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2005年4月15日 VOL.32

■書評
・『人生への恋文』― 片山 恒雄
・『敗北を抱きしめて』― 櫻田 薫
【私の一言】『シンガポール便り(4)─ 役に立つ英語』岡田 桂典

 

 

『人生への恋文』
著者:石原慎太郎・瀬戸内寂聴   出版社:世界文化社

片山 恒雄  
 石原慎太郎と瀬戸内寂聴の間で1年間にわたって月に一度取り交わされた往復書簡。恋文という題名は必ずしも本の内容にふさわしいとも思えないが、テーマは常に石原から提供され、瀬戸内がそれに呼応して自分の思いを述べる。その中から2つほど拾ってみる。
 まず、「不可知なるもの」と題したテーマでは、石原が釈迦の説いた輪廻転生の道理、先祖と子孫をつなげる今の自分との関わりについて、証明できないものの自分の人生に少なからず影響を与えていると述べる。「あれは親父が助けてくれたんだな。」とか「あのときはお袋のおかげだったんだ。」と納得できることが多々あり、「そう信じて生きるほうが人生ははるかに幅広く味わい深いものに思え、不可知なるものを受け入れているほうが生きていく上でずっと心強い。」という。
 一方、瀬戸内も仏教者として当然ながら三世【さんぜ】の思想を信じているので、涯のないはるかな過去世【かこぜ】も計り知れない無限の時を持つ来世【らいせ】も『存在する』と考え、「易経は素晴らしいよ。東洋の易は哲学だ。深くて底無しの魅力がある。」という今東光の言葉で結んでいる。
 また、石原は「時の流れ」と題して、帆走するヨットの上で息子と寝そべって満点の星を眺めながら、広大な宇宙の広がりとそこに流れる悠久の時間に思いをはせる。「この自分がそれを認識しているがゆえの巨大な宇宙であり永遠の時間なのだ。限られた私の人生がなければ『時』も『存在』も実質ありはしないのだという逆説的な大それた実存主義的世界観が好きだ。」という。
 一方、瀬戸内のほうは、51歳で出家し80歳になった自分を顧みて、「出家とは生きながら死ぬことである。」と定義し、「死のふるいにかけられた金砂のように貴重な時間の中で、この世はいかに儚いものであり、従って人の世も人の命も同じようにはかないがゆえに、人は時の永遠性にあこがれ、夢を紡いでいくのだ。」と応える。
 この二人は相前後して小説家として世に出て、今にいたるも筆を持ちつづけている。瀬戸内は晩年ひたすら僧侶としての道を進む一方、石原も「法華経を生きる」(数年前に読んで、人は何のために生きるかについて少なからぬ示唆を受けた。)など宗教関係の著作も多く、永年にわたってあつい交流を続けている。それだけに打てば響くような二人の往復書簡は、読み終わって深く心に残るものがある。





『敗北を抱きしめて』
著者:ジョン・ダワー   出版社:岩波書店

櫻田 薫 

 私たちの年代は、先の戦争中、銃後の小国民として鬼畜米英と徹底的に戦うよう教育を受けた。しかし敗戦と同時にいとも簡単に改宗して、骨の髄まで民主主義と平和主義の信奉者として生まれ変わった。悲惨な焦土の中から立ち直った日本をブッシュさんは引用したが、イラクでは抵抗が止みそうにない。東洋人は権威に服従する傾向が強いからか、宗教の違いか、ともかく日本国民は馬鹿な軍国主義者に操られた被害者となり、1億総ざんげをして過去を反省した。尊敬するマッカーサーとGHQは血を一滴も流すことなく、日本に空前の大変革をもたらした。当時、上陸した進駐軍は焦土の日本で「敗者の卑屈や憎悪はなく、改革の希望に満ちた民衆の姿を見た」(本書の箱書き)。本書で紹介されるリンゴの歌、闇市、カストリ雑誌、ガード下の浮浪児、パンパンなど敗戦後の社会現象(写真も)も、今は懐かしい思い出である。アメリカ人の著者は、客観的な事実と公正な目で敗戦から立ち直りつつあった日本社会を観察し、米軍の占領政策を分析する。
 本書の中で、憲法制定の経緯と天皇の戦争責任問題が特に印象に残る。新日本憲法は理想に燃えたリベラルな若いアメリカ人たちが一週間で草案を作成した、日本側の異論もあったが、ほぼ原案が国会で承認された。9条について言えば、当時の吉田首相は、日本は交戦権だけでなく自衛権も放棄したと答えた。しかし間もなく朝鮮戦争が始まり、日本の危機を感じたマッカーサーは警察予備隊創設を命じる。昭和天皇とマッカーサーの会見も興味深い。東京裁判で東條元首相は『天皇の命令に反することをするわけはない』と証言したが、戦犯を含む周囲はその発言の取消しに動き、マッカーサーは占領を円滑に進める手段として利用して(それだけではないが)、戦犯として責任を追求しようとするソ連などから昭和天皇を守った。
 平和、民主主義、平等など世界の普遍的な価値が日本に根付いているのは、なんと言ってもアメリカのおかげであることは否定できないが、また憲法問題のように上から押し付けられた革命がもたらした矛盾も尾を引いている。 
 この大作でダウアー氏はピューリッツア賞、日本では第一回大仏次郎論壇賞を受賞したが、日本人必読の書だと思う。








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『シンガポール便り(4)─ 役に立つ英語
岡田 桂典
 東南アジアで暮らす中国系の人々にとっては中国語を“聞き、しゃべる”のはお手の物で、ラジオ・テレビ・カラオケ等を中国語で充分に楽しんでいます。ところで、多民族国家であるシンガポールでは幼稚園から大学まで全教科を英語に統一し、中国語は副科で教えていますが、最近“中国語教育が間違っていた”と言う声が高まってきて、政府も認めているようです。すなわち、どんなに中国語を“聞けて、話せても” “仕事の役には立たない”というのです。考えて見ますと、政府間の交渉、学術交流、ビジネス等の“仕事”には正確な言語による契約、覚書、論文、レポート、議事録等の文書による情報の発信と記録が必然で、日々の交流、交渉には手紙、ファックス、メールなどの明確な文書でのやり取りが必要なのです。実際に役に立つ言語教育は“読み、書き”が基本で、特に書くことが大事だと思います。
 日本では“生きた英語”が必要だと幼稚園や小学校から英語を使うのが流行だそうですが、私は壮大なる時間とおカネの無駄になると思います。日本人はまず良き日本人でなければなりません。そのためには日本語を徹底的に学び、日本人としての論理、歴史、文化、道徳、技術等を身に着けなければ日本人としても人間としても尊敬されません。第一に日本語で表現、理解できないことを英語で出来るはずはないのです。
 では日本人は英語とどう取り組むべきでしょうか。私は読み書き、文法をじっくりやるべきだと思います。英語で書けない、読めないことを話せる訳はありません。勿論外国との交渉が多い職業につく人は“会話”の練習が必要でしょうが、それは日本人の1−2%位でしょう。一般の人々が外国人と接触するのに上手な会話は不要です。言葉は充分に通じなくても相手の顔と態度を見ていれば、その人が誠意と熱意を持って仕事に取り組んでいるか、親切で信頼しうる人かは自然に分かります。お薦めしたいのは自分の専門分野に使う英語を500語くらい本や雑誌から集め、自分が表現したいことを英語で出来るように準備をしておくことです。いざというときは図や記号を交えた“筆談”で充分に仕事が出来るのです。




 
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