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■2011年4月15日号 <vol.176>

書評 ─────────────

・書 評    稲田優  『金融危機が変えたコーポレートガバナンス』
             −変革が進むアメリカ。どうする日本−
             (佐藤 剛 著 商事法務)

・書 評    矢野清一 『東京に暮らす(1928−1936)』   
             (キャサリン・サンソム著 大久保美春訳
                             岩波文庫)

・【私の一言】 岩崎博  『科学技術の進歩について考える』


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2011年4月15日 VOL.176


『金融危機が変えたコーポレートガバナンス
−変革が進むアメリカ。どうする日本。−』
 (佐藤 剛 著 商事法務)  

稲田 優   



この本の著者は日立化成のビジネスマンとして、シンガポールの会社経営の経験や、米国の会社との合弁会社を設立して社外取締役を経験したのち、委員会設置会社となった日立化成の監査委員会の初代委員長を務め、6年前にリタイアした。
リタイア後に一念発起して米国のビジネス・スクールに留学してMBAを修了したのち、続けて同じUSCのロー・スクールに入学して米国のコーポレートガバナンスを研究した。折しも米国はリーマンショックに襲われ、コーポレート・ガバナンスの見直し機運が盛り上がっていた。

米国では何が課題とされ、どう変革しようとしているのか、留学先のロー・スクールだけでなく全米取締役会等の実業界の内部にまで交友範囲を広げてその時々に書き上げたリポートを1冊の本に収録した、第一級の日米コーポレート・ガバナンスの変革動向比較論である。学問として研究している大学教授や監督する立場の行政官の著書にはない、実務界の悩みに的確にヒントを提供しているところが新鮮だ。
最初に留学したUSCのビジネススクールの名誉教授エドワード・E・ローラーが著者のヒヤリングに応じて“コーポレート・ガバナンスの定義”として語った次の内容が興味深い。

「ステークホルダーとして株主が絶対であるとする狭義の定義と、多様なステークホルダーの価値をバランスさせる広義の定義がある。
アメリカにおけるコーポレート・ガバナンスの定義は、“エージェンシー理論”に基づき狭義に捉えられているのがこれまで一般的だった。(中略)
一方、ヨーロッパや日本では、CSRの観点から社会における共同体としての企業の役割を重視する考えが強く、コーポレート・ガバナンスの定義も企業を取り巻く多様なステークホルダーの価値をバランスさせる広義の定義が一般的である。(中略) アメリカ企業もこうした世界の多様性を認めて事業を展開して行かねばならない。」。

また一方では、ニューヨーク・タイムズの次のような記事(08.4.19)が紹介されており、かつてのわが国の行政指導以上のことが米国で密やかに行われていることに驚かされる。
「ドラゴン(評者注:SEC)は洞窟の中でこの3年間で不正を起こした50余社と訴追遅延合意(Defferred Prosecution Agreement)を取り交わしていた。(中略)不正を犯した企業は数億円から週十億円の罰金を支払い、3年間の猶予期間の間に不正再発を防止する内部統制システムの確立を行うことで起訴を免れていた。」。
 この本は近年わが国でも導入された独立取締役や監査役ばかりでなく、産官学の関係者の格好の参考書となる。

 

『東京に暮らす(1928−1936)』
(キャサリン・サンソム著 大久保美春訳  岩波文庫)

矢野清一   


一昨年の七月にこの欄で、エリザ・R・シドモア女史による「シドモアの日本紀行(明治の人力車ツアー)」を紹介したが、今回のこの著書は、時代がぐっと下がって、昭和初期の日本紀行である。著者のキャサリン・サンソム女史は、英国の外交官であるジョージ・サンソム氏の東京赴任に伴って来日し、約八年にわたって日本に滞在した。
この本は、女史が日本滞在期間中に、東京をベースにして日本各地を見て廻って、日本の風物や、日本人の風習などをつぶさに観察し、見てきたことや感想を纏めたものである。この本の目次を並べるだけで、その内容が分かるが具体的には次のような諸点について書かれている。

1)日本人の食事の事
2)日本人の労働について
3)日本の伝統
4)日本の百貨店
5)日本人の礼儀作法
6)植木と植木職人(庭師)
7)日本人の人生観
8)社交と娯楽
9)日本人の旅好き
10)日本の女性について
11)日本人と英国人の比較などなど。

本書に描かれている時期は、昭和恐慌の直後であり、日本経済は非常に困難な時にあり、又、将に日本が軍国主義の世界へと突き進みつつある時でもあった。が、本書は、女史は冷静に日本を見つめ、しかも当時の西洋人にありがちな、日本人を見下すような視点ではなく、多少誤解している所も散見されるが、全く公平な視点で書かれた文章であり、女史は寧ろ日本を見て理解することによって、東洋と西洋の協調、或いは、現在で言う所の東西のコラボレーションのような事を考えていたのではないかとさえ思われる。又、敢えて日本の暗い面は避けて、日本或いは日本人の良い点ばかりに目を当てて書いている様にも思われる。

