本書は加賀藩(前田家)の下級武士である猪山成之が幕末から明治初年にわたる37年間に記した詳細な家計の記録を分析したものである。猪山家は、5代にわたり加賀藩に仕える御算用者(ごさんようもの、今で言えばそろばん係)の家系である。切り米40俵という小身、しかも直参ではなく陪臣であり、当然ながら生活は非常に苦しい。一方、武士としての体面を保つ必要から、収入を上回る定常的な支出が嵩み、ついに借財は年収の2倍に及ぶこととなる。当時の金利は年15%を越えるのが普通であり、本書の主人公成之は一大決心をもって家財のほとんどすべてを売りつくした上に残債の返済繰り延べにより、家の財政の立て直しをはかる。
その後、成之はその誠実な仕事ぶりを藩主に認められて、維新の直前には、知行180石を受ける上士にまで取り立てられる。さらに維新後には、新政府にとって貴重であった会計の技能を買われ、海軍の主計大監にまで上り詰める。当時、新政府の幹部の俸給は民間と比較して桁違いに大きく、猪山家の家計は見る間に豊かになっていく。成之は、これを見て子弟および一族にたいして幼少から英才教育を施し、ほとんど全員を海軍士官に仕立て上げた。しかし、好いことばかりは続かず、その後、猪山氏の一族は成之の三男が日露戦争に従軍して戦死、続いて甥が海軍軍事施設の造営に絡んで収賄罪に問われ、猪山一族は新聞記者に追いかけられる身となる。
こうして見ると、維新前後の猪山家からは、金融破たん・地価下落・リストラ・教育問題・利権と収賄それにつづく報道被害など現在の世相をそのまま凝縮した実態があぶり出されてくる。著者はあとがきで「歴史とは、過去と現在のキャッチボールである。」という学生時代に学んだ言葉をあげ、今を生きるわれわれが自分の問題を過去に投げかけ、過去が投げ返してくる反射球を受け止める対話の連続であると述べている。そして、さいごに「人にも自分にも、このことだけは確信をもって静かに言える。恐れず、まっとうなことをすればよいのである………。」と。そして、この言葉こそが現在に生きるわれわれ日本人に真に求められていることではないだろうか。
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