は、挨拶や返事をきちんとすることですが、それに微笑みが加味されると和やかさが相手にも伝わります。そして、コミュニケーションが弾み、自分の周りの環境改善にもなり、また、身体にも良く、豊かな生活にも繋がるそうです。
連休中はラスト・ソングも考えながらも、出来るだけ微笑みながら自然を満喫する生活を心がけたいと思っていますが。
ご多忙の中、貴重なご寄稿有難う御座いました。
(HO)








 
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