この本の舞台となる昭和初期の風物や情景は、筆者が子供時代を過ごしてきた昭和10年代には未だ多く残っていて、この本を読んでいて、自分の子供時代のほのぼのとした日常生活が思い出されてきて、ついつい引きずり込まれて一気に読み終えることが出来た。

最近、新聞やTVで報道されている、日本社会の荒廃を見ていると、この本に描かれている時代が懐かしく思われ、この本は、一服の清涼剤になるのではないかと思った。

 

ご要望にお応えして、ジャンルを定めない自由評論コーナ ー【私の一言】を設けました。 評論の評論はもとより、社会評論等自由なご意見をお届けします。

『科学技術の進歩について考える』
岩崎 博



身の周りを見ても、社会の種々の場所に行ってもすべての事が変化しているのに驚かされる。とくに科学技術の進歩による変化は目覚ましい。「この二三十年の科学技術の歩みは昔の数百年分に相当する」という表現はそのとおりである。新聞、テレビは科学技術の進歩を毎日のように報道している。一口に科学技術と云うが、明確な線引きはできないにしても、科学と技術は異なる内容を持っている。このことを念頭において「進歩」の中身を考えてみよう。

通信手段としての携帯電話を例にとる。その核心は電波の検出であって、電波が電磁波、すなわち電場と磁場が変動しながら進む波、であり、携帯電話の“アンテナ”に電流を誘起する現象に基づく。電磁波の本性が明らかにされたのは100年以上も前のことであって、科学における革命的進歩であった。電磁波の本性が分かればそれを検出し、信号をより分け、増幅するのは技術の領域の仕事である。この技術は不断の進歩を遂げ、今日のような情報化社会を出現させるに至った。また、電流の信号増幅の役割を担っているのは半導体である。微量の不純物を含む半導体がエレクトロニクス素子となることの発見も科学における画期的進歩であり、第2次大戦の頃のことであった。それ以来の半導体エレクトロニクスのすばらしい発展はだれもが知るところであり、これは技術における大進歩といえよう。ところが、電磁波などに関連する科学にはその後画期的な進歩は見られなかった。他の例を挙げる。
クリーンエネルギー時代の象徴である太陽光発電である。その核心は光によって電気が生ずる現象、光電効果、であり、この物理が確立されたのは100年ぐらい前のことであった。その後、発電効率の上昇、関連するデバイスの高性能化など技術の進歩はすばらしく、エネルギー革命をもたらすほどになった。しかし関連する科学には大きな進歩は見られていない。

科学技術の進歩を階段を上ることに譬えて言うならば、「科学」における進歩は大きな段を飛び上がった後、階段はゆるやかになり、ゆっくりと上昇するのに対して、「技術」における進歩は階段のステップ幅は中くらいであるが絶えず上昇が続き、結果的に大きな高みに至る。短い年数幅で見た場合、「科学」はあまり進歩しないのに「技術」は留まるところを知らずに進歩していると映る。近年における科学技術政策は「目に見える結果」をもたらすものに投資を集中すべきであるという論点から「技術」に重点を置いた予算配分がなされている。世間の関心も進歩が次々と現われる「技術」の方に向き勝ちである。学生など若い世代も「技術」が面白いと感じ、興味はそれに向かっている。しかし、このような傾向は喜ぶべきであろうか?基礎科学に携わる人に聞くと「科学の研究は難しい」という答えが返ってくる。自分の研究が世の中のどんなことに役立つかを常に意識せざるを得ず、最短時間で成果が得られるように努めざるを得ないからである。我が国の識者が事あるごとに基礎科学の重要性を強調するのは単に予算の配分のことだけではなく、社会が基礎科学の意義を理解し、性急に結果を求めないようにして欲しいということである。自由な発想で急がず慌てずに行なう研究に思わぬ“宝物”が見つかるというのは真理であると思う。

 

 

巨大地震と津波、相次ぐ余震、そして原子力発電所での事故等に対して、世界の多くの国、人々から、いろいろな支援が寄せられていると伝えられます。これは日本人の国民性にもよると思えますが、恩返しという言葉もよく聞きます。「情けは人のためならず」ということでしょうか。
この東日本大震災は原子力発電所での事故を含めてまさに未曾有の国難であり、復興にむけては国民が我慢を必要とすることも生じると思われます。しかしこれを機に改めて長期的視野のある日本の再構築計画を作り、国民が一丸となってこれに取り組み、恩返しのできる国、になることがことが望まれます。
(忍の一字は衆妙の門)だそうです。

本号も、多面的なご寄稿をありがとうございました。(H.O)






 
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