ノーベル経済学賞に最も近い日本人と目されている宇沢弘文氏と辛口ジャーナリスト内橋克人氏による気合の入った対談集である。両氏は交々発言する。
現在世界を覆っているアメリカ発の未曾有の経済危機を招いた原因は、パックスアメリカーナを根源にして、ミルトンフリードマンをリーダーとする「市場原理主義の跳梁を許したことにある。彼等の考えは儲けるためには何をやってもよいという思想であって経済学とは到底言えない代物である。
パックスアメリカーナの体制に最も完璧に組み込まれてきたのは、日本であり、レーガン政権の頃から市場原理主義の毒水を飲まされ、日米時々の政権に都合の良い言説を流してきた日本の経済学者も同罪である。
金融工学を悪用した各種金融商品は‘マネーの暴走・カジノ資本主義’となって社会への侵略・破壊の限りを尽くした。
経済学は大いなる反省に立って、‘人々の幸せ追求の学問’という原点に立ち帰らねばならない。
宇沢氏は「ケインズ=べヴァリッジの時代」の経済学(方向として正しい)の今日的展開として、「社会的共通資本」という概念を提唱する。教育、医療などの社会を支える根源分野は、儲けの対象としてはいけない「社会的共通資本」であり、それを安定、維持する仕組み、制度を作り上げていくことが‘新しい経済’の構築目標であり、それを支える‘新しい経済学’であるとされる。
内橋氏も「共生セクターの強化、自給圏の形成」という言葉で同様の主張を展開している。
もはや後戻り出来ないグローバル化した世界に身を置く今日、何を社会的共通資本として認知、合意するか、一概に定め得ない社会の選択を要することであろう。
経済学、それに係わる経済学者は、象牙の塔に閉じ籠もることなく、多様な社会問題に対して積極的な発言を行うことが期待されている時であると思われる。
アメリカではオバマ大統領が、日本でも民主党政権が、拡大しすぎた貧富の格差是正と雇用創出など社会の歪みを正し、「人間中心の社会」を取り戻すべく、一部‘規制の再構築’という社会的共通資本の取り組みに着手している。
成果は除々であろうし、紆余曲折もあろう。しかし「解」はこれしかないのだ。
本書と前後して読んだ2書、中谷巌著「資本主義はなぜ自壊したのか」、ジョセフ・ステイグリッツ著「世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す」などは、本書で宇沢・内橋両氏が願っている新しい経済学の現れの一つではなかろうか。この2書にも拍手を送りたい。
本音でぶつかる行動的学者・宇沢弘文氏への尊敬の念を更に深めた、一書であった 。
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