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■2009年8月15日号 <vol.136>

書評 ─────────────
 
・ 書評   船渡尚男 『逆説の日本史』15巻 −近世改革編  
            井沢元彦著 小学館
・ 書評   片山恒雄 『人生は廻る輪のように(The Wheel of Life)』
            エリザベス・キュブラー・ロス著 角川書店

・【私の一言】幸前成隆 『小人は比して周せず』





2009年8月15日 VOL.136


『逆説の日本史』15巻 −近世改革編 
著者井沢元彦  出版社:小学館

船渡 尚男    

   専門家による、時代ごと、分野ごとの歴史全集は数多く出ているが、一人の「歴史家」による詳しい日本通史はこれが初めてではないか。しかも小説家が古代から明治までに挑戦していることに感銘をうける。
 彼の態度は、とにかく通説を疑ってみる、特定の史観によるものは角度をかえて検討する、「資料主義」に疑問を投げかける、 と言うものである。
特に、資料は後世の有力者が自己を正当化するために作り上げた可能性が大であると見る。

15巻について。
6代家宣が採用した[側用人]制度に高い評価を与えている。門閥にとらわれない有能な人材の登用に途を開き、意思決定、政策の執行を効率的に行われるようにした。

  田沼意次と松平定信の評価は、田沼の先進性―制度の行き詰まりを打破しようとした、定信は完全な旧守派で、その中間の政策を実行していたならば幕末の様相は変わっていただろうと見る。
  「天皇」という称号は1840年世を去った光格上皇が復活させた。それまでは、聖徳太子の「日出づる処の天子」まで 遡ることになる。これが「大政奉還」につながってくる。



『人生は廻る輪のように(The Wheel of Life)』
著者エリザベス・キュブラー・ロス  出版社:角川書店

片山 恒雄    

 本書は、70余年の凄絶としか表現のしようのない人生を歩んできた一人の女性精神科医師の自伝である。1926年、スイスの裕福で厳格な家庭に三つ子の長女として生を享けた彼女は、小学校卒業後、会社経営者である父が将来自分の秘書にさせるための修業に入る要請を拒否したため、家を放逐された。一年にわたり眠ることも儘ならない悲惨な家政婦生活を送った後、許されて自宅に戻った彼女は、ナチスドイツにより苦しめられていたユダヤ人を支援すべく単身ポーランドに渡り、義勇軍の一員として、阿鼻叫喚の地獄が展開されている中に身を投じた。

 その間、貧困と病気に苦しめられている多くの人々を目の当たりにして、これを救うために医師の道を志す。首尾よく医師の資格を取得した彼女は、研修医のとき、突然指導教授から医学生への授業の代行を命ぜられる。医学の充分な知識を身につけていない段階で考え抜いた彼女の講義方法は、明日死が訪れるかもしれない重篤な患者を講義室に連れてきて、学生との会話を行わせるという破天荒なやり方であった。医者と末期患者の意思疎通が充分でないため、相手の意向にお互いが応えていない医療の現実を見据えた上での試みであった。

 この方法は、大きな成功を収め、数万件の実績を積み重ねることとなり、彼女は、ターミナルケアー(末期医療)とサナトロジー(死の科学)の先駆者的存在となった。その過程で、彼女は人の死は存在せず、一定の過程(5段階)を経過して新しい世界に入っていくことを確信することになる。あたかも、さなぎが殻を破り羽化して蝶になるように。(事実、強制収容所の内壁には、たくさんの蝶が描かれていたという。)

 そして彼女は、この経験を生かして、「死ぬ瞬間」(読売新聞社刊)という本を出版し、全世界に熱狂的に受け入れられ、記録的なロングセラーとなった。私も書店でこの本を何度か見かけたが、題名からくる先入観からか、手に取ることがためらわれた。しかし、私の学校時代の友人(当時大阪商船三井船舶M神戸支店長)が、日航機事故で御巣鷹山に散ったとき、ダッチロールで揺れる機内で家族に遺言状を残した。その後、未亡人から私に一冊の本が贈られてきた。本書と著者は異なるが、同じような内容のことが書かれた本であった。未亡人はその本を読んで、亡き夫と今では心が通じ合っているという実感を得て、心の平静を保っているとのことであった。

 人の死はないと著者は言うが、その真偽は措くとしても多くの人々に生きる勇気と喜びを与えてきた著者の功績を否定できる人はいまい。

 

ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

『小人は比して周せず』
幸前 成隆

 「君子は、周して比せず。小人は、比して周せず」(論語・為政)。君子は、広く公平に人と交わって、偏った仲間を作らないが、小人は、私心のある偏った交わりをして、広く公平に人と交わることができない。孔子の言葉である。
 小人には、私心がある。だから、類をもって集まり、徒党を組む。徒党を組んで、仲間うちを誉めそやす。朋党比周する。
 朋党比周すれば、人の判断に影響を与える。韓非子は、「朋党比周して、もって主を蔽う」(韓非子・孤憤)といい、孔子も、三桓が朋党比周して魯の哀公の明を蔽っているという。曰く、「魯の君に、臣三人あり。内、比周してその君を愚にす」(孔子家語・辯政)。
 だから、朋党比周の言を聴いてはいけない。荀子は、「朋党比周の誉は、君子は聴かず」(荀子・致士篇)といい、また、欧陽脩は、「君子たる者、まさに小人の偽朋を退けて、君子の真朋を進むべし」(十八史略)という。
 また、孔子も、哀公に「政は、臣を諭すに在り」(孔子家後・辯政)と教えられた。
 しかし、これが容易ではない。哀公は三桓を抑えることができなかった。また、唐の文宗は、牛李の党争に手を焼いて、「河北の賊を去るは易く、朝廷の朋党を去るは難し」(十八史略)、河北の反乱を鎮めるのは難しくないが、派閥争いを止めさせるのは容易ではない、と嘆かれる。
 「小人の羣を成すは、憂うるに足る」(孔子家語・始誅)。小人が群れをなすと、面倒なことになると、孔子は憂えられる。

 

 

 

 安岡正篤先生講義 易と人生哲学 Jに 
“文冥(ぶんめい)、文迷(ぶんめい)の時代こそ易を”と題して次の文章があります。
 『此の頃、文明は、まさに文冥になりつつある。冥までは参りませんが、少なくとも迷うておることは事実です。文迷であります。何とかこの現代文明を文冥にしないように努力しませんと、大変なことになるので、最近ヨーロッパにローマ・クラブというのが出来ました。アメリカにも出来ておるようですが多くの学者が集まって真剣に現代文明の研究、批判と修正を目的として努力しておるようであります。どうも、まだ日本にはそういうものが、個人的には少しあるようですが、結束してやっておるというのがありません。やはり日本人は、西欧人のように自治的でなく指導力というものを必要としますから安定した内閣をつくり、内閣が音頭をとって学者や識者を集めて、この近代文明の弊害を救い、新鮮な時局を打開することに努力しなければなりません。』
 これは、昭和53年5月16日に講義されたもののようですが、現段階の今でも文冥、文迷の時代のように思われます。
来たる今度の選挙では指導力のある人を選びたいものです。
本号も多彩なご寄稿有難う御座いました。

 

 

 




 
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