今年は国民読書年である。国から読書離れを指摘されているようで、正直とまどいがあるが、この本との出会いは、読書の醍醐味を改めて教えてくれる。珠玉の一冊、と評して過言ではない。
著者の多田富雄氏は、世界的な免疫学者。若き日、オリンピック景気に沸く日本を離れ、コロラド州デンバーの研究所に留学するところから物語は始まる。舞台は、著者が毎日のように通ったダウンタウンの場末のとあるバーである。
そこで繰り広げられる貧しい人たちとの豊かな出会い。「兄弟よ」と呼びかけてくる温かい友情。喧騒のフロアーに流れる名曲《ダウンタウン》や《テネシーワルツ》のメロディ。西の空にはるか連なるロッキー山脈の景観。回想の魔術が現出させる著者の「青春の黄金の時」である。
物語は移り、デンバーで出会った親友の死、叔母の死、義弟の死、母の死、小林秀雄の死、孤独な大免疫学者の死に直面する。著者自身も10年ほど前に脳梗塞で三日三晩死線をさまよい、声を失い、半身の動きを失う。
ここから死が主要テーマとなるが、著者は多くの死を、迫りつつある自らの死と重ねる。しかし、死地を脱し、書きつくせない悩み、苦しみの末に到達した心境は「死の中から生を発見した」ことである。この本は、失うことによって初めて得るものがある、という肯定の書でもある。
言葉がしゃべれなくても、半身が動かなくても、日々創造的な著作活動を続ける類稀れなる知性との出会いを、心から喜びたい。
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